雪は、色を持たないまま降り続いた。白石列の上に白が重なり、灰の渡しの縄印には霜の鱗がびっしりとついた。凍った川面の風は、刃の裏を指でなぞるような細い冷たさで、旗の布目を硬く強張らせている。冬の真ん中。北から来た雲の腹は重く垂れ、日輪は薄紙の向こうに押し込められてしまったかのようだった。
その白の奥から、紅月の使者が現れた。紅を示すものは身に纏っていない。灰色の毛皮の襟に、氷で重くなった履き、手には緑青を吹き始めた鏡の縁。名は、前にも一度、この渡しで名乗った男——凛耀。彼は無色の旗の下で立ち止まり、凍える空気の中で深く一礼した。息が白い貝殻のように口から割れ、すぐに空に吸い込まれる。
「白石会盟の延長を、願いに来た」
それが口火だった。続けて、彼は淡々とした声で条件を述べる。「今季、我らの北州は飢えに近い。兵糧庫の焼亡は止血できたが、蜃気楼みたいな蓄えしか残らない。白風から、粟の貸与を——」
最後の一語の手前で、彼の喉がわずかに凍る音がした。
渡しの縄印のこちら側に立つ王の近衛が視線を交わす。渡しの上、無色の旗がきしりと鳴り、その音に合わせるように狼煙番の少年の小さな鏡が一度だけ光る。合図は「聞いた」。
王都では、朝の評議が雪で遅れがちだったが、この日だけは呼子がいつもより低く、しかし遠くまで届いて鳴った。広間には冬板と名の板、秤の柱、焔番の火鉢、それから白旗と無色旗の絵解きが並んでいる。寒さに縮む墨の匂いと、人々の吐く息の白さが同じ高さで漂っていた。
商務の官が第一声を発した。「貸せるほど、粟があると?」 彼は帳面の数列を指で叩く。「市の粥はもう薄い。冬借の朱は増え、春借の黒は消えない。貸せば、板に嘘を書く」
工営司の若い官は反論した。「貸せば、春に返る。今、土は凍っているが、凍った土は、鍬で割ると綺麗に筋が立つ。筋に沿って水が走る季節が必ず来る。その時に、労で返させれば」
「境界を崩すな」法務の新任代行は真っ直ぐに言った。まるで自分自身へ言い聞かせるような硬さで。「一度、粟を渡せば『境界の粥』の線が曖昧になる。会盟の芯を薄める」
藍珠は剣の鞘の上に掌を置き、冷えた革に体温を分けるみたいに指を開いた。「貸すなら、剣で守れ。粟を載せた荷駄は狙われる。雪道はわかりやすい。軌跡も匂いも残る」
楓麟は窓の隙から、風を耳で撫でるように聞いた。「凍土は、音を吸う。軽い物でも、置き方を違えれば、そこから割れる。——重荷を置けば、裂ける」
王は、評議卓の上に置かれた三本の細紐を手に取った。白、灰、無色。冬の間に彼が好んで触るものは、重い剣でも熱い杯でもなく、こういう軽い道具だった。軽いもので、重いものを動かす練習は、ずっと続けている。
「粟は、貸さない」
それは短かったが、室内の空気の粒子を結び直すほどの重みを持つ短さだった。商務は目を閉じ、工営は息を呑み、法務は紙の角を強く揃え、藍珠は鞘から掌を離し、楓麟は頷いた。王は続ける。
「粟は貸さない。だが、凍土を崩す労なら貸せる。——雪を掘り、畦を直し、水の道を先に作る。その労を『貸す』。ここに、冬板がある。『名を貸す』。紅月から来た者の名を冬板に刻み、労を果たせば朱で囲む。……腹は返せない。名は返せる。名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
広間の隅で火鉢が小さく鳴った。湿った炭が内部で小爆ぜした音だ。その音を合図にするように、書記の手が走り、王の朱が紙をひと筆で横切る。「凍土の契り」。この冬の布告の名は、そこで決まった。
「契りの縄を張る」王はさらに言う。「灰の渡しにある縄印を増やす。一本では足りない。もう一本。互いに渡る。粟ではなく、労と名だけが渡る。雪が解けるまでの契り」
藍珠の黒い瞳が微かに揺れた。「縄を増やすと、夜、影が増える」
「影は増える。だから、無色の灯を増やす。鏡で合図を倍にする。あの少年に、もう一面、小鏡を渡せ」
楓麟の肩の布が、風に小さく揺れた。「風は北東から南東へ、薄く巻いている。雪は続く。縄は凍る。結びは固く。解く日を、先に決めて結べ」
◇
灰の渡しに、もう一本の縄が張られた。縄は太く、芯に細い銅線が通っている。凍れば硬くなるが、少しだけ撓る。撓りは、冬に必要な力だった。縄と縄の間は、人ふたり分の幅。渡る者はそこで止まり、名を読み上げる。無色の旗は二本、白風側と紅月側に一本ずつ。旗の間に、市兵の小屋から持ち出した机が置かれ、上には薄い板と朱墨と砂時計が並ぶ。板に刻まれるのは、冬の名。砂は、渡りの時間を測る。砂は、冬でも嘘をつかない。
最初に縄を握った紅月の若者は、頬の皮膚が裂けるほどの冷気に赤くなっていた。指は震え、小さくささくれだった爪の縁から血が滲む。彼の名を尋ねると、半拍遅れて声が返った。彼は名を言い慣れていなかった。亡命の名簿にも、炎逃れの名簿にも、彼の名はなかったのかもしれない。初めて雪に書かれる名。王はそれを冬板の左下に記す。書記がその名の右に薄く小さく「外から」と添えた。秋分の日に仮板から本板へ移したときと同じ注記の色だ。
「雪労、どこへ?」
若者は問う。目は、縄の向こうの白に怯え、縄のこちらの灰に戸惑っている。
「畦へ。凍った畦は、刃では割れない。柄で叩け。叩く回数は、砂に数えさせる。砂が落ちきれば今日の労は終わり。落ちきらなければ、終わらない。終われば、名の右に朱を付ける」
若者は頷く。頷き方は、剣を構えるときのそれと同じほど、ぎこちない。彼は縄から手を離し、雪の道を渡って白風の土へ入った。白風の老人がひとり、その道の先で待っている。背中は曲がっているが、眼は澄んでいる。老人は若者の柄の握りを一度見ただけで言った。「指はこう。力は肘から。肩で振ると、明日、腕が上がらん」
老人は、患っている膝を気にしているのを気取られまいとして、余計に胸を張った。若者はそれに気づき、柄の先を気持ちだけ低く構えた。二人の間に言葉は少ない。雪の上に置かれた砂時計の中で砂が落ちる音が、代わりに話した。
畦の凍土は、夏の泥よりも素直だった。叩けば、叩いたところから薄い亀裂が走る。細い亀裂は水を覚えていて、水の通った場所を線に沿って差し出した。若者はそこへ柄を落とす。老人は亀裂の端へ雪を押し込む。押し込んだ雪は固まり、固まった白の下に次の季節の色が眠る。
昼。縄印の前で、凛耀が王に向かって深く頭を下げた。彼の頬には雪の細い傷がひと筋走っている。鏡の縁に付いた薄い霜を親指で拭いながら、彼は言った。「粟の代わりに、労を。腹の代わりに、名を。……我らは、借りる」
「名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
王の声は、淡雪よりも重く、氷よりも軽く広がった。「腹は返らぬ。名は返せる。返すに足る労がそこに書かれる。名を貸す以上、こちらも『貸した』と書く。冬板に朱の丸が増える。——『貸し借り』の印を、境界に残す。剣でなく、朱で」
凛耀は鏡を胸に当て、目を細めた。「契りは、剣よりも、長く残る。——あなたの書く線は、冬に強い」
王は僅かに笑った。「あなたの鏡は、冬に曇らない」
鏡は曇らない——と言いながら、彼は少年の方を見た。少年は、渡しの柱に登り、小さな鏡をふたつ持っていた。一枚は凛耀から贈られたもの、もう一枚は王宮の用度司が作らせた薄い鏡。彼は二枚の光を交互に跳ねさせ、縄の上と下に細い光の線を走らせる。二本の光は、たしかに「契りの縄」の上で交わった。
◇
冬板の前には、今日から新しい欄が設けられた。「契り」。欄の脇には、細い縄の絵と、砂時計の絵。それから、朱の丸が押される場所。押すのは、労が終わったとき。押す者は、王でも凛耀でもない。押すのは、老いた手、若い手、柄を握った手、雪を掬った手——自分の手だ。
名の上に朱の丸が増えていくのを見て、広場の空気の温度がほんの一度だけ上がったような錯覚があった。錯覚でいい、と王は思う。冬に必要なのは時々の錯覚で、それが現の作業を一刻ぶん軽くするのなら、その錯覚は正しい。錯覚は、目が覚めても残る輪郭を持っていれば、記憶になる。
市の西側、古鍛冶の路地で、短い騒ぎがあった。紅月の若者のひとりが、鍛冶屋の棚の小さな刃に目を奪われたのだ。彼の手は無意識に刃の柄へ伸び、店主の老人がその手を平手で払った。「ここでは、柄は鍬にしかつかない」。若者の目が、刹那、空洞の底から炎を差し出した。藍珠が間に入る。鞘を肩で押し上げるだけの動きで、炎の高さを半寸低くする。「剣は列の脇にある」と、彼はいつも通り低く言った。「剣は、ここにある。抜かないからここにある」
若者は鞘を見、藍珠の目を見、そして鍛冶屋の老人の手の皺を見た。彼は、自分の手の甲に昨日の氷の亀裂が残っているのを思い出したように、指を握った。「……分かりました」。分かる、という言葉は、冬を少しだけ前に進める。
白旗と無色の旗は、この日から渡しの両岸で少し高く掲げられた。高さは、目印の高さであると同時に、責任の高さでもある。旗の影の下で、狐火の書生が「契りの絵解き」を描いた。縄の絵、砂の絵、朱の絵。彼は子どもたちに説明する。「朱は、血とは違う。これは『返した』の色だ」。子どもたちは頷き、紙の上で朱を試し、手を汚し、それを氷で洗った。朱は冷えると暗くなる。暗くなった朱が、冬には似合う。
夕刻、渡しの縄に小さな霜花が並んだ。霜花は、夜に向けて増える。増える花の下、凛耀の配下の若者が雪の塊を運び、白風の老人が角木の縁へ詰める。狼煙番の少年が二枚の鏡を斜めに重ね、角度を調整する。鏡の光は、雪に反射して柔らかくなった。柔らかい光は、冬の目に良い。硬い光は、冬の目を刺す。
王は冬板の前に立ち、朱の丸を眺めた。朱の丸はほんの少しだけ歪んでいる。それは押した手が震えたからだ。震えは「寒さ」のせいでもあるし、「借りたものを返す」という、見えない高さのせいでもある。震えた丸は、丸の中に短い冬を閉じ込める。閉じ込められた冬は、春になっても紙の上で凍っている。凍っている円は、次の冬に役立つ。
「名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
王はもう一度、冬板に向かって言った。紙に、木に、銅に向かって言う。人に向かって言えば、その場では勇ましくなるが、明日の朝には薄れる。道具に向かって言えば、道具は覚える。道具は、冬に強い記憶だ。
◇
夜、王宮の塔に三人が集った。雪は、少しだけ間遠になった隙間に、星を一つだけ見せた。風は、鳴らずに流れている。鳴らない風が、今夜の勝利だった。
「凍土は、裂けなかった」
楓麟が先に言った。彼は風の筋を耳でなぞり、渡しの縄のきしみと、冬板の紙の鳴り、焔番の炭の小爆ぜを混ぜ合わせて、一枚の地図のように頭の中に敷いたのだろう。
「剣を抜かずに済んだ」
藍珠は、鞘を撫でながら言った。鞘の革は冷たく、だが乾いていた。湿っていない革は、夜の間に硬くなる。硬くなるものは、翌朝の手で柔らげられる。剣は抜かずに、鞘に冬を数えさせる役目を果たした。
王は机に薄い紙を置き、朱で一文字書いた。「契り」。その字は、夏の「秤」や秋の「仮板」よりも、少しだけ丸みを帯びている。丸は、冬の字の形だ。冬は角を欠く。角は春に生える。
「契りを、貼る」
王はその紙を、冬板の右上に貼った。貼る指の腹が少しだけかじかんでいて、端が斜めに上がった。上がった端は、明日、氷で白く縁取られるだろう。縁取りは、文字の影を濃くする。
「風が、変わる」
楓麟が窓に目をやった。「明日の朝、東から薄い湿りが来る。雪は管になって降る。列は今日より一層細くなる。——雪中列の始点を、今日の帯の上に重ねる。硬い上に柔らかいを」
「焔番を二つ増やす。渡しにも一つ」
藍珠は短く告げた。短い言葉の後に、彼は何も言わない。言葉の後に沈黙がある人は、冬に向く。沈黙は、雪の音に負けない。
王は欄干に残った霜を掬い、小さな欠片を二つに割って、また合わせた。「剣を抜かずに、冬を越す。……契りで越す」
彼の声は低かった。低い声は雪に沈み、沈んだところで固まる。固まった言葉は、明け方の白い光で輪郭を現す。言葉が輪郭を持つと、それは線になる。線は、王のすることのすべてだった。
◇
翌日から、渡しの縄は、名のために揺れた。紅月から来た男が縄を握り、白風の老人が縄を握り返し、互いの手の温度を短いだけ重ねる。温度は互いに行き来する。行き来した温度の分だけ、契りは締まる。締まった縄の上に、小さな霜花がまた咲いた。咲いた霜花を、狐火の書生が絵に描いた。絵の横に「契りは凍る」と書いた。子どもが笑った。「凍るの?」——書生が笑い返す。「凍るから、春まで持つ」
冬板の前で、紅月の若者の名の右に朱の丸がひとつまたひとつと増えた。丸の縁に、氷の細い蔓が伸びる。蔓は美しい。美しいものが冬にだけ見えるのは、不公平ではない。冬の不公平は、春に貸す。春に返る。返らないのは腹だ。腹は、冬に空いた分だけ、春に満ちるかどうかが約束できない。だから名を貸す。名は、返せる。
市兵の帳簿に、新しい欄が作られた。「雪労貸」。今日、誰が渡り、誰が掘り、誰が叩き、誰が押し戻し、誰が朱を押し、誰が押せず、誰が明日に残したか。帳は、冬に増える。増えた帳が、春に減ると、人は安心する。安心は、冬の作業の燃料だ。
緩衝の野では、焔番の火鉢に凍った手をかざす紅月の女がいた。彼女の指には、薄い鏡の欠片が挟まっている。欠片は、昨夏の鏡のやりとりの名残だろう。彼女はその欠片で日の光を雪面に跳ね返し、笑った。笑い声は小さいが、笑いの形は大きい。その形に、冬の空気は一瞬だけ薄く色を持った。
藍珠は、剣の鞘を杖にして渡しの端を歩き、縄の結び目を指で確かめた。結び目は固い。固いだけでなく、解く端がどちらか分かるよう、端糸が少し長く残されている。解く日を決めて結んだ結び。これが、彼の気に入るやり方だ。彼は頷き、一歩下がり、雪中列の方へ目をやる。番の少年が番号札を配り、絵解きが雪に墨の道を描き、人の息が白い橋を架ける。剣は脇に在る。抜かない剣は、冬の列に対して、ただ「在る」ことの大きさを示していた。
楓麟は、渡しから吹き上がる風の中で立ち止まり、耳に手を添えた。「今日の風は、契りを運ぶ」。彼の言葉に、王は首を少しだけ傾けた。「どこへ」「向こうへ。こちらへ。それぞれ半分ずつ」。半分ずつ運ばれた契りは、ちょうどいい。どちらかに偏った契りは、春にほどけない。
◇
夜、凛耀が王宮の塔を訪ねた。彼の靴の底には、白風の雪が薄く残っている。雪は、外から来た者の足跡に祈りの形を勝手に与える。祈りとは、足を拭う仕草のことでもある。彼は靴を丁寧に拭き、低い声で言った。
「粟を、求めて来た。粟を、断られた。……だが、名を貸してもらった」
「名は、返せる」
王は答えた。その返しも短い。短い言葉は、冬に強い。長い言葉は、春に向いている。
「我が国は、春に『仮板』を『本板』に戻すと約した。秋分の日に。……その約は、冬の間、何度も折れかけた。今日、ここで『契り』の文字を見て、約は息を吹き返した」
凛耀は鏡を鞘の上に置き、光を火鉢に反射させた。火は鏡を温め、鏡は火を柔らかくして返す。柔らかい火は、冬のための火だ。
「契りは、書く」
王は静かな笑みをうっすらと浮かべ、朱筆を持ち直した。「剣よりも、長く残る」
凛耀は頭を垂れた。「剣は、すぐに錆びる。鏡は、曇る。契りは……紙が破れても、読み返す者がいれば、続く」
短い沈黙のあと、ふたりはともに窓外の雪を見た。雪は、紙に似ていた。紙の上に書かれた線は、雪の上の足跡に似ていた。足跡は、風で半分消え、半分残る。残った半分は、朝に道を教える。消えた半分は、記憶のために必要だ。
◇
その夜、王宮の回廊に戻った王は、楓麟と藍珠に向かって言った。
「凍土は裂けなかった」
楓麟は頷いた。「風の向きを、縄が覚えた。結びが、風を逃がす」
「剣を抜かずに済んだ」
藍珠は鞘を撫で、「抜かないことが、今日の『在る』だった」と言い添えた。彼の言葉には、重さがあった。冬の重さに似た、静かな圧だ。
王は机上の冬板に貼った「契り」の字を指で押さえ、紙の中の繊維に温度を移した。紙は微かに撓み、その撓みは、朝になって凍り、薄い影を作るだろう。影は、冬の芯に似ている。芯があるから、白いものが積み重なる。
窓の外、雪中の列が静かに続いていた。番号札を握った手の列。焔番の火椀の列。柄を肩に担いだ労の列。渡しの縄の列。名の板の朱の丸の列。——列は道であり、道は名だった。朱字は凍土に映え、灯の光に赤く呼吸した。冬の只中で、剣を抜かずに国を守る契りが結ばれた。
狼煙番の少年が塔の際で鏡を掲げ、遠くの狼煙台へひとつ、ふたつ、みっつと光を送る。三は契り、ふたつは縄、ひとつは名。塔から返る光は一度。受け取る光は、雪に柔らかく吸われ、街の白をほんの少しだけ温めた。
雪はまだ、降っていた。降る白の粒子の間に、春の色を思わせる透明が、ごく薄く混ざっていた。冬は終わらない。だが、終わり方を覚えはじめている。春は近づく。春になれば問われるのは、「名を継ぐ者」。今日、冬板に朱を押した手は、やがて次の板に名を記す手になる。その時、剣は——やはり脇に在るだけだろう。在ることが、これほど重い季節は、他にない。
その白の奥から、紅月の使者が現れた。紅を示すものは身に纏っていない。灰色の毛皮の襟に、氷で重くなった履き、手には緑青を吹き始めた鏡の縁。名は、前にも一度、この渡しで名乗った男——凛耀。彼は無色の旗の下で立ち止まり、凍える空気の中で深く一礼した。息が白い貝殻のように口から割れ、すぐに空に吸い込まれる。
「白石会盟の延長を、願いに来た」
それが口火だった。続けて、彼は淡々とした声で条件を述べる。「今季、我らの北州は飢えに近い。兵糧庫の焼亡は止血できたが、蜃気楼みたいな蓄えしか残らない。白風から、粟の貸与を——」
最後の一語の手前で、彼の喉がわずかに凍る音がした。
渡しの縄印のこちら側に立つ王の近衛が視線を交わす。渡しの上、無色の旗がきしりと鳴り、その音に合わせるように狼煙番の少年の小さな鏡が一度だけ光る。合図は「聞いた」。
王都では、朝の評議が雪で遅れがちだったが、この日だけは呼子がいつもより低く、しかし遠くまで届いて鳴った。広間には冬板と名の板、秤の柱、焔番の火鉢、それから白旗と無色旗の絵解きが並んでいる。寒さに縮む墨の匂いと、人々の吐く息の白さが同じ高さで漂っていた。
商務の官が第一声を発した。「貸せるほど、粟があると?」 彼は帳面の数列を指で叩く。「市の粥はもう薄い。冬借の朱は増え、春借の黒は消えない。貸せば、板に嘘を書く」
工営司の若い官は反論した。「貸せば、春に返る。今、土は凍っているが、凍った土は、鍬で割ると綺麗に筋が立つ。筋に沿って水が走る季節が必ず来る。その時に、労で返させれば」
「境界を崩すな」法務の新任代行は真っ直ぐに言った。まるで自分自身へ言い聞かせるような硬さで。「一度、粟を渡せば『境界の粥』の線が曖昧になる。会盟の芯を薄める」
藍珠は剣の鞘の上に掌を置き、冷えた革に体温を分けるみたいに指を開いた。「貸すなら、剣で守れ。粟を載せた荷駄は狙われる。雪道はわかりやすい。軌跡も匂いも残る」
楓麟は窓の隙から、風を耳で撫でるように聞いた。「凍土は、音を吸う。軽い物でも、置き方を違えれば、そこから割れる。——重荷を置けば、裂ける」
王は、評議卓の上に置かれた三本の細紐を手に取った。白、灰、無色。冬の間に彼が好んで触るものは、重い剣でも熱い杯でもなく、こういう軽い道具だった。軽いもので、重いものを動かす練習は、ずっと続けている。
「粟は、貸さない」
それは短かったが、室内の空気の粒子を結び直すほどの重みを持つ短さだった。商務は目を閉じ、工営は息を呑み、法務は紙の角を強く揃え、藍珠は鞘から掌を離し、楓麟は頷いた。王は続ける。
「粟は貸さない。だが、凍土を崩す労なら貸せる。——雪を掘り、畦を直し、水の道を先に作る。その労を『貸す』。ここに、冬板がある。『名を貸す』。紅月から来た者の名を冬板に刻み、労を果たせば朱で囲む。……腹は返せない。名は返せる。名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
広間の隅で火鉢が小さく鳴った。湿った炭が内部で小爆ぜした音だ。その音を合図にするように、書記の手が走り、王の朱が紙をひと筆で横切る。「凍土の契り」。この冬の布告の名は、そこで決まった。
「契りの縄を張る」王はさらに言う。「灰の渡しにある縄印を増やす。一本では足りない。もう一本。互いに渡る。粟ではなく、労と名だけが渡る。雪が解けるまでの契り」
藍珠の黒い瞳が微かに揺れた。「縄を増やすと、夜、影が増える」
「影は増える。だから、無色の灯を増やす。鏡で合図を倍にする。あの少年に、もう一面、小鏡を渡せ」
楓麟の肩の布が、風に小さく揺れた。「風は北東から南東へ、薄く巻いている。雪は続く。縄は凍る。結びは固く。解く日を、先に決めて結べ」
◇
灰の渡しに、もう一本の縄が張られた。縄は太く、芯に細い銅線が通っている。凍れば硬くなるが、少しだけ撓る。撓りは、冬に必要な力だった。縄と縄の間は、人ふたり分の幅。渡る者はそこで止まり、名を読み上げる。無色の旗は二本、白風側と紅月側に一本ずつ。旗の間に、市兵の小屋から持ち出した机が置かれ、上には薄い板と朱墨と砂時計が並ぶ。板に刻まれるのは、冬の名。砂は、渡りの時間を測る。砂は、冬でも嘘をつかない。
最初に縄を握った紅月の若者は、頬の皮膚が裂けるほどの冷気に赤くなっていた。指は震え、小さくささくれだった爪の縁から血が滲む。彼の名を尋ねると、半拍遅れて声が返った。彼は名を言い慣れていなかった。亡命の名簿にも、炎逃れの名簿にも、彼の名はなかったのかもしれない。初めて雪に書かれる名。王はそれを冬板の左下に記す。書記がその名の右に薄く小さく「外から」と添えた。秋分の日に仮板から本板へ移したときと同じ注記の色だ。
「雪労、どこへ?」
若者は問う。目は、縄の向こうの白に怯え、縄のこちらの灰に戸惑っている。
「畦へ。凍った畦は、刃では割れない。柄で叩け。叩く回数は、砂に数えさせる。砂が落ちきれば今日の労は終わり。落ちきらなければ、終わらない。終われば、名の右に朱を付ける」
若者は頷く。頷き方は、剣を構えるときのそれと同じほど、ぎこちない。彼は縄から手を離し、雪の道を渡って白風の土へ入った。白風の老人がひとり、その道の先で待っている。背中は曲がっているが、眼は澄んでいる。老人は若者の柄の握りを一度見ただけで言った。「指はこう。力は肘から。肩で振ると、明日、腕が上がらん」
老人は、患っている膝を気にしているのを気取られまいとして、余計に胸を張った。若者はそれに気づき、柄の先を気持ちだけ低く構えた。二人の間に言葉は少ない。雪の上に置かれた砂時計の中で砂が落ちる音が、代わりに話した。
畦の凍土は、夏の泥よりも素直だった。叩けば、叩いたところから薄い亀裂が走る。細い亀裂は水を覚えていて、水の通った場所を線に沿って差し出した。若者はそこへ柄を落とす。老人は亀裂の端へ雪を押し込む。押し込んだ雪は固まり、固まった白の下に次の季節の色が眠る。
昼。縄印の前で、凛耀が王に向かって深く頭を下げた。彼の頬には雪の細い傷がひと筋走っている。鏡の縁に付いた薄い霜を親指で拭いながら、彼は言った。「粟の代わりに、労を。腹の代わりに、名を。……我らは、借りる」
「名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
王の声は、淡雪よりも重く、氷よりも軽く広がった。「腹は返らぬ。名は返せる。返すに足る労がそこに書かれる。名を貸す以上、こちらも『貸した』と書く。冬板に朱の丸が増える。——『貸し借り』の印を、境界に残す。剣でなく、朱で」
凛耀は鏡を胸に当て、目を細めた。「契りは、剣よりも、長く残る。——あなたの書く線は、冬に強い」
王は僅かに笑った。「あなたの鏡は、冬に曇らない」
鏡は曇らない——と言いながら、彼は少年の方を見た。少年は、渡しの柱に登り、小さな鏡をふたつ持っていた。一枚は凛耀から贈られたもの、もう一枚は王宮の用度司が作らせた薄い鏡。彼は二枚の光を交互に跳ねさせ、縄の上と下に細い光の線を走らせる。二本の光は、たしかに「契りの縄」の上で交わった。
◇
冬板の前には、今日から新しい欄が設けられた。「契り」。欄の脇には、細い縄の絵と、砂時計の絵。それから、朱の丸が押される場所。押すのは、労が終わったとき。押す者は、王でも凛耀でもない。押すのは、老いた手、若い手、柄を握った手、雪を掬った手——自分の手だ。
名の上に朱の丸が増えていくのを見て、広場の空気の温度がほんの一度だけ上がったような錯覚があった。錯覚でいい、と王は思う。冬に必要なのは時々の錯覚で、それが現の作業を一刻ぶん軽くするのなら、その錯覚は正しい。錯覚は、目が覚めても残る輪郭を持っていれば、記憶になる。
市の西側、古鍛冶の路地で、短い騒ぎがあった。紅月の若者のひとりが、鍛冶屋の棚の小さな刃に目を奪われたのだ。彼の手は無意識に刃の柄へ伸び、店主の老人がその手を平手で払った。「ここでは、柄は鍬にしかつかない」。若者の目が、刹那、空洞の底から炎を差し出した。藍珠が間に入る。鞘を肩で押し上げるだけの動きで、炎の高さを半寸低くする。「剣は列の脇にある」と、彼はいつも通り低く言った。「剣は、ここにある。抜かないからここにある」
若者は鞘を見、藍珠の目を見、そして鍛冶屋の老人の手の皺を見た。彼は、自分の手の甲に昨日の氷の亀裂が残っているのを思い出したように、指を握った。「……分かりました」。分かる、という言葉は、冬を少しだけ前に進める。
白旗と無色の旗は、この日から渡しの両岸で少し高く掲げられた。高さは、目印の高さであると同時に、責任の高さでもある。旗の影の下で、狐火の書生が「契りの絵解き」を描いた。縄の絵、砂の絵、朱の絵。彼は子どもたちに説明する。「朱は、血とは違う。これは『返した』の色だ」。子どもたちは頷き、紙の上で朱を試し、手を汚し、それを氷で洗った。朱は冷えると暗くなる。暗くなった朱が、冬には似合う。
夕刻、渡しの縄に小さな霜花が並んだ。霜花は、夜に向けて増える。増える花の下、凛耀の配下の若者が雪の塊を運び、白風の老人が角木の縁へ詰める。狼煙番の少年が二枚の鏡を斜めに重ね、角度を調整する。鏡の光は、雪に反射して柔らかくなった。柔らかい光は、冬の目に良い。硬い光は、冬の目を刺す。
王は冬板の前に立ち、朱の丸を眺めた。朱の丸はほんの少しだけ歪んでいる。それは押した手が震えたからだ。震えは「寒さ」のせいでもあるし、「借りたものを返す」という、見えない高さのせいでもある。震えた丸は、丸の中に短い冬を閉じ込める。閉じ込められた冬は、春になっても紙の上で凍っている。凍っている円は、次の冬に役立つ。
「名を貸すことは、腹を貸すことより重い」
王はもう一度、冬板に向かって言った。紙に、木に、銅に向かって言う。人に向かって言えば、その場では勇ましくなるが、明日の朝には薄れる。道具に向かって言えば、道具は覚える。道具は、冬に強い記憶だ。
◇
夜、王宮の塔に三人が集った。雪は、少しだけ間遠になった隙間に、星を一つだけ見せた。風は、鳴らずに流れている。鳴らない風が、今夜の勝利だった。
「凍土は、裂けなかった」
楓麟が先に言った。彼は風の筋を耳でなぞり、渡しの縄のきしみと、冬板の紙の鳴り、焔番の炭の小爆ぜを混ぜ合わせて、一枚の地図のように頭の中に敷いたのだろう。
「剣を抜かずに済んだ」
藍珠は、鞘を撫でながら言った。鞘の革は冷たく、だが乾いていた。湿っていない革は、夜の間に硬くなる。硬くなるものは、翌朝の手で柔らげられる。剣は抜かずに、鞘に冬を数えさせる役目を果たした。
王は机に薄い紙を置き、朱で一文字書いた。「契り」。その字は、夏の「秤」や秋の「仮板」よりも、少しだけ丸みを帯びている。丸は、冬の字の形だ。冬は角を欠く。角は春に生える。
「契りを、貼る」
王はその紙を、冬板の右上に貼った。貼る指の腹が少しだけかじかんでいて、端が斜めに上がった。上がった端は、明日、氷で白く縁取られるだろう。縁取りは、文字の影を濃くする。
「風が、変わる」
楓麟が窓に目をやった。「明日の朝、東から薄い湿りが来る。雪は管になって降る。列は今日より一層細くなる。——雪中列の始点を、今日の帯の上に重ねる。硬い上に柔らかいを」
「焔番を二つ増やす。渡しにも一つ」
藍珠は短く告げた。短い言葉の後に、彼は何も言わない。言葉の後に沈黙がある人は、冬に向く。沈黙は、雪の音に負けない。
王は欄干に残った霜を掬い、小さな欠片を二つに割って、また合わせた。「剣を抜かずに、冬を越す。……契りで越す」
彼の声は低かった。低い声は雪に沈み、沈んだところで固まる。固まった言葉は、明け方の白い光で輪郭を現す。言葉が輪郭を持つと、それは線になる。線は、王のすることのすべてだった。
◇
翌日から、渡しの縄は、名のために揺れた。紅月から来た男が縄を握り、白風の老人が縄を握り返し、互いの手の温度を短いだけ重ねる。温度は互いに行き来する。行き来した温度の分だけ、契りは締まる。締まった縄の上に、小さな霜花がまた咲いた。咲いた霜花を、狐火の書生が絵に描いた。絵の横に「契りは凍る」と書いた。子どもが笑った。「凍るの?」——書生が笑い返す。「凍るから、春まで持つ」
冬板の前で、紅月の若者の名の右に朱の丸がひとつまたひとつと増えた。丸の縁に、氷の細い蔓が伸びる。蔓は美しい。美しいものが冬にだけ見えるのは、不公平ではない。冬の不公平は、春に貸す。春に返る。返らないのは腹だ。腹は、冬に空いた分だけ、春に満ちるかどうかが約束できない。だから名を貸す。名は、返せる。
市兵の帳簿に、新しい欄が作られた。「雪労貸」。今日、誰が渡り、誰が掘り、誰が叩き、誰が押し戻し、誰が朱を押し、誰が押せず、誰が明日に残したか。帳は、冬に増える。増えた帳が、春に減ると、人は安心する。安心は、冬の作業の燃料だ。
緩衝の野では、焔番の火鉢に凍った手をかざす紅月の女がいた。彼女の指には、薄い鏡の欠片が挟まっている。欠片は、昨夏の鏡のやりとりの名残だろう。彼女はその欠片で日の光を雪面に跳ね返し、笑った。笑い声は小さいが、笑いの形は大きい。その形に、冬の空気は一瞬だけ薄く色を持った。
藍珠は、剣の鞘を杖にして渡しの端を歩き、縄の結び目を指で確かめた。結び目は固い。固いだけでなく、解く端がどちらか分かるよう、端糸が少し長く残されている。解く日を決めて結んだ結び。これが、彼の気に入るやり方だ。彼は頷き、一歩下がり、雪中列の方へ目をやる。番の少年が番号札を配り、絵解きが雪に墨の道を描き、人の息が白い橋を架ける。剣は脇に在る。抜かない剣は、冬の列に対して、ただ「在る」ことの大きさを示していた。
楓麟は、渡しから吹き上がる風の中で立ち止まり、耳に手を添えた。「今日の風は、契りを運ぶ」。彼の言葉に、王は首を少しだけ傾けた。「どこへ」「向こうへ。こちらへ。それぞれ半分ずつ」。半分ずつ運ばれた契りは、ちょうどいい。どちらかに偏った契りは、春にほどけない。
◇
夜、凛耀が王宮の塔を訪ねた。彼の靴の底には、白風の雪が薄く残っている。雪は、外から来た者の足跡に祈りの形を勝手に与える。祈りとは、足を拭う仕草のことでもある。彼は靴を丁寧に拭き、低い声で言った。
「粟を、求めて来た。粟を、断られた。……だが、名を貸してもらった」
「名は、返せる」
王は答えた。その返しも短い。短い言葉は、冬に強い。長い言葉は、春に向いている。
「我が国は、春に『仮板』を『本板』に戻すと約した。秋分の日に。……その約は、冬の間、何度も折れかけた。今日、ここで『契り』の文字を見て、約は息を吹き返した」
凛耀は鏡を鞘の上に置き、光を火鉢に反射させた。火は鏡を温め、鏡は火を柔らかくして返す。柔らかい火は、冬のための火だ。
「契りは、書く」
王は静かな笑みをうっすらと浮かべ、朱筆を持ち直した。「剣よりも、長く残る」
凛耀は頭を垂れた。「剣は、すぐに錆びる。鏡は、曇る。契りは……紙が破れても、読み返す者がいれば、続く」
短い沈黙のあと、ふたりはともに窓外の雪を見た。雪は、紙に似ていた。紙の上に書かれた線は、雪の上の足跡に似ていた。足跡は、風で半分消え、半分残る。残った半分は、朝に道を教える。消えた半分は、記憶のために必要だ。
◇
その夜、王宮の回廊に戻った王は、楓麟と藍珠に向かって言った。
「凍土は裂けなかった」
楓麟は頷いた。「風の向きを、縄が覚えた。結びが、風を逃がす」
「剣を抜かずに済んだ」
藍珠は鞘を撫で、「抜かないことが、今日の『在る』だった」と言い添えた。彼の言葉には、重さがあった。冬の重さに似た、静かな圧だ。
王は机上の冬板に貼った「契り」の字を指で押さえ、紙の中の繊維に温度を移した。紙は微かに撓み、その撓みは、朝になって凍り、薄い影を作るだろう。影は、冬の芯に似ている。芯があるから、白いものが積み重なる。
窓の外、雪中の列が静かに続いていた。番号札を握った手の列。焔番の火椀の列。柄を肩に担いだ労の列。渡しの縄の列。名の板の朱の丸の列。——列は道であり、道は名だった。朱字は凍土に映え、灯の光に赤く呼吸した。冬の只中で、剣を抜かずに国を守る契りが結ばれた。
狼煙番の少年が塔の際で鏡を掲げ、遠くの狼煙台へひとつ、ふたつ、みっつと光を送る。三は契り、ふたつは縄、ひとつは名。塔から返る光は一度。受け取る光は、雪に柔らかく吸われ、街の白をほんの少しだけ温めた。
雪はまだ、降っていた。降る白の粒子の間に、春の色を思わせる透明が、ごく薄く混ざっていた。冬は終わらない。だが、終わり方を覚えはじめている。春は近づく。春になれば問われるのは、「名を継ぐ者」。今日、冬板に朱を押した手は、やがて次の板に名を記す手になる。その時、剣は——やはり脇に在るだけだろう。在ることが、これほど重い季節は、他にない。



