古い倉は、春の光を待っていたみたいに梁のほこりを柔らかく浮かせ、柱の節目から沁み出す樹脂の匂いが、冬の火鉢では掬いきれなかった甘さで室内に広がっていた。扉を開け放てば、市の広場のざわめきと、白石列のほうから返ってくる鏡の反射が、微粒の舞いに縞を描く。王はその敷居に立ち、静かに頷いた。ここが「名の学校」——「なまなび」の始まりになる。

 壁には、名板の写しが等間隔に掛けられた。本物の板と見紛うほどの丁寧な写しだが、敢えて薄布で隅を覆っている。子どもが、すぐに撫でたくなるからだ。取り消し線もそのまま写してある。誤りは誤りのまま残し、誤りが直されたという事実も、薄い朱の点と細い注釈で残す。冬から春へ渡る間に、王は何度もその原則を繰り返してきた。消したものは、次の嘘を呼ぶ。残したものは、次の手順を呼ぶ。

 中央の長卓には、教具が並んだ。小さな秤と水桶、井戸の木蓋は工営司の手で磨かれ、塩度桶は検塩所の印と目盛がはっきり読めるように薄く墨を差してある。砂時計は大小三つ、鏡は四枚。どれも手の大きさに合わせて違う重さで、子の手に渡された時に「持った」と感じられる程度に調整されている。そして、鞘に収まった短剣が一本。封印札で斜めに縛られ、上には薄い布が掛けられた。触れられないように、近寄ればわかる「距離」を纏わせるための布だ。

 「目で学ぶ教室」。王はそう呼んだ。耳ではなく、目と、手で。冬の間、口だけで生き延びることはできなかった。火を見て、水を見て、列を見て、秤を見た。だから春は、見えるものを中心に置く。

 開校を告げる布告が広場に貼られ、朝、最初の子どもたちが連れられてやって来た。緩衝の野から移ってきたばかりの粗末な靴の子、城下の職人の家の子、狼煙台の麓の村から鏡を抱えて走ってきた子、名の列の前で冬じゅう温手に立っていた老女に手を引かれた子。顔はばらばらだが、視線は似ていた。何かを見つけようとする目。冬が背中に置いていった、あの慎重と渇きの混じった目だ。

 授業は三つの柱で回すことに決められていた。一つ目は「読みの刻」。狐火の書生が黒板の前に立ち、板の写しの前で子らにチョークを渡す。彼はまず、取り消し線の一本を指差した。

「これはね、嘘を消した線じゃない。誤りを残す線だよ」

 子どものひとりが首をかしげた。「同じじゃないの?」

「違う。嘘は、消すと増える。誤りは、残すと減る」

 どっと笑いが起きる。「なんで?」と別の子が続ける。書生は笑いながら、黒板に丸い鍋の絵を描いた。鍋の中に「嘘」と書いた餅の絵と、「誤り」と書いた固い粒を投げ入れる。嘘の餅は煮るほど膨らみ、鍋から溢れる。誤りの粒は煮るほど柔らかくなって形が崩れ、鍋の味の中に溶けていく。

「ね、膨らむのはどっち?」

「嘘!」

「だから、消すふりをすると、かえって膨らむ。誤りは、残して、見て、次に同じことをしない約束に変える。残す方が、鍋の味は良くなる」

 子らはまた笑い、今度は板の写しの、小さな取り消し線の上を指で撫でた。細い朱が指先にほんの少し移り、指は自分のものではない匂いを一瞬持った。記録の匂い。それは春の匂いでもあった。

 二つ目は「秤の刻」。秤は裂け目を抱えた冬の本物ではない。だが、同じ職人が同じ手で作った同型のものだ。王は秤の前に立ち、子らに米を一握りずつ渡し、反対側には小さな水の杯を置かせた。狼煙番の少年が補助教員として、砂時計を配り、鏡を窓際で傾けて目盛に光を落とした。

「剣では、この釣り合いは動かない」王は言った。「剣は、秤の横で“在る”ことはできる。だが、皿に重さを足したり、引いたりはできない。できるのは、米を足す手、水を配る手、そして仕事の小石を置く手だ」

 子どもが小石を一つ掴み、皿の上に置いた。皿が、ほんのわずかに傾く。傾きは目に見えたが、音はしない。王は頷く。

「今、何が、動かした?」

「石」

「石は、何の形?」

「仕事」

「そう。働きは重く、剣は軽い。剣が重くなるのは、抜いたときだけだ。抜けば、秤は壊れる。だから、抜かない」

 狼煙番の少年が、鏡の角度を変え、針の影が濃くなるところを子らに示した。「時間も、重さになるよ」と彼は言った。「砂が落ちる間だけ配る。落ちる間に並ぶ。落ちたら、止まる。時間の秩序は、剣より強い」

 三つ目は「道具の刻」。工営の若い官が井戸の木蓋の扱い方を見せ、医の館の若い薬師が口覆い布の結び方を教えた。冬の清め場で使われた布の結び方は、子どもの手では難しいが、習えばできた。畦の石詰めは、小さい石から始める。大きな石は最後に乗せる。名板の縫いは、冬に繕いの儀で覚えたのと同じ糸と針で、別の板の切れ目を当て布で留める。

 教室の隅で、かつて「名板の刃」を振るった男が、黙って銅縁を磨いていた。彼は王の裁きに従い、名板の保守に服している。今はここで、銅の縁が春の湿りで曇らないように、薄い油を布に含ませて拭う。子どもの一人が近づき、彼の手元を覗き込んだ。

「ここ、光ってる。どうして?」

「磨いているから」

「なんで、磨くの?」

 男は少しだけ考えた。言葉はいつも遅く出る。彼は板の縁に布を当てたまま、答えた。

「切れたところは、縫った。でも、縫い目は、いつかまた開く。光っていれば、開くときがすぐわかる」

「光ってると、わかる?」

「うん。目が覚める」

 子どもが真似をしようとして、布に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。名守の女教師が微笑み、代わりに別の銅板を渡す。男はその小さな手の動きを見て、ほんの少し目を伏せた。彼の胸に、女の囁きが降りる。「名の無い手が、名を守っているね」。赦しの言葉ではない。仕事を認める言葉だった。彼の掌に、春の油が深く染みた。

 藍珠は週に一度だけ教室に来て、「鞘の刻」を持つ。彼が来る日は、広場の空気が少しだけ張り詰める。剣の匂いは、抜かれなくても、空気を引き締める役割を持っている。藍珠は子どもたちの前で、封印された短剣の棚に近づき、封印を解かないまま、布の上からそっと鞘に触れた。

「剣は、存在で抑止する」

 その言い回しは、彼の口から出ると硬さを減らし、子どもの耳に入ると少し丸まる。

「でも、抜けば、名を消す。だから、ここに置いてある。置いてあることが、力になる。……剣は記号に過ぎない。秤と板と鏡が、日常を守る剣だ」

 子どもたちは半分眠そうに、半分まぶしそうに彼を見た。眠気は彼を退ける気配ではない。眠気は、安心の印だ。剣がいま動かないとわかっているから眠くなる。藍珠はそれでよいと思った。彼は棚の横に用意された小さな台の上に、鍛冶が待機させてある折れた刃の破片を置き、薄い鉄の釘に打ち直す作業を見せた。柄穴は、畦板の留め具に変わっていく。

「刃の形は、留める道具になる」

 子どもが歓声を上げる。刃だったものが、畦の端を固定する役目に転ずる。剣は、剣でい続ける必要はない。役目を替えることができる。それを見せるのが、春の「鞘の刻」の白眉だった。

 楓麟は「風の刻」を持った。塔の上からの風の読み方、境界で鏡を返す角度、狼煙の薄さで遠距離の様子を推す推論——彼の言葉は詩のようだったが、同時に具体的な運用の手順に落ちていた。

「言葉より前に風がある。風に合わせて言葉を出すと、言葉は嘘をつかない。風に逆らって言葉を出すと、言葉は嘘つきになる。だから、板と秤がある。風が嘘つきにならないように、見える線で言葉を縛る」

 彼は鏡を斜めにして、窓の外の白石列に光を落とし、その跳ね返りを室内の板の写しに当てた。光は紙の朱字で柔らかく跳ね返り、子どもの頬の上に短い線を描いた。子らは手でその線を掴もうとして笑った。楓麟は笑わなかった。彼は細かく頷いて、風の向きを値踏みした。この国の言葉は、風に合わせて出す。それは冬に学んだ生き方でもある。

 授業の合間、王は教室の縁に立ち、名板の写しを眺めた。仮板はもう外縁からほぼ本板へ移っている。外縁に残るのは、空白の札と、紅月の遠い村々の「まだ」の名だ。凛耀の約束通り、剥がされた名は仮板に残され、秋分に本板へ戻された。しかし遠い村のいくつかは雪で途絶え、「まだ」のまま春になった。王は朱筆で、小さく付記した。「名は授業で強くなる。制度は授業で柔らかくなる」。

 その朱の横に、名守の老女が近寄り、指先で紙を押さえた。「柔らかい制度は、折れにくいね」

「そうだ。硬ければ、冬に割れる。柔らかさは、冬を越すための固さだ」

 王が答えると、老女は満足そうに頷いた。彼女は冬に「点線は心を削る。でも、消さないでほしい」と言った人だ。その言葉は、誓詞の最後に「名を道具にしない」と朱書きする王の手を、今も導いている。

 昼の後、ひとりの若者が教室の入り口で立ち止まっていた。緩衝の野から来た男——昨夏、柄を渡されて「重い」と言い、冬に焔番の火鉢を運び続けた彼だ。今は柄隊から種下ろし隊へ移る途中で、余った刻をここに使うらしい。彼は教室の隅で銅縁を磨く男の手元を見ていたが、やがて意を決して王に近づいた。

「あの、俺の名は、ここにもある?」

 王は彼の目を見た。目は冬よりも淡く、春の湿りで色が出ている。

「ある。板にも、秤の記録にも、柄隊の帳にも」

「道具の刻で、刃を釘にするやつ、すげえと思った」

「役目を残す。形を変えて」

「俺も、そうなるのかな」

「もう、なっている」

 若者は、らしくなく笑った。顔全体で笑おうとして、目だけが先に笑ってしまう。身体はまだ追いつかない。でも、追いつく。春は、そうやって人の形を少しずつ整える。

 「読みの刻」の終盤、狐火の書生が子どもに一枚の紙を配った。紙には短い文がある。「空白の札は“無い”ではない。“まだ”だ」。子どもたちはそれを声に出して読み、誰かが手を挙げて質問した。

「“まだ”って、どれくらい?」

「人によって違う」

「じゃあ、ずっと“まだ”の人もいる?」

「いる。だから、『数える』」

「なんで?」

「“まだ”を忘れないために」

 狐火の書生は自分で描いた図を指差した。空白の札を数える手の絵だ。数えた結果は、空白に仕事を割り当てる「空白の学び」へと繋がる。板は白い空白を抱え、白は仕事に変わる。子どもは空白を怖がらなくなる。数えられるからだ。

 午後の「秤の刻」では、狼煙番の少年が鏡で教室の天井に反射の点をいくつも作り、砂時計をひっくり返すタイミングと合わせて点を移動させる遊びをした。「列は点の連なりだよ」と彼は言う。「点と点の間に、嘘は入らない。入るのは、順番だけ」。子どもたちは笑い、点を追い、鏡を持つ手を代わる。手が鏡の重さを覚えるころには、鏡の角度の意味も覚える。

 「道具の刻」で、工営の官が井戸の木蓋を外し、毛細管の理を簡単な言葉で説明した。冬に王が井戸の理を子に教えて歩いたことが、ここで形になる。子どもは棒で水の線を描き、指でその線の端に小石を置く。小さな小石は、冬に学んだ「置く」ことを、春の手に移し替える。医の館の薬師は口覆い布を片手で結ぶ方法を教え、結んだ布を水で濡らしてから外した。「春でも、病はある」と彼は言う。「布は、剣より役に立つときがある」。子どもは頷き、布を胸に下げる。

 教室の外では、名守の女教師が、板の前で若い母親に字を教えていた。母親は自分の名を、長い時間をかけて紙に書いた。ひと文字ごとに息をした。息が文字の隙間を通り抜け、紙を少し湿らせる。冬の間、彼女は焔番に立ち続け、子を抱いて雪中列を歩いた。春に彼女が最初に欲しがったのは、配分でも、布でもなく、字だった。「字がないと、声が残らない」と彼女は言った。「声が残らないと、冬みたいに、消えるから」。女教師は頷き、彼女の筆を握る手に自分の指を重ねた。二人の手の重なりは短く、しかし濃かった。

 ある午後、藍珠の「鞘の刻」の終わりに、封印棚の前で小さな騒ぎが起きた。緩衝の野から来た少年が、封印札の紐を指で強く引いたのだ。名守の老女が素早くその手首を押さえ、藍珠がゆっくりとその手をほどいた。少年は唇を噛み、「強ければ守れると思った」と小さく言った。

「強いのは、紐じゃない」藍珠は言った。「強いのは、ほどく手の覚え方だ。ほどく手を覚えれば、結び直せる。紐は切るためにあるんじゃない。結ぶためにある」

「俺の村では、剣で守った」

「剣で守る日もある。境界では。でも、ここでは違う。ここで剣を抜けば、名が消える」

 少年は視線を落とし、封印札に額を寄せた。藍珠は彼の背に掌を置き、押さえない程度の重さで肩を支えた。重みは、安心の形になる。

 楓麟の「風の刻」では、凛耀の使いが寄贈した二枚の鏡が、子どもの手に渡った。紅月の鏡は背に雲と風の文様が刻まれていて、光の跳ね返り方が少し柔らかい。狼煙番の少年はその違いを説明し、鏡を持ち替える手の位置を微調整させた。子どもが「紅月の鏡は柔らかい」と言うと、楓麟は頷いた。「国によって、光の重さが違う」と。子どもは「重さ?」と首を傾げ、楓麟は笑った。「比喩だ」とだけ言った。比喩は、春の授業に少しずつ混ぜていけばよい。冬の授業は、比喩を薄くして具体に偏っていた。春は、少しだけ比喩を許す。余白が戻る。

 王は一日の終わりに教室を巡り、誰にも気づかれないように小さな紙片をいくつか貼った。秤の足元に「裂け目は縫ったまま」。鏡の棚に「光は言葉より速い」。井戸の木蓋に「蓋は閉じるためだけでなく、開けるためにもある」。短剣の封印札に「ここに在る」。紙片の字は小さく、読もうとしなければ読めない。読もうとする行為を、王は授業のうちに数えた。

 夕刻、春の雨が細く降った。教室の屋根を打つ音は弱く、しかし一定で、子どもが砂時計をひっくり返す音と合った。帰りの時刻の合図は鐘ではなく、砂だ。砂が落ちきったら帰る。帰る前に鏡を胸に下げ、砂時計を一度だけひっくり返す。それは「また明日」がここにあることの合図でもある。名守たちは戸締まりをし、板の布をかけ、火鉢の灰を掻き混ぜた。灰はまだ温い。温さは、明日へ持ち越せる。

 広場では、女たちが布を絞り、男たちが畦の小石を袋に入れて肩に担いで帰る。緩衝の野から来た者たちも、城下の者たちも、目線の高さが似通っていく。縫い目のように、違いを残したまま寄る。寄りすぎない距離に、春は透明の線を引く。

 王は扉の外に立ち尽くし、雨の匂いを吸い込んだ。遠くで、灰の渡しの縄印が湿って重さを増し、白石列の旗が音を吸いながらかすかに鳴っている。無色の旗は、色を吸うためにある。春の光を集め、夏の熱を逃がし、秋の影を柔らかくし、冬の硬さを短くする。子どもたちの髪に光の点が散っているのを見て、王は思った。継承の輪は、もう回り始めている。

     ◇

 翌週、教室の「読みの刻」で、狐火の書生は新しい絵を持ってきた。「誤りの美しさ」と題した紙だ。紙の中央に大きなバツ印。その上にさらに薄い取り消し線。そして横に小さな花の絵。「これはね」と彼は言った。「切り傷を縫った後の縫い目」。子どものひとりが、名板の縁の銅の光に触れながら言った。「名板の縫い目に似てる」。書生は頷き、黒板に「美しさ=残したこと」と書いた。子どもたちは「=」の意味を尋ね、書生は笑って「今日の“秤の刻”で」と返した。

 その「秤の刻」では、藍珠がゲストとして秤の横に立った。剣の鞘は今日、棚に置いたまま。彼は秤の皿の片側に、剣の柄と同じ重さの棒を置いた。

「これは、記号だ。剣の重さの代わり。ここに置いたって、秤は動かない。動くのは、米と水と小石だ」

 子どもは棒を持ち上げ、反対の皿に移した。秤は微動だにしない。子どもが笑い、王が笑い、藍珠も笑った。笑いは、剣を軽くする。軽さは、在り続けるための条件だ。

 「道具の刻」で、工営の官が、畦の石詰めの実地を教室の裏手の小区画で行った。子どもたちが石を落とすたび、石と石の間に小さな隙間ができる。隙間は春の水の通り道になる。官は言った。「隙間は悪くない。隙間があるから、水が行ける。全部を詰めれば、次の雨で崩れる」。子どもは頷き、石を置いた後に指で隙間をなぞった。指の腹が土の湿りで暗くなり、指先に春のにおいが残る。

 「風の刻」では、楓麟が子どもに「遠さ」を教えた。遠いものは小さい。小さいから軽いのではない。軽く見えるだけだ。重さは遠さで変わらない。だから、遠い紅月の「まだ」の名も重い。彼は鏡をわずかに傾け、遠くの白石列の影の端に光を当てた。光は細い線ではなく、点に近かった。「遠さは、点にする」と彼は言った。「点と点を繋げば、線になる」

 授業が終わる頃、ひとりの女が教室の入口に立っていた。冬に王へ「点線は心を削る」と言った老女ではない。緩衝の野から来て、まだ名の言い方がぎこちない若い母親だった。彼女は板の写しに近づき、自分の家の名を探して、見つけて、触れずに手を引いた。名守の老女がそっと、彼女の手の甲に自分の手を重ねた。「触れなくても、ある」。母親は頷き、小さな声で「ある」と言った。言葉が、春に馴染んだ。

 その日、王は名守たちと小さな会議を開いた。議題は「名の学校」の運営に関するものだったが、中心は別のところにあった。「名守」の一人が言った。「この教室は、板の写しを掛けている。でも、写しは写しだ。どこまで本物の代わりをさせる?」

「代わりはさせない」王は答えた。「ここにあるのは、板そのものではない。板を読める目、板を支える手を作る場所だ」

 名守は頷いて、黒板の端に小さく「手」と書いた。書いた手が、その文字の意味を持つ。王はそれを見て、心の中で一度だけ誓詞の最後の文を繰り返した。「名を道具にしない」。教室は、名を棒にする場所ではない。名で誰かを殴るための場所ではない。名を読むための目と、支えるための手を育てる場所だ。

 夜、教室の扉を閉めた名守たちが、広場の灯の下で短い立ち話をした。女教師が言う。「子どもは早いね」。老女が笑う。「大人は遅いよ」。緩衝の野の男は黙って頷いた。沈黙もまた、言葉の一つとして、春の夜に溶けていく。笑い声は低く、長く、そしてすぐ消えた。消える声は、翌日の朝の息へ変わる。

 王は遠くの塔を見上げ、鏡が置かれている場所を想像した。狼煙番の少年は、明日の授業のために鏡を磨き、角度を調整しているだろう。風は弱く、南へ流れている。灰の渡しの縄印は、今日より軽い。雨の水を手放し始めたからだ。

 継承は輪だ。輪は、誰かが強く引けば途切れ、誰かが手を離せば落ちる。手を離さず、強く引かず、余白を保って回す。それが、この国の春に決めたやり方だ。冬に剣を抜かなかったこと、その重みが、ここで手の教育に変わる。剣を抜かずに済むように、秤と板と鏡と、針が在る。鞘も在る。鞘の革は、春の湿りで柔らかい。

 雨足はさらに細くなり、広場に点々と濃い斑点を残した。斑点の間を子どもたちが走っていく。砂時計を胸に、鏡を服の内側に入れ、名を口の中で転がしながら。名を呼ぶ練習は、歌に似ている。歌える名は、消えにくい。歌えない名は、誰かが口ずさんで渡していく。名守たちは扉を閉め、板の布をかけた。布の上を、雨が静かに滑った。明日、また布は外され、目と手が板に触れる。その単純な反復が、制度をやわらかくし、名を強くする。輪は音を立てずに回り、春は、誰かの手の内で確かに太っていった。