「朔くん、今週の日曜日、俺とデートしよ」
は? と朔夜は間の抜けた顔で左横にいる優羽を見上げる。
「普通に遊びに行く、じゃダメなのか?」
「それじゃいつもとおんなじになっちゃうでしょ」
まだあの時の返事はできていない。忘れていたわけではないが、そういう雰囲気にあれ以来なっていなかったこともあって、朔夜は優羽の告白自体が夢かなにかだったのではないかとちょっとだけ思っていた。が、現実はそうではなかったようだ。
部活も学校生活もそれなりに充実し始め、朔夜も優羽も忙しくしていた。五月中旬のテスト期間も終わり、六月。三年生たちにとって最後となる大会もある。その前にこのもやもやをすっきりさせるのもありかもしれない。
「お試しデートってやつ。デートの間は恋人同士っていう設定。それで朔くんが楽しめるかどうか実験するのはどう?」
「……もし、楽しめなかったら?」
「一緒にいて楽しいって思わせる自信あるよ」
つまり、このデートで恋人として楽しめてしまったら……?
「朔くんが俺とデートして、いつもの幼馴染以上には思えなかったら失敗。少しでもドキってしちゃったら成功」
「……成功、したら?」
「俺の恋人になってください」
その有無を言わせぬ笑顔に、朔夜は言葉が出ない。なにかの間違いで、万が一にでもドキッとしてしまったら、強制的に恋人にされるということ?
「その時間だけは、俺のことちゃんと恋人として扱って欲しい」
朔夜はベッドの上で帰り道で言われたことを思い出していた。ふざけているとか、そういう感じではないことだけはわかっている。優羽は本気で自分を好きなのだ。隣の家の幼馴染のお兄ちゃんとしてではなく、皆藤朔夜として。
「……って、言われてもなぁ」
そもそも女の子とデートをしたこともない。
「ちょっと待て……俺たちの場合、どっちがどっちなんだ?」
年上である自分が彼氏で、年下の優羽が彼女?
(どっちも男の場合は? 全然わからん……これってBL漫画とか参考になる? ネットで検索して……いや、なんか嫌な予感しかしないっ)
あの言い方だと、今回は優羽がリードするってことだよな?
(やっぱり一回検索! ネットの知識を頼ろう!)
朔夜はスマホで『幼馴染 BL』で検索してみる。するとそれ関係の漫画が多数検索に出てきた。リアルはちょっと怖いのであえて漫画で少しでも知識を得ようと考えたのだ。
しかしそんなことを検索している時点で、すでに優羽のことが気になっているのでは? ということに気付き、朔夜は画面を閉じた。
「これじゃ、あいつの思うツボだ……俺はあえて素でいこう。それで、自分の気持ちを確かめる。ただ流されているだけなのか。それとも、そういう気持ちがあるのか」
弟のような存在のまま、今までのままでいるのか。あの時。キスされた時のなんとも言えない感情の正体を知るためにも。
(ってか、あれ、俺のファーストキス……)
優羽は中学の時に付き合ってる子がいたみたいだけど、その時にはすでに朔夜のことが好きだったと言っていた。ではその付き合っていた子は? ただの噂?
(けど、慣れてなかったか? やっぱり揶揄われてるだけ?)
こっちは動揺しまくっていて、どうやって帰って来たかも記憶にないというのに····。そんなことをぐるぐると長時間考えていたら、なんだか胸の奥がモヤモヤした。
□□□
日曜日。
午前中、部活を終えて帰って来てから、三十分後にお互いの家の前で落ち合うことになった。
どこに行くかは優羽任せで、朔夜は教えてもらっていない。シャワーを浴びて身なりを整え、私服に着替えて財布とスマホをズボンのポケットに入れた。白い七分丈のサマーニットと薄青のジーンズという、特別感などはない普段通りの私服だ。
玄関を出ると、優羽がすでに待っていて。肘くらいまでの長さの黒いカジュアルシャツに白いインナー、黒のワイドパンツというシンプルだけどお洒落な私服だった。優羽の私服もよく見る格好で、横に並んでも違和感はなさそうだ。少し気温も高めだったので、これくらいがちょうど良いだろう。
「じゃあ行こっか」
「あ、ああ、うん、」
すっといつものように右手を差し出され、朔夜は反射的に手をのせてしまう。普段から優羽が手を繋ぎたがる傾向があり、なんとも思わずに朔夜は繋がれていた。
よく考えれば自分たちは高校生で、幼稚園や小学生の時とは違う。いつからか自分より大きな優羽の手。昔はその小さな手を朔夜が繋いであげていた。
「ちなみに、だけど。どこ、行くんだ?」
「それは着いてからのお楽しみだよ」
言って、少し警戒しているだろう朔夜に悪戯っぽく微笑んだ。バスに乗った時点でなんとなく予想はできたが、どうやら行き先は水族館のようだ。
クラゲの展示で有名なその水族館は、数年前にリニューアルしてからというもの、家族連れからカップル、おひとり様まで、誰もが楽しめる癒しスポットとなっている。
水族館前で降りた朔夜たちは、バス停から歩いて三分程度の場所にある白い建物を目指して並んで歩く。建物の中はひんやりと涼しく、券売所で二人分のチケットを買って順路通りに進んでいく。薄暗い室内はスポットライトが所々にあるだけで、展示の魚たちがより映えて見えた。
「めっちゃキレイなのいる!」
「ホントだ。なんて名前の魚?」
最初は意識しすぎて会話という会話が上手くできなかったが、いつの間にか緊張は薄れ楽しんでいる自分がいた。それは優羽がちゃんとリードしてくれているからで、朔夜はたまにその横顔をこっそりと見ては自然と笑みがこぼれた。
「クラゲって、光が当たると別の生き物みたいで不思議だよな〜」
ふよふよと丸い水槽の中を泳ぐ白いクラゲを指差して、ふと優羽の方を見ると、今までじっとこちらを見ていたのかすぐに目が合った。
「あ、あっちにメインの展示があるんだっけ? テレビでよく流れるやつ!」
すごい勢いで目を逸らし、朔夜は誤魔化すように先の順路に身体を向けた。優羽は顔が良い。声も良い。なんなら性格だって良い。羨ましいくらい女子にモテる。彼女らを差し置いて、なぜ自分なのか。
朔夜は、今更ながらやっぱり揶揄われているだけなのでは? という気持ちになる。
不安。もしただの遊びで、冗談で、このデートも誰かの代わりだったら?
(よりにもよってなんで俺なんだ? もっと他に、優羽を好きな子が大勢いるだろうに)
では自分はどうなのだろう。
優羽をそういう目で見たことなど一度もない。
「朔くん、大丈夫?」
ぼんやりと考え事をしていた朔夜は、優羽に横から覗き込まれていることに気付いて思わず「わあっ⁉︎」と声を上げる。周りの視線が集まり、慌てて朔夜は「び、びっくりした」と笑ってその場をやり過ごす。
(……キ、キスされるかと思った)
ドキドキと心臓が鳴り止まない。
「キスされると思った?」
優羽が耳元で囁くように言った。
「ば、ばかっ……そんなわけ、」
耳が頬が身体がぜんぶあつい。動揺してしまっている時点でもう、優羽を意識しているのだと。朔夜は言葉とは裏腹に、心がぐらぐらと安定しない危うさを感じて自分でも驚いていた。もしかしなくても、これは……。
メインの水槽を楽しむどころか、それ以降の記憶がすっぽりと抜けていた。気付けばあたりは明るくなっていて、真白い通路を歩いていた。
「朔くん、次は海を見に行こう」
出入り口の所までやって来た頃、優羽は水族館のすぐ前に広がる海を指差して、眩しそうに目を細めて微笑んだ。

