砂場は思った以上に歩きにくく、優羽(ゆう)がいつものように手を繋いでくれていたおかげで助かった。あの事故に巻き込まれたせいで朔夜は色んな未来を諦めた。

 リハビリをして軽い運動ならできるようになり、バスケもやろうと思えばやれる。けれども、前と同じようにはいかない。前のように高くは飛べない。早く走れない。すごく悔しかった、けど。

「わっ⁉︎」
「大丈夫?」

 それでも、みんなと一緒に戦いたいって思った。コートの外でもいい。マネージャーとしてチームを支えたいって。いつもなんでもないって顔で笑っていた。本当はそんな余裕、ないのに。

「ありがとな、いつも」

 優羽がいつも自分を守るように道路側を歩いていることに気付いたのは、いつだったか。あれは無意識にやっていたのか、それとも意図的にやっていたのか。あの事故以来、優羽は前以上に朔夜に執着するようになった。電話もメッセージも。

 けれども、あの告白は想定外だった。

 よろけた身体を抱きとめられ、思わず口から出た言葉。優羽は少し驚いた顔で見下ろしてきた。朔夜は苦笑を浮かべ、頬をかく。返事をするなら今なのかもしれない。

 水族館デートは、正直めちゃくちゃ楽しかった。ドキッとした瞬間もあった。それってつまり、そういうことだよな? と朔夜は自問自答する。

「優羽、俺……、」
「ちょっと待って。先に俺から話、いい?」

 勇気を出してあることを伝えようとした矢先、優羽が遮るようにそう言って朔夜の両腕を支えるようにそっと掴んだ。物腰の柔らかい口調とは裏腹に、その表情はなんだか寂しげで。朔夜はうんと頷くことしかできなかった。

「あの時。朔くんが事故に遭ったって聞いた時、俺、心臓が止まるかと思った。手術をすれば元通りに生活できるって聞いても、ずっと心配で。入院している時、ほとんど顔を出さなかったのは、無神経な言葉で朔くんを傷付けたらどうしようって怖くて……でも、戻って来た時にいつも通りにしてくれたから、俺もそれでいいんだって安心したんだ」

 確かに優羽もみのりもあの時は珍しく会いに来る頻度が少なかった。朔夜も両親にはなんでもない風を演じていたが、ひとりの時は不安で仕方なかった。これからどうしたらいいか。チームに迷惑をかけてしまう。試合も、自分が欠けたことで上手く回らなかったら? 色んなことが頭の中をぐるぐると駆け巡って、暗い気持ちになった。

 このままじゃ駄目だと、朔夜は気持ちを切り替える。退院してもリハビリは続いて、キツい時もあったけれどなんとか頑張った。

 隣の家の双子は相変わらずで、朔夜はなんだか気が抜ける思いだった。昔からよく手を繋いで歩いていたが、その時を境に優羽はやたらと手を繋ぎたがった。人目などもちろん気にしない。その意味を、朔夜は考えもしなかった。

「俺、言ったよね? 昔も今も、朔くんと一緒にいる時はいつも。俺は、一度も朔くんを家族だなんて思ったことはない。キスしたいくらい好きだって」
「……う、うん」

 真剣な眼差しは、冗談だろ? なんて軽いひと言で片付けていいようなものではなくて。朔夜は更衣室でキスされた時のことを急に思い出してしまい、頬があつくなった。

 目を逸らしたくなるような恥ずかしさ。けれども、逸らしてはいけないという空気感が朔夜を留まらせた。腕を掴んでいる指先に力が入っているのがわかる。

(……あの時、あんなこと言われなかったら。優羽はいつまでも俺の弟的存在で、幼馴染で。俺も、自分の気持ちに気付くこともなかった)

 それがこの数時間、恋人ごっこをしただけでこれだ。意識をするかしないかでこんなにも違うものかと、思い知らされる。

「俺はね、いつも先に行っちゃう朔くんを追いかけなきゃなんなくて。隣に並べたと思ったらすぐに遠くに行っちゃうから、すごくしんどかった。でも、朔くんはそんな俺をうざがったりしないで受け入れてくれて。だから今のままでもいいやって思ったこともあった」

 それでも。自分の知らないところで朔夜が他の誰かと仲良くなったり、好意を向けられているのを見れば、底知れない黒い感情がまとわりついて離れない。好きだと言ったら、朔夜はどんな反応をするのだろう。引かれて、距離をおかれてしまうかも。

「けど朔くんは無自覚にモテるから、色んなひとが朔くんを狙ってた。好きだとか告白するとか言ってた先輩に近寄って阻止したり。朔くんを見ている子の視線をこっちに向けさせたり、とにかくやれることはぜんぶした」

「へ? ……って、あの子と付き合ってたんじゃなかったのか?」

「そんなわけないでしょ? ああ、でも納得してくれたよ。俺の方がずっと朔くんのこと好きだってこと。仲良さそうに見えてた? カミングアウトしたら、なんか応援してくれてさ。色々と相談にのってくれてたんだ」

 ふ、ふーんと朔夜はちょっと引いていた。

 顔も性格もそこまで悪くないはずなのに、なぜ女の子にモテないのだろうと思っていたら、裏で操作されていたということ?

「俺は朔くんしか見てないし、見る余裕もないよ」

 たった一歳の年の差が、優羽には分厚い壁のようだった。いつまでも対等になれないその立ち位置を埋めるのは容易ではなくて。

 だったらいっそ、可愛がられるのも悪くないと思うようにもなった。主人にしか懐かない犬みたいに、油断させて噛みつくのもいい。

「俺は朔くんが好き。一生、ずっと、その気持ちは変わらないんだって、諦めて欲しい」
「どういう告白だよ、」

 思わず口元がゆるむ。
 好きだから諦めて、なんて。

「……俺も、」

 重すぎるその想いに、自分がちゃんと応えられるかどうかはさておき。

「俺も、優羽が好きだよ」
「……それは、弟みたいに? 幼馴染として?」

 優羽は驚いた顔でそんなことを訊ねてきて。
 なんでそうなるんだ? と朔夜は苦笑する。

「ひとりの男として、好きってこと。何度も言わせるなよ、恥ずかしいだろ」

 夕陽が空を染め、海を染め、砂を染めていた。

 優羽の頭を撫でて、そのまま頬に手を滑らせる。今ならどんなに頬が赤く染まってもわからないだろう。キラキラと眩しい海面が優羽の後ろで煌めいていて。朔夜は思わず目を細めた。

 時が止まっていたかのように動かなかった優羽が、急にガバッと朔夜に覆い被さる。あまりに急すぎて、息が止まりそうになった。

「そっか……嬉しい……めちゃくちゃ好き!」
「ちょっ……優羽、落ち着けって」
「ムリ。もっとぎゅってしたい。独り占めしたい。キスしたい」

 それはちょっと……と朔夜は目を逸らす。

「じゃあこれからたくさん、一緒に色んな経験しようね」

 ぎゅっと隙間なく抱きしめられ、その強さになんだか安堵している自分もいて。

「……よ、よろしくお願いします」
「うん、よろしくね!」

 言って、子どもみたいに無邪気に笑う優羽。お互いの体温が重なり合って、自分のものかわからなくなるくらい心地好くて。

 バスが来る時間になっても、しばらくこうしていたいと思った。