入学式も終わり、二週間が経った。放課後、朔夜は同じクラスの日上(ひかみ)(はる)と一緒に体育館へと向かっていた。陽とは高校からの友だちで、同じバスケ部だった。

 今日から一年生が体験入部にやってくる。西校は県内でも強豪校で、毎年多くの新入生が入部するのだが、練習が厳しく半年経つ頃には半分以下に減ってしまうのが現状だ。

「じゃあ皆藤、よろしくな」
「はい、任せてください」

 朔夜は三年で部長の神谷(かみや)亮介(りょうすけ)から、仮入部の一年生たちを任された。一年の夏に事故で大怪我をしてから、朔夜はマネージャーとしてバスケ部に所属している。当時はポイントガードで一年生ながらレギュラーとして活躍しており、チームの指示役を担っていたのだが、今は激しい運動は禁止されているため、みんなのサポート役に回っているのだ。

 怪我をしてバスケができなくなった時に思い切って辞めてしまうことも考えたが、みんなのために雑用をこなすのも悪くないと思い始めている。元々世話好きなこともあって、マネージャーの仕事はやりがいもあり、なんなら楽しんでさえいた。

 今日はコーチが休みの日で、顧問の先生しかいない。顧問の先生は最初と最後に顔を出すだけなので、部長はマネージャーの朔夜が全体を見てくれることで自分の練習に集中でき、他の部員たちも一年生の世話を任せられるので気が楽なようだ。

 そんな中、陽が隣で珍しく口を出してきた。

「皆藤ひとりでは大変だと思うので、俺も手伝っていいですか?」
「いや、日上が抜けるとペアの練習の時に困るんだけど……」
「じゃあペア練習が始まるまででもいいです」

 それなら、まあ……と部長は了承する。意外な助っ人に朔夜は素直に感謝し、「ありがとな」とにっこりと満面の笑みを浮かべて歓迎する。そういうこともあって、ふたりは体育館の隅で待たせている一年生たちの所に向かうことになった。

 そこには、優羽(ゆう)の他にも見知った顔が数人並んでいて。

「朔夜先輩、よろしくお願いしまーす!」

 同じ中学で、優羽と昔からよく一緒にいる相澤(あいざわ)(すなお)が、相変わらず元気に挨拶をしてきた。それに続いて他の一年生たちも、バラバラに「よろしくお願いします!」と頭を軽く下げつつ、朔夜と陽に注目してくる。

「え〜と。俺は二年の皆藤朔夜。この部のマネージャー。隣にいるのは同じく二年の日上陽。レギュラーでポジションはシューティングガード。同じ中学なら知ってる子もいるんじゃないか?」

 こくこくと一年生の数人が目を輝かせて頷く姿を確認しつつも、それとは別にこちらをじっと見つめてくる視線からはあえて目をそらす。

(優羽がめちゃくちゃ機嫌悪いんだけど!)

 いつものなにを考えているかわからない魔性の笑みはそにはなく、誰がどう見ても「不機嫌です」という顔をしていた。その視線の先は朔夜に、というよりは寧ろ隣にいる陽に向けられている気もするが、今はそこを突っ込んでいる場合ではない。

「ちなみに、初心者の子はいる? 初心者は俺と一緒に基本的なことを。経験者は注意事項とある程度の説明を聞いたら、準備運動をしたうえで陽と一緒に練習に混ざってみようか」

 手伝ってくれるとは言ったものの、普段から言葉数の少ない陽には荷が重い気がする。なので、途中までは朔夜が説明やら細かいことは予定通り進め、練習に参加するところからお願いすることにした。

 陽は見た目どおりクールで無愛想だけど悪いやつじゃないし、必要なことはちゃんと口にしてくれるので任せても大丈夫だろうと思っている。

 朔夜は新入生と陽を引き連れて、どこになにがあるかを説明しながらコートの端を歩いていた。その時、突然「危ない!」という声が遠くで聞こえてきたが、声の方を振り向いた時には目の前に見慣れた背中があり、朔夜は目を瞠る。自分よりも十センチほど背の高い幼馴染は、まるで壁のようだった。

「ごめん、大丈夫だったか?」
「はい、平気です」

 その声はいつもの優羽の穏やかな声音で、先ほどまでの不機嫌状態はどうやら解除されたようだ。手にはこちらに飛んできたらしいバスケットボールがのっており、そのままボールの持ち主に返された。

「優羽、ありがとな? いてくれなかったら反応遅れたかも」

 咄嗟の動きができない今の朔夜にとって、優羽の対応はすごく助かった。

「気にしなくていいよ。それより足は大丈夫?」
「ああ、大丈夫。みんなも、こんな風にたまにボールが飛んできたりするから、ぼーっとしないようにな〜?」

 はい、と優羽以外の一年生たちが答えた。その後、初心者と経験者に分かれて行動することになり、ボールを使った簡単なゲームで楽しんでもらうことで、入部したいという気持ちを少しでも高めようと常に笑顔で朔夜は対応した。

 それから初心者も練習に混ざって体験する流れになり、朔夜も普段のマネージャーとしての仕事に戻ることになる。

 ゴール下でボールのカゴを横に置き、その場でパスを均等に出し続ける。朔夜からの絶妙なタイミングのパスをもらってシュート。自分でボールを拾い、カゴに戻すのが一連の流れだ。

「よーし。今日の練習はこれで終わり。一年は俺のところに来て。二年は後片付け頼んだぞ〜。三年は各自解散」

 部長の声が体育館に響く。隣で練習していた女子部員や、体育館の上の観覧スペースで活動していた他の部活もちょうど終わったようだ。

「あ、あとは俺がやっとくから、みんなは帰っていいよ。鍵もさっき預かってきたから」

 ホント助かる! と、モップを片付けた同級生たちが部室兼更衣室の方へと向かう後ろ姿を見送る。虚しさなんてそこにはない。裏でなんと言われていようが、マネージャーとして残ると決めた時点でそこは割り切っていた。

 最後のチェックをして、他の部活の部員たちにも声をかけ、ようやく朔夜も着替えるために更衣室へと入ろうと手をかけたちょうどその時、目の前の扉が自動的に開かれる。

「陽?」

 目の前に現れたのは、すでに制服に着替え終わって出てきた陽だった。少し驚いた様子で見上げてくる朔夜に対して、どこか申し訳なさそうに目を細めた陽。どした? と朔夜は訊ねる。

「すまない。自分から手伝うと言っておいて、ほとんどなにもできなかった」
「いやいや。陽があんなこと言ってくれるとは思わなかったし、すごく助かった。ありがとな。また気が向いたら一緒にやってくれると嬉しい」
「なら、良かった……」

 へへ、と朔夜は自分に気を遣ってくれたのだろう友人の肩に右手を置き、ぽんぽんと二度ほど弾ませた。時間があれば最後まで残っている朔夜をフォローしてくれるような、実はすごくいい奴なのだ。

 無口で近寄りがたい雰囲気から、皆に距離を置かれている感じがする陽。朔夜にしてみれば全然そんなことはなく。クールで才能もあって顔も良くて、さりげなく優しい。それ故に、もったいないと朔夜はいつも思っていた。

(隠れファンがめちゃくちゃいるとは聞いてるけど、なんかわかる気がする)

 よく陽のことについて女子たちから相談を受けることがあった。好きなものとか、誕生日とか、休みの日どこに行ってるのか、とか? 話しやすい朔夜に訊いてくるのだ。

 陽とはそこで別れ、ようやく更衣室の中へと入った。もう誰もいないと思っていたのに、入ってすぐに扉の左側から人の気配を感じた。

「仲良いんだね、あのひとと」
「……っくりした⁉︎ って、なんだ優羽か」

 完全に油断していた状態でのこの不意打ちに、バクバクと心臓がうるさい。はあ、とひと呼吸したのも束の間、後ろの方でカチッという鍵をかける音が響く。

「朔くんに知っててもらいたいことがある」

 優羽は扉を背にした状態でそう呟き、なぜか更衣室の電気を消してしまった。