雪は、音を連れて落ちてきた。乾いた硝子を爪で弾いたような細い音と、古い紙が水を吸う鈍い音が、空のどこかで重ね書きになり、やがて街の耳にふるい落とされる。朝の鐘は鳴ったが、鐘の輪郭は雪に包まれて丸くなった。屋根から垂れる氷柱は夜のうちに伸び、名の板の銅縁は白い絹の端布を巻かれたように凍っている。広場の中央、粥の鍋のある小屋から、いつもの湯気が一手遅れて立ち上がる。遅れた一手が、今日のすべての前触れだった。

 列は、最初から乱れていた。雪が道の形を隠し、道が列の形を忘れさせる。人々はいつもの場所に並ぼうとして、脚のふくらはぎに雪の固い層を感じ取り、気づけば半歩ずれて隣の背に肩を押しつけている。肩は肩に押し返され、押し返された肩はそのまた前の肩に波のように伝わった。波に足を取られた子どもがひざから崩れ、母の指が子の襟を引き上げる。老人が杖を雪に刺すが、雪は杖を受け止めず、杖は老人の掌の中で冷たく回転した。列が崩れると、人は言葉を強くする。「押すな」「割り込むな」「子がいる」「寒い」——言葉の濃度は上がるが、秩序の密度は上がらない。

 鍋の小屋の前まで続くはずの二本の列は、今日に限って三本に増え、四本に枝分かれし、やがて一本に戻ろうとして揉み合った。鍋の側に立つ市兵は、柄の先で空中に線を描いてみせ、列の方向を指し示すが、雪は指図を吸ってしまう。粉の雪が衿首から入り、首すじで溶けて冷えてゆく。溶けた冷たさは、人の短い我慢を目に見えない処で削る。

 誰かが、投げた。丸めた雪玉がひとつ、鍋小屋の屋根に当たって、粉々に散った。その破片が、積みあがった不満の表面に、合図のように降りかかった。怒号が混じった。「早くしろ」「順番だ」「寒さで死ぬのを待てってのか」「亡命の者ばかり先に配るのか」……。声の中には、眼に見えない線があった。夏に焦げ跡を残した争水板の「声たち」と同じように、今日の声も、書かれないままに溜まっていく。声は、雪ほど軽くない。軽くないものは、落ちるときに傷をつける。

 列の端で、ひとりの男が崩れた。手に握っていた木の札が雪に落ちる。札は、列の形のない今日には何の力もない、小さな板片に見えた。男の肩に女の腕がかかり、その腕に別の女の腕が重なり、腕の網が男を雪の上から持ち上げた。だが、腕の網も、雪の下の氷には勝てない。足が滑り、網は解け、男は膝で雪を割って横倒しになった。倒れれば、雪は音を吸い、倒れたことを列は知らないまま進もうとする。そうやって、あちこちで小さな崩れが音もなく連鎖し、広場は短い悲鳴で斑に染まった。

 王宮の呼子が二度鳴り、評議室の戸が押し開けられた。冷たい風が墨の匂いを薄める。工営司の官が最初に駆け込んで来る。肩には雪が残り、眉に氷の粉が刺さっている。

「列を屋根下に移せ。倉の中に、道を造る。今は屋内だ」

 彼の声は、凍った窓ガラスに小さく跳ね返り、天井の梁にしみ込む。現場の男はいつだって、場所を変えることで流れを作ろうとする。流れが場所に打ち負けているように見える時ほど、彼らは場所に手をつけたがる。

「倉は狭い。穂と粉で塞がっている。鍋も煙も入らない。人だけ詰めれば、病が広がる。狭いところに息を集めるな」

 商務の官は口を固く結び、指で帳を指す。帳の上の数は、雪に影を落とさないが、雪は数の外の足をよろけさせる。それでも彼は数を守る人間だ。守るべき数字がなければ、冬の市はすぐ嘘で膨らむ。

「寒気で熱が増える。倒れた者を運び込む場所がいる。だが、一箇所に集めるのは危険……」

 医の館の長は言葉の尻を弱くした。実地を知る者ほど、断言を避ける。避けることで、余地を残そうとする。余地が命を救う瞬間を、彼は何度も見てきた。

「乱す者を罰せ。並び直せ。今この場は秩序だ」

 法務の新任代行は、凍えた手で法の頁を押さえた。彼の声は硬いが、目は揺れる。硬さと揺れの両方を持っている人間は、冬に向いている。硬いだけなら折れる。揺れるだけなら流される。

「剣で列を整えるか?」

 藍珠が冷たく言う。剣がそのまま音になって室内を走ったかのように、短い静寂が評議の真ん中に落ちる。剣に対する期待と恐怖は、いつだって、冬に増幅する。

「列は風と同じだ」

 楓麟が窓に手をかけて言う。外で雪が、彼の言葉を受けて少しだけ降る方向を変えたように見えた。「吹けば曲がる。塞げば乱れる。道がない風は、隙間を探す。隙間で争う。……なら、列を道にする」

 遥は筆の先で墨をひとすくいし、紙の上に三行の線を引いた。文字ではなく、先に線が置かれる。線があるから、文字がそこへ吸い寄せられる。

「布告する。『雪中列』。粥の列そのものを、屋外の雪道に作る。列が、道を踏み固める。道が、列を導く。——二つ、焔番を置く。列の途中に火鉢を並べ、倒れた者を温める。温手は板の前だけのものではない。——三つ、列札。先頭から番号札を配り、順番を札が覚える。並び直しても、札で粥を受け取れる。……剣は使わない。剣は、列の脇に在る」

 短く読み上げたあと、王は筆を置き、立ち上がる。寒さの中では、短い言葉のほうが重い。

     ◇

 広場の雪は、まだ新しかった。新しい雪は人の足を受け止めず、人の怒りを滑らせる。滑った怒りは、誰かの背中にぶつかって形を得る。形を得た怒りは、名を呼ぶことを忘れ、肩を押す。

 市兵たちが鍋小屋の屋根から釣り下げた布を風除けにし、雪かきの板で列の始点に溝を掘る。「雪中列はここから」と大書きした札が、溝の手前に立った。狐火の書生が、凍った筆で絵を描いていく。雪の上でも見える濃い墨で、足跡の絵、火鉢の絵、番号札の絵。絵の横に短い文。「足跡は道。道は列」「火は途中に」「札はあなたの番」。彼は描きながら笑う。「絵は火より早く温まる」と小さな声で。

 狼煙番の少年は、斜めに背負った小さな鞄から薄い木札の束を取り出し、ひとつずつ手渡しながら列の先頭から歩きはじめた。札には墨で番号が打ってある。彼は一枚配るたび、鏡で斜め上に小さな光を跳ね上げる。光は雪に淡い道を作る。「番号札だよ。握っておいて。雪で手がしびれるから、袖の中へ」。彼の声は薄いが、雪の吸い込み方を知っている声だ。吸われない高さで、吸われない速さで、雪の上に落ちない音量で。

 先頭の女が札を握り、雪に沈み込む足元を見下ろした。「これで、押さなくていいの?」少年は頷く。「札が順番を覚えるから、列が崩れても、順番は崩れない」。女は札を胸の中に入れ、呼吸をひとつ長くした。長い呼吸は、列の中の二人の呼吸を、少しだけ長くする。長くなった呼吸の間で、雪がひと口分落ち着く。

 焔番の腕章を巻いた男たちが、列の途中に火鉢を置いていく。火鉢は低い。低さは、倒れた目線に寄り添う高さだ。炭の上には灰が厚く、炎は見えない。しかし手をかざせば、手の背がふわりと解ける。解けた手で、老人の肩を支える。支えれば、肩の骨が手のひらの中でわずかに震えるのが分かる。震えは怖さではない。生きている合図だ。

「焔番、右に寄れ。風が左から吹いている」

 楓麟がフードの縁から顔を出し、指を数本だけ見せて風向を示した。焔は風を見ない。人が焔の風を見る。焔が焚き火になるのか、焚き火が煙になるのかは、風と目と手で決まる。

 藍珠は、列の外側に立った。剣は鞘にあり、その鞘の頭は雪で白い粉をかぶっている。彼は鞘の先を杖代わりに、倒れた老人の脇へ差し入れた。老人の手は、冷たさで剣の柄を間違えかけたが、彼はすぐに鞘であることを伝えるように軽く上下させた。「握って。柄じゃない。鞘だ。ここだ」。老人はかすかに笑った。「重い杖だね」「重い杖ほど、雪では頼りになる」

 列札は、列の形を覚える。配られた番号が、雪を踏みしめる靴底の音よりも先に「次」を保証する。誰かが倒れても、誰かが雪を払いに列を外れても、札が順を引き受ける。鍋の前に辿り着けない者が出たとき、鍋の背の口から札の番号が呼ばれ、持ち主が焔番に支えられて前に出る。前に出た背の向こうに、不満の目がある。しかし、その目の中には「札」の字の小さな光がある。字は、冬のために形を持つ。

 緩衝の野から流れてきた若者が、列の外でうろうろしていた。冬の荒れた髪に雪が積もっている。手袋は片方しかない。番号札は持っているが、列の切れ目が見つけられない。狐火の書生が彼の肩に触れ、絵を指差す。「ここから入る。——番号札、持ってるね。うん、いい。君を後ろにあげるんじゃないよ。番号の位置まで連れて行くだけ」。彼の指示は絵に沿っていた。絵と指示が重なれば、人は迷わない。迷わない足は、雪を少しだけ固める。

 雪は降り続く。降り続く雪の下で、列はゆっくりと動く。動く速さは、いつもの半分。半分の速さは、寒さの中では二倍の長さに感じられる。それでも、列は進む。進ませているのは、札と、焔と、鞘の杖と、鏡の合図である。

 鍋の前で、ひとりの女がしゃがみ込み、粥の器を両手で受け取った。器の縁は熱くない。冬の粥は、熱の形を変える。女は器を胸に押し当て、顔を俯けた。「ありがとう」。鍋の向こうで、配る男は頷いた。「番号、見せて」「はい」。札を掲げる手の震えは、外の寒さと違う種類だ。震えの中で、女は一秒だけ脚を止め、器の上に落ちた雪を指で払う。その動作は、誰かの視界の疲れを小さくほどいた。

 列の中ほどで、少年が指を突っ張って番号札を高く掲げ、友だちに見せびらかした。「百七!」——彼にとって、数字は自分の番だけではない。雪の朝に、数字は「生きている印」だ。狐火の書生が笑い、「百七の絵」を書いた。百の横に小さな七を添え、七の横に小さな雪の点を三つ描いた。雪の点は、数字を冷やさない。冷やさない絵は、冬に向いている。

 列の脇を、白い旗が通った。無色の旗。冬借返済の白旗ではない。今日は「焔番」の印である。旗が通ると、人々は少し身体を引く。引いた距離が、次に詰められる距離を短くする。短い距離は転倒を減らす。旗は道具だ。教えではない。旗が道具であることを忘れない限り、旗は冬に役に立つ。

 日が傾きかける頃、空の色が白から灰へと沈んでいく。雪の粒は小さくなり、風の筋が細くなる。細い風は、焔を散らさない。散らさない風は、列を遅らせない。鍋の前の動きが少しだけ滑らかになり、番号札の読み上げも、わずかに速くなる。速さは、その場にいる誰にも分からないほどの僅かな違いだが、僅かは、冬の勝ちである。

     ◇

 異変は、夜の入口で起きた。鍋の向こうで、柄隊に混じって働いていた男が、突然ふらりと倒れた。背に積んでいた薪が雪の上に散らばる。焔番が駆け寄り、男の襟元を緩め、火鉢のそばに運ぶ。藍珠は鞘で地面に「×」を描き、そこに人の足が入らないようにする。×印は、夏には名板の侮辱だったが、今は倒れた者に寄る目印である。×は、意味を変えない。人が意味を変える。意味を、救いに変える。

「大丈夫だ。息はある」

 医の館の若い官が指先で男の喉の脈を触れ、短い声で告げる。短い声は、列の速度を殺さない。人々の目が一度だけ男へ集まり、次の番号の呼び声といっしょに鍋の方へ戻る。戻りながら、いくつかの視線は藍珠の鞘に触れ、戻った視線は鏡の小さな光に触れ、触れた視線は、雪の上で転がる薪の一本に触れる。薪を拾い上げる手が三つ増え、×の外へ積まれた。

「雪は明日も降る」

 楓麟が列の脇で言った。彼の言葉は、誰に向けられたのでもなく、雪の方を向いていた。雪は聞いていないが、言葉は雪に触れることで重さを得る。重さを得た言葉は、人の耳に遅れて届き、遅れて効く。

「剣は列を作らぬ」

 藍珠が鞘を背に負い直す。「剣は列の脇にある。列は、札と、焔と、足で、できる」——彼は誰にともなく呟いた。その呟きが耳に入ったのは、最前の配り手と、最後尾に並ぶ老人と、そして王だった。

 遥は氷交じりの風の中、雪中列の始点に立った。彼は番号札の箱を持ち、少年と交互に札を配る。配る手は凍える。凍える手は遅くなる。遅いことは悪ではない。遅いことの中で、札が行き渡る。行き渡る札の行列が、そのまま細い道を作る。彼は、その道が広がっていく想像をしながら、一枚、また一枚、と札を渡し続けた。

 列の中ほどで、先刻倒れた男が起き上がり、焔番の助けを借りて立った。彼は番号札を握りしめている。握りしめていた指の跡が木に残り、木の札が彼の手の温度を覚える。覚えた温度は、次の手に移る。札は、順番と一緒に温度も運べる。冬の札は、そういう道具だ。

 狐火の書生は「列の絵解き」を描きながら、焔番と雪番の役目の違いを短い図で示した。焔番は火を持ち、雪番は匙を持つ。匙の形を見た子どもが「氷の字を掬う」と笑い、書生も笑う。「そうだな、掬うんだ。削らず、掬う」——言葉は、冬に形を持つとき、ひとつ別の意味の衣を着る。その衣が厚ければ厚いほど、言葉は寒さに強くなる。

 夜の深さが一段下がり、雪の音が増えた。増えた音の中で、列の怒号が目に見えて減る。番号札という小さな板片が、人の怒りの形を先に引き受けたのだ。引き受けた分だけ、足が前に出る。前に出た足は、雪を固める。固められた雪は、道になる。道になった道は、もう列を必要としないほどに、列の形を覚える。覚えた形は、朝になっても残る。

     ◇

 雪は一向に止む兆しを見せなかったが、雪中列は夜になると静かさを増した。鍋の湯気が白い塔のように立ち上がり、遠くの白石列の方角までかすかに伸び、伸びた先で風に千切れて見えなくなる。千切れた湯気は、旗の裂け目を一瞬だけ埋め、すぐに消える。無色の旗は凍り、白風の白旗は重さでわずかに傾ぐ。しかし旗が傾いでも、札は傾がない。板は凍っても、番号は凍らない。

 焔番の火鉢にあたっていた老女が、ふと顔を上げた。彼女の視線の先には、夏から秋へ、秋から冬へと渡りながら繕われ続けた名の板がある。今日は氷札の板に「春まで」の朱がいくつも並び、そのひとつの端に、子どもの小さな花が差し込まれていた。花は凍り、凍った花びらは薄い硝子のように光っている。彼女は自分の番号札を手のひらに乗せ、小さく頷いた。

「列は道、道は名」

 王は雪の端から列の先頭までを見た。雪を踏んでできた細い道が、そのままひとつの名前の線のように見え、焔の点々が、その線の上に点線を描いていた。点線は、夏に「帰還未確認」を示すために使った線であり、秋に「仮板」を囲うために使った線でもある。冬の点線は、今日、列である。列が点線になり、点線が道になる。道になった点線は、たしかに、人の名をひとりずつ運んでいる。

 楓麟は風を聞き、「雪は明日も降る」と言った。風は北東から南東へ、薄い角度でねじれている。ねじれは、降り続く兆しだ。降り続くなら、雪中列は明日も作らなければならない。作るなら、今日より早く、今日より静かに。風の向きは、明日の策の手触りを先に知らせてくれる。

「剣は列を作らぬ」

 藍珠は言った。剣を雪に突き刺さずに、鞘ごと背負い直す。剣を雪に突き刺せば、剣は旗になる。旗は今日、道具ではない。旗が道具になる日はあるが、今日は違う。彼は自分の背にある重さを確かめ、鍋の方向へ一歩進んだ。進む足は遅い。遅い足が、雪を固める。固められた雪の上に、明日、また列が乗る。

 遥は雪の上に膝をつき、指で短く数字を書いた。「一」。さきほど配り終えた番号札の束の最後の数字だった。数字は雪の上で一拍だけ鮮やかに見え、すぐに雪が上から積もって白く覆った。覆った白の下に、数字の凹みが残る。凹みは夜の間に氷へ変わり、朝、陽に当たって輪郭を現すだろう。数字は、雪に消されない。消えるのは、見た目だ。見えなくなるのは、一時のことだ。

 焔番のひとりが、倒れた老人に粥の器を運んできた。老人は器を受け取り、その重みで現実に戻ってきたように目を瞬かせた。「ありがとう」。彼の声は弱いが、礼の形を保っていた。礼は、冬に効く。礼が列の中に混ざると、怒号の粒がひとつ溶ける。

 狐火の書生が、焔番の腕章の横に小さな絵を描き足した。火鉢の絵の横に、数字を抱えた手の絵。絵の下に、短い言葉。「札は、あなたを待つ」。待つ、という言葉は、冬の強い言葉だ。夏には急ぐが正しいことも、冬には待つが正しいことがある。そのことを、人はいつも冬になって思い出す。

     ◇

 夜半、雪はほんの少しだけ間遠になった。間遠になった間隙を、遠くの狼煙台からの光がゆっくり走った。少年が鏡を掲げ、列の上を跨いで、その光を受ける。受けた光は、鍋小屋の屋根にひとつ反射して、白石列の方角へ流れていった。無色の旗がわずかに震え、銀色の縁が月の光を薄く返す。境界は、雪で固く見えるほど、内側の列が動く。動く列があるかぎり、境界は境界の役目を果たす。

 市兵のひとりが、列の中で小さく囁いた。「番号札、なくした者は?」——焔番が答えた。「なくしても、ここに来た、という列の足跡がある」。足跡は嘘をつかない。雪は、朝になれば足跡を半分消すが、半分残す。半分残った足跡は、札よりも古い記録だ。古い記録に、新しい札を重ねる。それが冬の帳である。

 王は、雪中列の最後尾に立っているひとりの若者に近づいた。若者は緩衝の野から来たばかりで、顔に寒さの亀裂が走っている。彼の手には、番号札がない。王は自分の袖からひと枚取り出し、若者の掌に乗せた。若者は目を見開き、札をまじまじと見てから、王の顔を見た。「これが、俺の番ですか」「ああ。おまえの番だ。——番は、剣ではなく、札で渡す」「札で」。若者は言葉をゆっくり噛んだ。噛む間に、肩の力が少し抜けた。

 遠くの鐘が雪に覆われ、音が鈍い。鈍い音が、広場の端まで届く間に、列の呼吸が一拍揃う。揃った一拍の上で、鍋の蓋が静かに鳴った。鳴りは、小さい。小さな鳴りが、冬の国の大きな合図になる。誰もが、その音で、今日が終わることを知る。

 列は、途切れた。途切れが道の始まりだ。踏み固められた細い雪の帯が、人の往来のない時間を受け取って、夜の間に少しだけ硬くなる。硬くなった帯の上に、明日、また番号札の握られた手が乗る。その手は、今日よりも少し暖かい。火鉢の灰が増え、焔番の腕が少し太くなる。雪番の匙の縁が薄く磨り減り、狐火の書生の絵の余白が一段と狭くなる。剣は、今日も抜かれずに、鞘の中で冬を数える。

     ◇

 夜更け、王宮の回廊。柱の影が長く伸び、窓の外の雪明かりが床の継ぎ目を白く照らす。遥は欄干に肘を置き、広場の雪の道を見下ろした。雪の帯は、名の板から鍋の小屋へと、細い弧を描いている。弧の途中に点々と火鉢の焔があり、焔の間に番号札を握った手の群れがかすかに残像を残している。彼は小さく呟いた。

「列は道。道は名」

 楓麟が横に立ち、風の筋を耳で拾う。風は、明日も降らせると告げている。「雪は明日も降る」。言い終えた彼の頬に、雪の粒がのった。粒はすぐに溶けて、小さな雫が頬の線を滑り落ちる。落ちる雫は、冬の風の形を写し取っていた。

「剣は列を作らぬ」

 藍珠は、背中の鞘を撫でた。「剣は、列の脇に在る。剣は『在る』ことが仕事だ。抜かぬことが、列の仕事を邪魔しない」。彼の声は、いつになく粘りがあった。粘りは、雪と相性が良い。さらさらした声では、雪の音に消される。粘りのある声は、雪の音の間に滑り込んで残る。

 遥は頷き、指で欄干の霜を掬って小さな白い丸を作った。「番号札は小さい。小さいものは、冬に強い」。彼は丸を欄干の上に並べ、そこへ一つずつ、目に見えない名前を置くように指を動かした。指は、空中で見えない線をなぞり、線は冬の呼気にだけ見えた。

「明朝、雪中列の始点を一尺北へ。今日の帯が硬くなる。硬い上に柔らかいを重ねる」

 楓麟が言い、藍珠が「焔番は二つ増やす」と応じる。彼らのやり取りは、短い。短い言葉の奥で、お互いに覚え続けた冬の手順が長く結ばれている。

「列札、足りるか」

 遥の問いに、狐火の書生が紙束を抱えながら駆け上がってきた。「足ります。自分の絵が、札に描かれました。子どもが喜びます」。書生の頬は赤く、指先は墨で黒い。黒と赤が冬の顔になっていた。

「よくやった」

 王は短く言い、書生は短く頭を下げた。短い褒め言葉は、冬に効く。長い褒め言葉は、春に向いている。彼らは季節の尺を、もう覚えていた。

 遠くの白石列の旗が、月の下で微かに鳴った。鳴りは細く、しかし確かだった。旗の布は雪で重く、縄印は霜で白く縛られている。境界は、見えるほど硬い。硬い境界は、内側の動きの音を遠ざける。遠ざけられた音は、夜の間に熱を取り戻し、朝に小さな力になる。

 王は最後にもう一度だけ広場を見下ろし、雪の帯に目を馴染ませた。帯の上に、明日の列の気配が薄く浮かぶ。彼はその気配に向かって心の中で小さく言葉を置いた。「剣を抜かずに、列を通す」。言葉は雪に吸われ、雪は言葉を冷やし、冷えた言葉は朝に備えられた。

 雪は、降り続く。降り続く雪の下で、粥の列は凍らずに進む方法を手に入れた。札は番号を覚え、焔は途中で温め、鞘は杖になり、鏡は合図を送り、絵は道案内を続ける。人は倒れ、起き、雪を払ってまた並ぶ。並ぶことは、冬の祈りである。祈りは、声よりも足でなされる。足は、明日も雪を踏む。雪は、明日も道になる。道は、明日も名になる。名は、明日も消えない。