九月初旬の夕方。海架浜の西端、防波堤の陰に沈みかけた陽が反射して、海面を黄金色に染めていた。
 大芽は三脚を立てながら、レンズ越しに波を見て言った。
 「――よし、今日は音と画のテストだ。まずは“浜辺紹介”の定番ショットからいこう」
 潮風に髪を押さえながら、優里が軽く笑った。
 「定番って、誰の定番? うちの町、PR映像なんて初めてじゃない?」
 「だから作るんだよ、うち流の“定番”を!」
 声が少し大きすぎて、弘喬が慌ててマイクのメータを見た。
 「だいが、ピーク入ってる。もうちょい落として」
 機材の前で四人がわちゃわちゃと動く。千優は波の音に負けないよう、貝殻を糸でつないだ即席反射板を掲げていた。
 その小さな手仕事に、優里が感嘆の声を漏らす。
 「すごい、自然素材でリフ板なんて初めて見た!」
 「……軽くて、眩しくない」
 千優はそれだけ言って、また黙々と角度を調整した。
 大芽はマイクの前に立ち、軽く息を吸い込む。
「それでは――カメラ、回した?」
 「回ってる」弘喬が答える。
 「音、入ってる?」
 「入ってる」千優がうなずく。
 「じゃあ、いきます――“海架町の夕凪は、今日も……”」
 そのとき、風がひゅうっと吹き抜けて、マイクがブレた。大芽は構わず続けたが、砂が口に入り、途中でむせた。
 「げほっ、ごほっ……だめだこれ、やり直し!」
 その瞬間、弘喬が思わず笑い、録音ボタンを押し忘れそうになる。
 優里は大芽にタオルを渡しながら、茶化すように拍手した。
 「監督、いい表情してたよ。NGテイク、保存決定!」
 「やめろ、編集で消せ!」
 笑い声が風に溶けた。
 ひとしきり笑ったあと、千優が小さな声で言った。
 「……流木」
 指差した先に、波打ち際で何かが転がっていた。
 それは、掌ほどの大きさの木片。潮に濡れて黒光りしており、表面に奇妙な模様が刻まれていた。
 「模様、だよね……?」優里がしゃがみこむ。
 「拓本、取っておこう」
 千優は持参していた和紙と鉛筆を取り出し、慎重に擦った。浮かび上がった線は、まるで迷路のようであり、どこか人の顔にも見えた。
 「……これ、使えるかもな」大芽がつぶやく。
 「映像のオープニングに?」弘喬が尋ねる。
 「そう。意味は分からなくても、“この町の浜で見つかった不思議な模様”ってナレーションを入れたら、雰囲気出る」
 「雰囲気だけね」と優里。
 彼女はその模様を見つめながら、潮風の中で笑った。
 「でも、ちょっと怖いような、やさしいような……」
 テスト撮影を終えた帰り道。弘喬が機材を片づけていると、レコーダーのランプがまだ点いているのに気づいた。
 「……あれ? 切り忘れてたか」
 再生ボタンを押すと、ザザッと風の音が流れ、次に大芽のむせる声、優里の笑い声。
 そのあと――聞こえた。
 誰でもない、低く柔らかな囁き。
 『ここは虚構? それとも現実?』
 四人は同時に顔を見合わせた。
 「今の……誰?」
 「冗談やろ、録音テストやってたの俺らだけやで」弘喬が首を傾げる。
 千優は無言で波の方を見た。
 陽がすっかり沈み、海と空の境が曖昧になっている。
 大芽はレコーダーを握りしめながら、わざと明るく言った。
 「ま、テストには最高の“演出”が入ったってことで。続行決定だな」
「ほんとにいいの?」優里が笑う。
 「いい。“現実”が勝手に面白くしてくれるなら、乗っかろうじゃないか」
 その言葉に、弘喬が肩をすくめ、千優が静かにうなずく。
 そして四人は、暮れなずむ浜辺でカメラを海に向けた。
 波音とともに、遠くの防波堤に灯りがともる。
 新しい“町の物語”が、今、回り始めた。