十月に入ると、海架町の風は少しだけ冷たくなった。
 浜カフェのテラス席では、塩の匂いとコーヒーの香りが混じり合い、夜の潮騒がかすかに聞こえる。
 その店先に、白い布が張られた。簡易スクリーンだ。
 四人が二週間かけて作った十五分の映像――その“初試写”が、今夜行われる。
 テーブルには町の人々が集まっていた。漁師、学生、出店の店主、通りすがりの観光客まで。
 大芽はマイクを握り、少し緊張気味に頭を下げた。
 「本日はお忙しい中ありがとうございます。これはあくまで〈仮編集版〉ですが、率直な感想をいただければ嬉しいです」
 照明が落ち、映像が始まる。
 スクリーンに映るのは、海辺を歩く四人の姿、流木の模様、そして子どもたちの笑い声。
 画面の下には「海架町PR試作映像/監督:大芽」と白い文字が浮かぶ。
 最初は順調だった。波の光、町の喧騒、祭りの準備――。
 だが、ナレーションが始まると、客席の空気が少し変わった。
 『海架町の夕凪は、今日も変わらず優しい――』
 真面目すぎるトーンに、数人の肩が小さく揺れる。笑いを堪えているようだ。
 映像の途中で、弘喬が後方からそっと客席を観察していた。
 笑いどころで笑いが起きない。
 逆に、ちょっとした手ブレや撮り直し箇所で、くすくすと笑いが漏れる。
 「……狙いとズレてるな」
 その呟きに、千優が小声で答える。
 「ズレ、でも、いい音」
 上映が終わると、拍手が起きた。
 大芽は深呼吸をしてから、すぐにマイクを持った。
 「ありがとうございます。よければ、正直な感想を……ぜひ!」
 彼は一人ひとりのテーブルを回り、QRコード付きのアンケートを渡していく。
 その途中、浜カフェの店主が笑いながら言った。
「ナレーション、ちょっと真面目すぎやな。“町長の挨拶”みたいや」
 「そ、そうですか……!」大芽の顔がみるみる赤くなる。
 客席から笑いがこぼれ、優里がすかさず拍手を送った。
 「でも、誠実さは伝わってましたよ! “海風の人柄”って感じで!」
 「う、うれしいけど、それフォローだよね?」
 「もちろん!」
 そんなやり取りを見ていた高校生のグループの一人が、ふいに手を挙げた。
 「俺たち、映像の“間”が好きでした! みんなで作った感じがする!」
 その言葉に、場の空気が少し柔らかくなる。
 弘喬はすかさず、その反応をメモに書き込んだ。
 〈観客の目線=“共作”に共感〉
 優里も隣で、別の方向に目を向けていた。
 店の入口近くでは、新メニューの「潮風サンド」が完売している。
 「ねえ見て、大芽くん。上映の間に全部売れた!」
 「ほんとだ……!」
 「“映像見た人が食べたくなる味”って、最高のコラボじゃない?」
 優里の笑顔に、店主も照れたように肩をすくめた。
 「映像が宣伝になるなんて思わんかったよ」
 「だったら次は、店主さんの“手の動き”を撮らせてください。現場の美しさが伝わるように」
 大芽がそう言うと、店主は笑ってうなずいた。
 「ほな、もう少しだけ若く映してな」
 夜が深まる。上映後のテラスでは、紙のアンケートにペンを走らせる人、コーヒーをおかわりする人。
 弘喬がプロジェクターを片づけながらぽつりと漏らす。
 「狙った笑いは取れなかったけど、自然な笑いはあったな」
 「うん。いい“事故”や」大芽が笑う。
 「それを次に活かそう。次は“録音”中心でいく。音で“町の呼吸”を撮りたい」
 千優がその言葉に反応して、イヤホンを外した。
 「……録音。知ってるかも」
 「え?」優里が首をかしげる。
 「音、昨日から、ちょっと変」
 千優はそう言って、ポケットから小さなボイスレコーダーを取り出した。
 そこには、“まだ録っていないはずの音声”が残っていた。
 工事現場のようなノイズの中に、かすかに人の声が混じっている。
 『注意! 砂袋!』
 四人は顔を見合わせた。
 「……明日、堤防で撮影だよな?」弘喬が言った。
 「ああ」大芽は眉を寄せ、波音に耳をすませる。
 どこからか、同じ声が、遠くの風にまぎれて聞こえた気がした。