春の光は、急がない。冬の間に固まったものの輪郭を、少しずつほぐし、白石の列の影に沿って淡く満ちていく。灰の渡しの縄印は、朝ごとにほんのわずか、重さを手放しては水の匂いを纏い直し、昼には風に揺れて金具の鳴る乾いた音を返した。境界は解かれていく、だが、消えるのではない。解かれるとは別の形で、そこに残る。無色の旗の縁が、陽に温まり、影を薄くしていくたびに、それがよくわかった。
王は、王宮の高みでは仕事をしなかった。春が定着するにつれ、彼が立つ場所は、市の広場の「名の学校」の縁に移った。古い倉を改装した棟は、冬に張り巡らされた布の匂いをまだ少しだけ残している。柱に触れると、糸の節のざらつきが指に移る。壁には子どもたちが描いた写しの板が並び、誤字と脱字の上に、赤の丸が躍っている。丸は叱責ではなく、笑いの印だ。狐火の書生がそう決めた。誤りは残す。残すなら、笑いも一緒に残す。
午前の「読みの刻」が始まると、子どもたちは名板の写しの前に楔形に座り込む。冬の間に小さかった背も、春の光を吸ってほんの少し伸びた。狐火の書生は、手製の黒板に粉で円を描く。ひとつの円は「正」、もうひとつは「誤」。二つの円が半分重なるところに、彼は真っ先に赤丸をつける。そして言う。
「ここを、いちばん大切にする。真ん中に来る“間違い”は、次の正しさの芽だよ」
子どもは笑い、誰かがわざと誤字を書いて見せ、別の誰かがその字に赤丸を足す。笑いの輪が広がるとき、王はいつも、冬の広場を思い出す。裂け目を縫った秤の周りに集まった、張り詰めた目と、寒さで白くなる息。あのときも、彼は長く語らなかった。ただ、秤を修繕し、板を立て直し、旗を縫い合わせた。いまここで、子どもの掌が糸を運び、名の線に赤丸を添える。伝えるべきことは、伝えようとする意志から離れて、習慣になっていく。
狼煙番の少年は、授業のたびに鏡を手に走り回る。鏡は四枚。季節の分だけあり、裏面にうっすらと刻まれた風の文様が、手の汗で輝きを増している。彼はいつも、教室の外の陽を一度だけ借り、黒板の隅に光の点を走らせてから、屋根の梁に反射光を返す。そのあとで、紙芝居のように子どもたちに問いかける。
「光はどこから来て、どこへ行った?」
「塔からきて」「渡しへ行く」「黒板の角で跳ねた」
答えはばらばらで、それでいい。ばらばらな答えが積もる場所に、板の幅が生まれる。王は、そのばらつきを愛していた。ばらつきが秩序を壊すのではない。ばらつきを並べる板が、秩序を作るのだ。
畦頭の若者は耕作の合間に授業へ顔を出す。柄隊の長だった頃の堅い背中は、耕作の腰と肩の使い方を覚え、柔らかくなった。彼は「道具の刻」で、井戸の木蓋の蝶番の油差しを教え、畦の石を詰めるときにどの石を先に置くかを実演する。冬の返還式で釘になった短剣の鋼が、蝶番になり、留め具になり、見えないところで人の暮らしを留め続ける。子どもがその蝶番を指先で弾いて、金属の薄い音を聞くとき、彼の目は遠い。自分の背中を冬の焔番の火が温めた夜を、ふと思い出しているのかもしれない。
老女は、縫いの卓の端に静かに座っている。冬じゅう、彼女は同じ位置で糸を結び続けた。春になっても場所は変えない。糸を通し、結び目を確かめ、余りを切る。その所作の美しさに、技巧はない。ただ、数と時間がある。名板に縫い目を残すことに、彼女は意味を求めない。息のように、そこに結び目を増やす。彼女の指は、冬の凍える朝に、息子の名の前で合わせた形をまだ覚えている。その記憶が痛いとき、糸の端のほつれを見つめると痛みが薄れる。痛みが薄くなると、糸のほうに新しい艶が生まれる。こうして季節は、個人の傷をそのままにしておかない。
藍珠は、剣を持たずに子を肩車した。肩車ができる肩幅。肩の骨のうえに、子の両足が軽い。昔なら、剣の重さで肩はいつでも痛かっただろう。いまは、痛みの質が違う。子どもを降ろすと、彼はその子に鞘の役割を説明する。封印札には触らせない。ただ、鞘の革を遠目に見せて「これがあるから、剣は出てこない」と言い、鞘の隣に置いた秤と板と鏡を指さす。「こっちが、毎日働く剣だ」
楓麟は「風の読み方」を笑い混じりに語った。塔から見下ろす視線と、地面すれすれの草の匂いを同じ文のなかに入れる語りは、詩のようであり、手順書のようでもある。彼はときおり、教室の外の路地の風の曲がり方を再現してみせる。両手で空気の層を掬い、指の隙間に風が通る角度を見せる。子どもは真似をして、掌で風を数える。数えるうちに、秤の目盛りが意味を持ち、板の字が読むべき理由を持つ。
昼過ぎ、広場の端に無色旗が立ち、紅月からの使者が姿を見せた。季節ごとの鏡の交換は、儀であり、実務であり、遊びでもある。凛耀は痩せてはいたが、姿勢は昔より軽い。「共板」の前で、彼は自分の名の位置を指で確かめ、それから王に新しい鏡を手渡す。背に控えた書記が小声で言う。
「仮板から、正式の共板へ移しました」
「よく、移した」
王は短く答える。移した、と言えるまでに、何度も移しかけを止め、欄の名前を入れ替え、朱の注記を入れ直す作業があっただろう。紙は、軽い。だが、紙を動かす手は、重い。
使者たちは無色旗の下で共同の灯をともす。灯は一本ずつ増えていく。火は、冬の焔番の火とは違う。威圧ではなく、印の火。火が落ちれば、風が拾う。風が拾えば、鏡が返す。王は灯の揺れ方で、今日の風が乾いているか湿っているかを測る。乾きは秤の皿に響く。湿りは板の紙に響く。そのどちらも、増減の理由として数える。怒りを数えず、火にするのは簡単だ。数えるのは難しいが、数えたものは火になりにくい。
王は「名を残す」という言葉を、春になってからほとんど口にしなかった。代わりに、「名を読む」「名を縫う」「名を写す」「名を並べる」「名を磨く」「名を移す」——動詞だけを使った。動詞は、儀を日常に変える。日常は、誰かがいなくても続く。制度は、儀になるときに変質し、儀は、習慣になるときに軽くなる。軽くなったものだけが、人を動かす。重いままのものは、いずれ誰かの上に落ちる。
午後の「道具の刻」の終わりに、狐火の書生は『名の本』の新しい挿絵を子どもたちに見せた。板の縁の銅が春の光を跳ね返し、縫い目が薄い影を取り戻す絵だ。絵の下に小さな字で、「空白は呼びかけ」と書かれている。冬、空白は白かった。春、空白は薄い黄に染まった。黄は、呼びかけの色だ。呼びかけは、命令ではない。呼ばれる側に、返す自由があるから呼びかけなのだ。
夕暮れが近づくと、狼煙番の少年が教室の外に子どもたちを連れ出した。灰の渡しの水面に、塔からの反射が走る時間だ。少年は鏡を配り、持ち方の角度を示す。数度、上下を逆に持った子がいて、そのたびに光の点が白石の列から外れた草むらの上で跳ねた。跳ねた光を見て、王は笑う。外れる。外れることを、春は許す。外れないものに囲まれっぱなしだった冬を思えば、それだけで救いだった。
子どもたちの鏡から、返しの光が走る。白石列、緩衝の野、灰の渡し、塔。点は点へ、線は線へ。鏡の文法は、もう彼らの身体に入っている。冬に凍える手で持った鏡は、春に汗で滑る。滑りそうになると、隣の子が自分の鏡の角で手を支える。支えられた手は、次の子の手を支える。こうして、光は遅い方法で早くなる。
王は目を閉じた。言葉にする代わりに、胸のうちでひとつだけ刻む。「剣を抜かずに国を残した」。誓詞の板に書いた条が、脳裏で薄くなぞり直される。名を消さない。嘘で鍋を満たさない。剣で秤を動かさない。空白を恥にしない。光で監査する。どの条も、板が、秤が、鏡が、もう語っている。彼の声は要らない。声が要らないのは、王という役割にとって、敗北ではない。役割が要られるための、完成の仕方だ。
藍珠は隣で、子どもに肩車をねだられて笑っていた。肩車は重い。だが、重いものを持つことに身体が慣れている。剣の代わりに子どもを載せる肩は、冬の剣よりもゆっくりと燃える。楓麟はその向こうで、風の話を続けていた。「風はいつも嘘つきだ」と彼は笑いながら言う。「だから、板で捕まえる。秤で測る。光で暴く。嘘つきの風と付き合うには、嘘をつかない道具がいる」
老女は縫いの卓の糸を片付け、帰り支度をする。その背を追うように、かつて名板の刃を振るった男が銅縁の布をかけていた。男は、今も板に自分の名を持たない。だが、彼の手が磨いた縁は、人の目を導く。名前より先に、目がある。目が先に板に行き、名があとから追いつく。そういう順路が、この春に定着した。
共板の前では、凛耀が最後の挨拶をした。「季節ごとに光を」と彼は言い、鏡の角を指で確かめてから、無色旗の下に戻っていった。彼の国では、仮板が正式に法に組み込まれ、剥がした名は必ず仮板に残されることになった。空白は数えられ、数えられた空白は秋分に読み上げられる。白風で生まれた方法が、他の地でも、別の季節の匂いを帯びて息をする。方法は移る。移るとき、形が少し変わる。その変わり方を見るのも、鏡の仕事だ。
広場の片隅に、かつて争水板の焦げ跡があった。いまも焦げは残っている。そこだけ黒く、板の木目が深い。子どもがその前で立ち止まり、指でなぞる。「ここが焼けたの?」と問う。狐火の書生が頷く。「声を剥がしたから、火になった。だから、剥がさない。声は、板に貼る。貼った声は、秤にかけられる。秤にかけられた声は、刃にならない」
粥の列は、もう凍らない。冬の「雪中列」は、春の「影の列」に形を変えた。日差しの強い午後、列の足元には旗がつくる影が寄り添い、焔番の場所には小さな水瓶が置かれた。倒れた者がいれば、水で額を拭い、布で口を覆う。医の館の若い官が、その場で口覆い布の洗い方を教える。かつて病の戸口だった井戸は、春に「清めの座」に転じ、子どもが落ちないように柵の綱が太くなった。冬に数えた空白は、春に別の仕事の枠へ流される。流されたものは、流れながら隅に貯まる癖を持つ。楓麟はその癖を見つけては、小石を置いた。小石が、流れの角を丸くする。
王は、時折、教室の屋根の上に上った。屋根は白石列の高さよりも低いが、広場の全体が見える。秤の柱は、冬よりも太く見え、板の面は、冬よりも白く見える。白さは空白ではなく、余白だ。余白には、すでに薄い跡がいっぱいある。糸で擦れた跡、指で押された跡、光が焦がした小さな黒点——それらは、名が書かれる前の名の影だ。影は、まだ名前がないものの形を映す。春は、その影を嫌わなかった。影と明かりの両方を並べて、まぶしさで目が痛くならないように、灯と旗を置いた。
日が落ちる少し前、王は広場の中央で、ひとりの子に呼び止められた。冬に紅月の小旗を差し出して泣いていた少年——いまは「雪労」の朱丸が冬板の名の隣に付いている——が、鏡を胸に下げて走ってきた。
「王さま。きょうは、光、三度返せた」
「そうか」
「最初は、畦の石に当たった。でも、二度目は、旗へ行って、三度目は、渡しへ届いた」
「三度で、道になる」
少年は胸を張り、それからふと顔を伏せた。
「父の名、まだ“仮”のまま」
「仮とは“まだ”だ」
王は冬に同じ言葉を別の若者に返した。言葉は、一度だけ使って終わるものではない。春には、同じ言葉が別の湿りを帯びる。
「まだ、道の途中」
「うん」
少年は鏡を握り直し、走っていった。走る背中は細く、しかし、冬よりも高く揺れている。背中の高さは、国の高さと比例しない。だが、背中の高さに合わせた旗の位置を決めるのは、王の仕事だった。
名の学校の戸締まりを見届け、王は名守たちに軽く礼をして、広場を離れた。遠くの白石列が、最後の光を縁で跳ね返している。灰の渡しの水面を渡る風は、冬の角ばった冷たさを失っていた。春が安定する——それは、重みが均されることではない。重みを分けて持つ手が増えることだ。秤の柱は一本だが、皿に小石を置く手は何本でもよい。
王宮の回廊で、藍珠と楓麟が待っていた。藍珠は、木箱に入れた剣の封をもう一度確かめ、箱の蓋に新しい紐を通した。楓麟は窓から風をすくい、鼻先で匂いを測った。
「西のほう、麦の粉の匂い」
「粉は夏を呼ぶ」
「夏は、刃の匂いが薄いといい」
藍珠が笑い、王は頷く。剣を抜かずに、国を残す。冬に誓った言葉は、春の習慣の中で薄くなり、薄くなった分だけ深くなる。声にする必要はない。板が語る。秤が語る。糸が語る。名が語る。
夜、灰の渡しの水面に、塔からの反射が再び走った。子どもたちの返しの光が、その上を追いかける。鏡の光は刃ではない。傷をつけない。だが、影を生む。影は名の輪郭を浮かび上がらせる。輪郭がはっきりすれば、人はそこに線を引ける。線が引ければ、越えないことを約束できる。約束は、剣より遅いが、剣より長い。
板の余白には、空白の札がまだ並んでいる。白い空白、黄の空白、薄く灰がかった空白。書き手の指先の温度で、色は日ごとに変わる。そこにいつか、新しい名が書かれるだろう。書かれた名は、すぐに濃くなるかもしれない。薄いまま季節を越えるかもしれない。剥がれることも、あるかもしれない。そのすべてを、板は受け止める。秤は、釣り合いを探す。鏡は、嘘を嫌う風の角度を照らし出す。鍬は、名のために土を返す。糸は、縫い目を増やす。
物語は、ここで閉じる。閉じるとは、終わることではない。板の端をそっと押さえ、風が紙を剥がしとらぬように、重りを置くことだ。余白は未来を呼び込みつづける。余白があるかぎり、名は増える。名が増えるかぎり、秤は働く。秤が働くかぎり、剣は箱の中で眠っていられる。
王はそれを知っていた。だから、声にしない。胸のうちでだけ、ゆっくりと一度だけ言う。「名を残す王」と呼ばれたことの意味は、きっと自分の先にある。彼の名は板に書かれる。紙の上で、季節とともに薄くなり、それでも消えない。消えないのは、板がそこにあるからだ。板を支える柱は、一人の手では抱えられない太さになった。抱えられないから、分けてもつ。分けて持つために、学校がある。儀がある。習慣がある。旗がある。光がある。糸がある。
塔の上の狼煙番の少年が、最後の反射を返し終え、鏡を胸にかかえて階段を降りる。名の学校の戸の前で、狐火の書生が黒板を拭き、畦頭の若者が蝶番の油差しの蓋を締め、老女が糸の端に小さな結び目をつくる。藍珠は木箱の鍵を確かめ、楓麟は窓を閉める。王は広場を振り返り、板の余白が夜の最初の星を受けるのを見て、頷いた。
明日の名を書く手が、もう眠っている。手は眠る。板は眠らない。風は嘘をつく。鏡は返す。秤は揺れる。鍬は待つ。糸はほどける。ほどけたものを、また結ぶ者がいる限り、この国は、剣を抜かずに残る。
無色の旗が、夜の風にほとんど音を立てずに揺れた。遠くで犬が一度だけ吠え、すぐに黙った。水音が暗闇の底で控えめに笑い、白石の列は月の縁を撫でるように光った。板の紙は、まだ温かい。そこに、名が来る。来ない名もある。それでも、余白は待つ。待つということが、国のかたちなのだと、王は目を閉じて静かに思った。そうして、唇の内側で、ごく短い祈りを結ぶ。祈りは誰に届かなくてもよい。板が受け取る。秤が釣り合う。鏡が返す。鍬が起こす。糸が縫う。——春の光は、それらすべての上で等しくほどけ、また結ばれた。物語は、もう、板の仕事で続いていく。
王は、王宮の高みでは仕事をしなかった。春が定着するにつれ、彼が立つ場所は、市の広場の「名の学校」の縁に移った。古い倉を改装した棟は、冬に張り巡らされた布の匂いをまだ少しだけ残している。柱に触れると、糸の節のざらつきが指に移る。壁には子どもたちが描いた写しの板が並び、誤字と脱字の上に、赤の丸が躍っている。丸は叱責ではなく、笑いの印だ。狐火の書生がそう決めた。誤りは残す。残すなら、笑いも一緒に残す。
午前の「読みの刻」が始まると、子どもたちは名板の写しの前に楔形に座り込む。冬の間に小さかった背も、春の光を吸ってほんの少し伸びた。狐火の書生は、手製の黒板に粉で円を描く。ひとつの円は「正」、もうひとつは「誤」。二つの円が半分重なるところに、彼は真っ先に赤丸をつける。そして言う。
「ここを、いちばん大切にする。真ん中に来る“間違い”は、次の正しさの芽だよ」
子どもは笑い、誰かがわざと誤字を書いて見せ、別の誰かがその字に赤丸を足す。笑いの輪が広がるとき、王はいつも、冬の広場を思い出す。裂け目を縫った秤の周りに集まった、張り詰めた目と、寒さで白くなる息。あのときも、彼は長く語らなかった。ただ、秤を修繕し、板を立て直し、旗を縫い合わせた。いまここで、子どもの掌が糸を運び、名の線に赤丸を添える。伝えるべきことは、伝えようとする意志から離れて、習慣になっていく。
狼煙番の少年は、授業のたびに鏡を手に走り回る。鏡は四枚。季節の分だけあり、裏面にうっすらと刻まれた風の文様が、手の汗で輝きを増している。彼はいつも、教室の外の陽を一度だけ借り、黒板の隅に光の点を走らせてから、屋根の梁に反射光を返す。そのあとで、紙芝居のように子どもたちに問いかける。
「光はどこから来て、どこへ行った?」
「塔からきて」「渡しへ行く」「黒板の角で跳ねた」
答えはばらばらで、それでいい。ばらばらな答えが積もる場所に、板の幅が生まれる。王は、そのばらつきを愛していた。ばらつきが秩序を壊すのではない。ばらつきを並べる板が、秩序を作るのだ。
畦頭の若者は耕作の合間に授業へ顔を出す。柄隊の長だった頃の堅い背中は、耕作の腰と肩の使い方を覚え、柔らかくなった。彼は「道具の刻」で、井戸の木蓋の蝶番の油差しを教え、畦の石を詰めるときにどの石を先に置くかを実演する。冬の返還式で釘になった短剣の鋼が、蝶番になり、留め具になり、見えないところで人の暮らしを留め続ける。子どもがその蝶番を指先で弾いて、金属の薄い音を聞くとき、彼の目は遠い。自分の背中を冬の焔番の火が温めた夜を、ふと思い出しているのかもしれない。
老女は、縫いの卓の端に静かに座っている。冬じゅう、彼女は同じ位置で糸を結び続けた。春になっても場所は変えない。糸を通し、結び目を確かめ、余りを切る。その所作の美しさに、技巧はない。ただ、数と時間がある。名板に縫い目を残すことに、彼女は意味を求めない。息のように、そこに結び目を増やす。彼女の指は、冬の凍える朝に、息子の名の前で合わせた形をまだ覚えている。その記憶が痛いとき、糸の端のほつれを見つめると痛みが薄れる。痛みが薄くなると、糸のほうに新しい艶が生まれる。こうして季節は、個人の傷をそのままにしておかない。
藍珠は、剣を持たずに子を肩車した。肩車ができる肩幅。肩の骨のうえに、子の両足が軽い。昔なら、剣の重さで肩はいつでも痛かっただろう。いまは、痛みの質が違う。子どもを降ろすと、彼はその子に鞘の役割を説明する。封印札には触らせない。ただ、鞘の革を遠目に見せて「これがあるから、剣は出てこない」と言い、鞘の隣に置いた秤と板と鏡を指さす。「こっちが、毎日働く剣だ」
楓麟は「風の読み方」を笑い混じりに語った。塔から見下ろす視線と、地面すれすれの草の匂いを同じ文のなかに入れる語りは、詩のようであり、手順書のようでもある。彼はときおり、教室の外の路地の風の曲がり方を再現してみせる。両手で空気の層を掬い、指の隙間に風が通る角度を見せる。子どもは真似をして、掌で風を数える。数えるうちに、秤の目盛りが意味を持ち、板の字が読むべき理由を持つ。
昼過ぎ、広場の端に無色旗が立ち、紅月からの使者が姿を見せた。季節ごとの鏡の交換は、儀であり、実務であり、遊びでもある。凛耀は痩せてはいたが、姿勢は昔より軽い。「共板」の前で、彼は自分の名の位置を指で確かめ、それから王に新しい鏡を手渡す。背に控えた書記が小声で言う。
「仮板から、正式の共板へ移しました」
「よく、移した」
王は短く答える。移した、と言えるまでに、何度も移しかけを止め、欄の名前を入れ替え、朱の注記を入れ直す作業があっただろう。紙は、軽い。だが、紙を動かす手は、重い。
使者たちは無色旗の下で共同の灯をともす。灯は一本ずつ増えていく。火は、冬の焔番の火とは違う。威圧ではなく、印の火。火が落ちれば、風が拾う。風が拾えば、鏡が返す。王は灯の揺れ方で、今日の風が乾いているか湿っているかを測る。乾きは秤の皿に響く。湿りは板の紙に響く。そのどちらも、増減の理由として数える。怒りを数えず、火にするのは簡単だ。数えるのは難しいが、数えたものは火になりにくい。
王は「名を残す」という言葉を、春になってからほとんど口にしなかった。代わりに、「名を読む」「名を縫う」「名を写す」「名を並べる」「名を磨く」「名を移す」——動詞だけを使った。動詞は、儀を日常に変える。日常は、誰かがいなくても続く。制度は、儀になるときに変質し、儀は、習慣になるときに軽くなる。軽くなったものだけが、人を動かす。重いままのものは、いずれ誰かの上に落ちる。
午後の「道具の刻」の終わりに、狐火の書生は『名の本』の新しい挿絵を子どもたちに見せた。板の縁の銅が春の光を跳ね返し、縫い目が薄い影を取り戻す絵だ。絵の下に小さな字で、「空白は呼びかけ」と書かれている。冬、空白は白かった。春、空白は薄い黄に染まった。黄は、呼びかけの色だ。呼びかけは、命令ではない。呼ばれる側に、返す自由があるから呼びかけなのだ。
夕暮れが近づくと、狼煙番の少年が教室の外に子どもたちを連れ出した。灰の渡しの水面に、塔からの反射が走る時間だ。少年は鏡を配り、持ち方の角度を示す。数度、上下を逆に持った子がいて、そのたびに光の点が白石の列から外れた草むらの上で跳ねた。跳ねた光を見て、王は笑う。外れる。外れることを、春は許す。外れないものに囲まれっぱなしだった冬を思えば、それだけで救いだった。
子どもたちの鏡から、返しの光が走る。白石列、緩衝の野、灰の渡し、塔。点は点へ、線は線へ。鏡の文法は、もう彼らの身体に入っている。冬に凍える手で持った鏡は、春に汗で滑る。滑りそうになると、隣の子が自分の鏡の角で手を支える。支えられた手は、次の子の手を支える。こうして、光は遅い方法で早くなる。
王は目を閉じた。言葉にする代わりに、胸のうちでひとつだけ刻む。「剣を抜かずに国を残した」。誓詞の板に書いた条が、脳裏で薄くなぞり直される。名を消さない。嘘で鍋を満たさない。剣で秤を動かさない。空白を恥にしない。光で監査する。どの条も、板が、秤が、鏡が、もう語っている。彼の声は要らない。声が要らないのは、王という役割にとって、敗北ではない。役割が要られるための、完成の仕方だ。
藍珠は隣で、子どもに肩車をねだられて笑っていた。肩車は重い。だが、重いものを持つことに身体が慣れている。剣の代わりに子どもを載せる肩は、冬の剣よりもゆっくりと燃える。楓麟はその向こうで、風の話を続けていた。「風はいつも嘘つきだ」と彼は笑いながら言う。「だから、板で捕まえる。秤で測る。光で暴く。嘘つきの風と付き合うには、嘘をつかない道具がいる」
老女は縫いの卓の糸を片付け、帰り支度をする。その背を追うように、かつて名板の刃を振るった男が銅縁の布をかけていた。男は、今も板に自分の名を持たない。だが、彼の手が磨いた縁は、人の目を導く。名前より先に、目がある。目が先に板に行き、名があとから追いつく。そういう順路が、この春に定着した。
共板の前では、凛耀が最後の挨拶をした。「季節ごとに光を」と彼は言い、鏡の角を指で確かめてから、無色旗の下に戻っていった。彼の国では、仮板が正式に法に組み込まれ、剥がした名は必ず仮板に残されることになった。空白は数えられ、数えられた空白は秋分に読み上げられる。白風で生まれた方法が、他の地でも、別の季節の匂いを帯びて息をする。方法は移る。移るとき、形が少し変わる。その変わり方を見るのも、鏡の仕事だ。
広場の片隅に、かつて争水板の焦げ跡があった。いまも焦げは残っている。そこだけ黒く、板の木目が深い。子どもがその前で立ち止まり、指でなぞる。「ここが焼けたの?」と問う。狐火の書生が頷く。「声を剥がしたから、火になった。だから、剥がさない。声は、板に貼る。貼った声は、秤にかけられる。秤にかけられた声は、刃にならない」
粥の列は、もう凍らない。冬の「雪中列」は、春の「影の列」に形を変えた。日差しの強い午後、列の足元には旗がつくる影が寄り添い、焔番の場所には小さな水瓶が置かれた。倒れた者がいれば、水で額を拭い、布で口を覆う。医の館の若い官が、その場で口覆い布の洗い方を教える。かつて病の戸口だった井戸は、春に「清めの座」に転じ、子どもが落ちないように柵の綱が太くなった。冬に数えた空白は、春に別の仕事の枠へ流される。流されたものは、流れながら隅に貯まる癖を持つ。楓麟はその癖を見つけては、小石を置いた。小石が、流れの角を丸くする。
王は、時折、教室の屋根の上に上った。屋根は白石列の高さよりも低いが、広場の全体が見える。秤の柱は、冬よりも太く見え、板の面は、冬よりも白く見える。白さは空白ではなく、余白だ。余白には、すでに薄い跡がいっぱいある。糸で擦れた跡、指で押された跡、光が焦がした小さな黒点——それらは、名が書かれる前の名の影だ。影は、まだ名前がないものの形を映す。春は、その影を嫌わなかった。影と明かりの両方を並べて、まぶしさで目が痛くならないように、灯と旗を置いた。
日が落ちる少し前、王は広場の中央で、ひとりの子に呼び止められた。冬に紅月の小旗を差し出して泣いていた少年——いまは「雪労」の朱丸が冬板の名の隣に付いている——が、鏡を胸に下げて走ってきた。
「王さま。きょうは、光、三度返せた」
「そうか」
「最初は、畦の石に当たった。でも、二度目は、旗へ行って、三度目は、渡しへ届いた」
「三度で、道になる」
少年は胸を張り、それからふと顔を伏せた。
「父の名、まだ“仮”のまま」
「仮とは“まだ”だ」
王は冬に同じ言葉を別の若者に返した。言葉は、一度だけ使って終わるものではない。春には、同じ言葉が別の湿りを帯びる。
「まだ、道の途中」
「うん」
少年は鏡を握り直し、走っていった。走る背中は細く、しかし、冬よりも高く揺れている。背中の高さは、国の高さと比例しない。だが、背中の高さに合わせた旗の位置を決めるのは、王の仕事だった。
名の学校の戸締まりを見届け、王は名守たちに軽く礼をして、広場を離れた。遠くの白石列が、最後の光を縁で跳ね返している。灰の渡しの水面を渡る風は、冬の角ばった冷たさを失っていた。春が安定する——それは、重みが均されることではない。重みを分けて持つ手が増えることだ。秤の柱は一本だが、皿に小石を置く手は何本でもよい。
王宮の回廊で、藍珠と楓麟が待っていた。藍珠は、木箱に入れた剣の封をもう一度確かめ、箱の蓋に新しい紐を通した。楓麟は窓から風をすくい、鼻先で匂いを測った。
「西のほう、麦の粉の匂い」
「粉は夏を呼ぶ」
「夏は、刃の匂いが薄いといい」
藍珠が笑い、王は頷く。剣を抜かずに、国を残す。冬に誓った言葉は、春の習慣の中で薄くなり、薄くなった分だけ深くなる。声にする必要はない。板が語る。秤が語る。糸が語る。名が語る。
夜、灰の渡しの水面に、塔からの反射が再び走った。子どもたちの返しの光が、その上を追いかける。鏡の光は刃ではない。傷をつけない。だが、影を生む。影は名の輪郭を浮かび上がらせる。輪郭がはっきりすれば、人はそこに線を引ける。線が引ければ、越えないことを約束できる。約束は、剣より遅いが、剣より長い。
板の余白には、空白の札がまだ並んでいる。白い空白、黄の空白、薄く灰がかった空白。書き手の指先の温度で、色は日ごとに変わる。そこにいつか、新しい名が書かれるだろう。書かれた名は、すぐに濃くなるかもしれない。薄いまま季節を越えるかもしれない。剥がれることも、あるかもしれない。そのすべてを、板は受け止める。秤は、釣り合いを探す。鏡は、嘘を嫌う風の角度を照らし出す。鍬は、名のために土を返す。糸は、縫い目を増やす。
物語は、ここで閉じる。閉じるとは、終わることではない。板の端をそっと押さえ、風が紙を剥がしとらぬように、重りを置くことだ。余白は未来を呼び込みつづける。余白があるかぎり、名は増える。名が増えるかぎり、秤は働く。秤が働くかぎり、剣は箱の中で眠っていられる。
王はそれを知っていた。だから、声にしない。胸のうちでだけ、ゆっくりと一度だけ言う。「名を残す王」と呼ばれたことの意味は、きっと自分の先にある。彼の名は板に書かれる。紙の上で、季節とともに薄くなり、それでも消えない。消えないのは、板がそこにあるからだ。板を支える柱は、一人の手では抱えられない太さになった。抱えられないから、分けてもつ。分けて持つために、学校がある。儀がある。習慣がある。旗がある。光がある。糸がある。
塔の上の狼煙番の少年が、最後の反射を返し終え、鏡を胸にかかえて階段を降りる。名の学校の戸の前で、狐火の書生が黒板を拭き、畦頭の若者が蝶番の油差しの蓋を締め、老女が糸の端に小さな結び目をつくる。藍珠は木箱の鍵を確かめ、楓麟は窓を閉める。王は広場を振り返り、板の余白が夜の最初の星を受けるのを見て、頷いた。
明日の名を書く手が、もう眠っている。手は眠る。板は眠らない。風は嘘をつく。鏡は返す。秤は揺れる。鍬は待つ。糸はほどける。ほどけたものを、また結ぶ者がいる限り、この国は、剣を抜かずに残る。
無色の旗が、夜の風にほとんど音を立てずに揺れた。遠くで犬が一度だけ吠え、すぐに黙った。水音が暗闇の底で控えめに笑い、白石の列は月の縁を撫でるように光った。板の紙は、まだ温かい。そこに、名が来る。来ない名もある。それでも、余白は待つ。待つということが、国のかたちなのだと、王は目を閉じて静かに思った。そうして、唇の内側で、ごく短い祈りを結ぶ。祈りは誰に届かなくてもよい。板が受け取る。秤が釣り合う。鏡が返す。鍬が起こす。糸が縫う。——春の光は、それらすべての上で等しくほどけ、また結ばれた。物語は、もう、板の仕事で続いていく。



