夏至が近づくと、薄紅平原の匂いはふいに重さを持ちはじめる。刈り揃えきれずに伸びた草の穂が風の高さを測り、畦の土は午前には柔らかく、午後には鉄のように詰まる。白石会盟の旗は、強い日差しで布目が乾いて音を立てた。布の擦れ合うその音は、冬の角笛のような緊張ではない。けれど、油断していると耳の裏にささくれのように残る。旗が多いほど、音は重なる。音が重なるほど、線は見えにくくなる。
水見番の砂時計は、日中の粘りを増していた。砂は乾いているのに、落ちる速度が遅い。熱と湿りの合わさった空気が、目に見えない指で瓶のくびをわずかに押し広げ、また細めるのだと、工営司の若い官は説明した。彼は砂時計を振らない。振れば落ちる。けれど、それは「落とす」ことであって「見守る」ことではないから、と。
朝の評議卓には、紙札の束がいくつも重なっていた。工営司の札には「畦の補強」「収穫路の確保」の朱字が並び、商務の札には「粉挽き水車 優先水量」の下に小さく「歩留まり+一割(仮)」と鉛筆のメモ。医の館の札は極端に短い。「湿熱注意」「化膿多発」「口覆い継続」。紙は短いほど重く、文字は少ないほど強い。
「畦の補強は今のうちに。収穫路は先に『線』だけ確定させて、草刈りと砂敷きは二段で」
工営司の若い官が、指で地図の上に細い線を引いた。線を引く指は、冬に名板の木を選んだ時と同じ指だった。紙を傷つけない指の腹が、夏の重さを軽く見せる。
「粉挽きは水を食う。水車を回せば粉は増える。粉が増えれば、粥の器が一杯分だけ厚くなる」
商務は言った。目は輝いている。ただ、その輝きは数字の光だ。数字はまぶしい。けれど、目を焼くほどの光ではない。
「傷が化膿している。刃物で切った傷ではない。草で擦り、汗を吸って悪くなる。清め場の灰を増やしてほしい」
医の館は短く告げた。短い言葉は、長い沈黙を作る。沈黙の間に、王は砂時計を横目で見た。砂は、落ちている。音はしない。音はしないが、落ちている。
「畦の補強と収穫路を同時進行。水車は『朝の一刻』に限って優先。湿熱対策は清め場の灰、口覆い布の補充、傷の洗い図の再配布。――王の朱を」
遥は朱筆を入れ、最後に「剣で押さえず、柄で揃える」と一行添えた。紙に書かれた言葉は、地に降りれば人の動きを変える。それを知っているから、短い一行を置く。
◇
その日の昼前、白石列の南端で小さな諍いが起きた。小さな、と言っても、火は火だ。放っておけば草むら全体に走る。その出だしはいつも、些細な「名」の競り合いからだ。
紅月側から、放牧民が一列、見えぬ細道を通って畦の外縁に入り、草を刈った。草の匂いに牛の体温の匂いが混ざり、空気は急に甘くなる。白風側の農夫がそれを見つけ、怒鳴る。怒鳴る声は、声というより、喉の奥で先に熱を作る。熱は言葉より速い。
「ここは白風の畦の外だ」
農夫が言う。言いながら、足は畦の縁を踏み越えそうになっている。足は言葉より先に出る。藍珠はその足の筋の動きを遠くから見て、畦の上へ歩み出た。歩幅は小さい。小さい歩幅のほうが、相手の目を逸らさない。彼は農夫と放牧民の間に、視線の橋を一本渡した。
「刈った草の半分を畦の補強に回せ。残りは持ち帰れ」
藍珠の声は、刃の音に似ていない。柄で地面を叩く音に似ている。乾いた一拍で、熱を散らす音。
「次からは『草の線』を立てる。畦の外側に、干し草を束ねて低い柵を。そこまでは草。そこから先は畦。越えるな」
「草は、大地のものだ」
放牧民の年長が言った。言葉そのものは正しい。正しい言葉は、ときに線を溶かす。
「大地は、名で分けない。だが、畦は名を守る。名を守る線を越えるな。――次に越えたときは、草ではなく名が千切れる」
藍珠は淡々と言い、視線をほんの少しだけ下げた。下げた視線は、相手に目を逸らせる隙を与える。年長はその隙を受け取り、頷いた。市兵が駆けつけ、帳簿に「草束の印」を追加する。印は小さな三角で、束の数を点で示す。点は、秋に畦の土になる。点の数が増えるほど、畦は崩れない。
楓麟は遅れて現場に着き、風の匂いを嗅いだ。牛の匂いが濃い。長く続いた習いの匂いだ。習いは、紙に書かれていなくても人の足をそっと導く。風はそれを知っている。
「風下に草の線を立てろ。匂いを畦へ吹き込むな。牛は匂いで線を越える」
楓麟の指示は、見えにくいものに印をつける。市兵は草束の位置を旗ではなく「草縄」で結び、風の道を確かめながら杭を打った。
◇
王宮では、政務室の端に「旗の絵解き」を作るための机がしつらえられていた。無色の旗、白い小旗、灰色の小旗。子どもにも見分けがつくように、板に大きく描く。絵描きの手元には、医の館の書生がいる。狐火の本の図を描いたあの手。今度は旗の意味を絵にし、短い文を添える。
「無色の旗は『裁きの場』。剣を持ち込まない」
「白の小旗は『畦の作業』。柄を持つ。剣は柄の下に隠す」
「灰の小旗は『向こうの約束』。見ているだけで越えない」
子どもが覗き込み、指で旗の縁をなぞる。縁は紙の上でもざらつきがあり、指先の印象として記憶に残る。王は朱筆で最後に一行添えた。「旗は立てる日と倒す日を同じ紙に書け」。会盟は夏至まで。旗は「終わり」の印でもあるのだ。
布告板に絵解きを貼ると、文字が読めない者でも旗を見上げたときに足を止める。足を止める時間が、争いを遅らせる。遅れる争いは、違う形に変わる可能性がある。王はそれを何度も見た。
◇
緩衝の野では、別の「熱」が生まれていた。柄を支給された男たちが、自発的に井戸の柵を直し、収穫路の草を刈り、畦の補修に手を出す。手を出すのは良い。けれど、指揮の線が曖昧で、工営司の若い官と動きがぶつかる。
「こっちの角木はまだ封印札が下りていない。触るな」
「触らなければ水は瘦せる。瘦せれば畑がやせる」
言葉はどちらも正しい。正しい言葉のぶつかり合いは、剣のぶつかり合いより厄介だ。剣なら止めればいい。言葉は止まらない。
藍珠が緩衝の野の中央に立ち、「柄隊」を仮設編成した。十人につき一人の「畦頭(あぜがしら)」を任命。畦頭には簡易の腰札と砂時計を渡す。腰札には王の朱書きから抜いた短句「刃より柄の訓(おしえ)」を背に書かせた。短句は半ば呪文のようで、半ば笑い話のようだ。笑いが混ざるほうが、命令は飲み込みやすい。
「畦頭は『時間の刃』を持つ」
藍珠は言った。柄隊の男たちは一瞬顔を見合わせ、それから砂時計を指で弾いた。砂が落ちる。落ちる砂は目に見える。見える刃は扱いやすい。工営司の若い官がそこに近づき、畦頭に「角木の順」を渡す。順は紙に書かれた音楽の譜みたいに見えた。時刻と方角、堰の高さ、封印札の色、名前。名前は、最小の音符だ。
畦頭に選ばれた一人は、緩衝の野から来た元・脱走兵だった。腕の古傷が薄く光る。彼は砂時計の落ちる砂を飽かず眺め、やがて自分の肘の内側に砂の重さを覚え込ませた。砂の重さは、刃の重さとは違う。違うが、手は重さを忘れない。
◇
午後、風が急に西へ回った。旗が不規則に鳴る。旗の音は、耳の後ろから首筋へと降りる。狼煙番の少年が塔から鏡で合図を送った。「紅月の灰旗、三。放牧民の列が戻る」。光は短く、的確だ。藍珠は畦頭に手振りで合図し、柄隊の動きを半刻止める。止めることで、誰かの足が余分に前へ出るのを防ぐ。楓麟は空を見上げる。雲の縁が、ほんの少しだけ、夏の色を濃くしていた。
白石列の旗は、鳴って、また静かになった。静かになれば、旗はただの布だ。布は夏の光を吸い、夜に向けて冷やす。布が冷えると、空気の輪郭がはっきりする。輪郭がはっきりすると、人の足は線から外れにくい。風はいつも、その順序で力を使う。
◇
王はその夜、回廊で旗の縁を指でなぞりながら歩いた。布目が乾いていて、指先に細かいざらつきが移る。ざらつきは、夏の皮膚の記憶と似ていた。旗が増えるほど、人の目は薄れる――遥はつぶやくように言った。目が薄れると、声が太くなる。太い声は、線を乱す。
「だから絵解きを増やした」
楓麟が答えた。文字より絵のほうが早い。早いものは、噂に勝つ。勝てば、線は守られる。守られた線は、次の朝の仕事の場所になる。
「旗は立てるだけでなく、倒す日も決めておく」
藍珠が言う。旗は合図であり、終わりの印でもある。立てる日は簡単だ。倒す日は難しい。倒す日に、剣を抜かないようにするのが、夏の難しさだ。
白石会盟は夏至まで。旗は、終わりへ向かって立っている。終わりへ向かって立つ旗の下で、人は始まりの準備をする。矛盾のようだが、矛盾でうまく回るものが、この国には多い。
◇
翌朝、畦の補強は「草の線」を基に広がった。畦の外側に干し草を束ねて低い柵をつくる。柵は人を止めるためだけではなく、土を風から守るための「鱗」にもなる。草の鱗は、夏の夕立で膨らみ、翌朝には乾いて薄くなる。その呼吸に合わせて、畦頭は砂時計を返した。
畦の上を歩く男が、足を止めて自分の指を見た。指の先に小さな膿が溜まっていた。医の館の短い札が蘇る。“湿熱注意”。清め場で灰をもらい、湯で指を洗い、晒で巻く。晒の端は細い。細い布は、言葉を短くする。短い言葉は、守られやすい。
工営司の若い官は、柄隊と視線を交わし、角木の封印札を一枚ずつ確かめた。札には「村の名」と「時」の字が同じ大きさで書いてある。名と時を同じ大きさにするのは、王の癖だ。名が大きすぎると時が隠れ、時が大きすぎると名が薄くなる。均しておくのが、夏の秤。
緩衝の野から新しく畦頭になった男は、砂時計の袋を握り、腰札の裏の短句を指でなぞった。「刃より柄の訓」。指に墨がうっすら移る。移る墨は、剣の匂いより早く彼の胸へ入っていった。彼は自分の過去の名を一度思い出し、思い出した名をそっと置き直した。名は、置き直すことができる。板があり、札があり、砂があれば。
◇
午後、熱が街に降りてきた。熱は風に乗り、旗の縁で小さくはじけ、畦の草の間で粘ついた。水車は朝の一刻だけ回り、今は止まっている。止まった水車の影は、働き終えた獣の横顔に似ていた。影は長く、疲れているが、眠ってはいない。
商務が「歩留まり+一割(仮)」の数字を紙から消す前に、王が出先の検塩所に立ち寄る。桶の中で塩がゆらぎ、比重石が沈む。沈み方で、塩の濃さが分かる。濃さは、嘘を嫌う。嘘は軽い。軽いものは沈まない。沈まないものは、夏に浮いて、白い泡を作る。泡は涼しげで、美しい。けれど、それが腹を満たすことはない。
「旗の絵解き」が掲示板に貼られたその日の夕方、子どもたちが旗の下に集まった。狼煙番の少年が鏡を掲げ、無色の旗に光を跳ね返して見せる。光は旗の白地で砕け、地面に小さな丸を散らす。丸は、砂時計の砂粒に似ていた。子どもはその丸を足で踏み、笑った。旗の意味が足に入る。
◇
白石列の南端の放牧の列は、翌日には整って戻ってきた。草の線の手前で牛が止まり、放牧民が牛の頬を撫で、草束を数えた。数える声は、小さく、静かだ。静かに数える声は、夏の午後には心地よい。市兵の帳簿の隣に、草束の印の欄が増え、印の横に小さく「畦補」と朱が入る。補強の補。人の目は、自分の働きの隣にこの字を見ると、目尻が少しだけ下がる。
畦の上で農夫が鍬を持ち、放牧民が草縄を結ぶ。結ぶ手の形は違う。違うのに、出来上がる輪は同じ。輪が重なり、線になる。線は草でできているのに、刃よりも硬い瞬間がある。瞬間の硬さを見分けるのが、畦頭の仕事だ。
◇
夜。王宮の回廊の端で、旗の影が地面に落ち、その影の中を風が通った。風が通ると、影は動く。影は動くが、旗の棒は動かない。棒は地に刺さっている。刺さっている棒の足元に、工営司の若い官が小さな石を円に並べた。円は「倒す日」の印。立てた日に隣の土に倒す日の石を置く。置いた石を誰かが蹴ってしまっても、また置く。置き続けることが、「終わり」を始める方法だ。
「旗が増えるほど、人の目は薄れる」
王がもう一度つぶやいた。楓麟は空を見て、答えた。
「目が薄れたぶん、手を濃くする。絵解きの板も、草の線も、柄隊の腰札も、みんな『手の濃さ』だ」
藍珠は剣の柄に手を置き、笑った。
「旗を倒す日は、剣を抜かずに棒を抜く日でもある。棒を抜く力は、剣より鈍い。鈍い力の稽古を、夏のうちに」
「鈍い力が、秋の刃を鈍らせる」
王は答えた。言葉は眠気の縁を歩き、夜の空気の中でほどけ、また結ばれる。
◇
夏至の前の数日間、砂時計の砂は微妙に重くなった。空気の湿りが砂の表面に薄い皮を作り、粒が互いに引き合う。落ちる速度は遅くなり、その遅さが「待つ」ことの形として目に見える。畦頭は砂の遅さを受け入れ、角木の封印札を利き手ではないほうの手で結び直した。利き手を休ませる日が必要だと、工営司の若い官が教えた。教える声は低く、眠気を誘う。眠気は、焦りに勝つ。
緩衝の野の柄隊は「刃より柄の訓」を背に汗を流し、井戸の柵の針金を締め直した。針金は夏に伸びる。伸びるから、締め直す。締め直しは、仕事の二度目。二度目の仕事を嫌う者は、二度目の失敗をする。柄隊の一人が、締め直した針金で自分の指先をほんの少し切り、清め場でそれを笑いながら洗った。笑う声は、夏の虫が鳴く前触れのように微細だった。
医の館は「化膿多発」の札の横に「草と汗」の絵を貼り、子どもにも分かるように傷の洗い方を見せた。狐火の本の書生が、その絵の横で水の絵を描く。水は剣よりも長い線を黙って引く。引いた線に人が沿う。沿う人の足を、病は時々引っ掛ける。引っ掛けられた足を、紙は起こす。紙の力は、夏に強い。
◇
ある夕暮れ、畦の端で小さな事件があった。緩衝の野から来た若い男が、畦頭の砂時計に手を伸ばしたのだ。「落ちるのが遅すぎる」と言って、瓶を振ろうとした。振れば砂は落ちる。落ちるが、それは時間を進める作業ではなく、時間の首を掴む行為だ。
「触るな」
畦頭は静かに言った。静かな声の背後に、柄の重さがある。重さは短い言葉を支える。
「落ちない砂は、落ちないから意味がある。落ちにくい日が、畦の土を固める。固まりが翌日に残る」
若い男は手を止め、やがて笑った。笑いは自分へ向いたものだった。自分の焦りを笑う人間の笑いは、他人を傷つけない。砂はそのあいだも落ちていた。落ち続けていた。
◇
白石列の旗の下で、小さな影が動いた。狼煙番の少年が、鏡を胸に抱えて走る。無色の旗の裾に反射の光がさっと滑り、草の線の上でひと跳ねする。少年は一拍息を吸い、塔へ光を送る。返ってくる光は、ほとんど目に見えない。見えないのに、少年は受け取る。受け取れるのは、練習の数だ。練習は人を裏切らない。裏切らないものに人は名を与える。少年は鏡に名をつけない。鏡は鏡だ。けれど、鏡は彼の手の中で彼自身の線をほんの少し太くする。
◇
夜更け、王は地図室で草の線を細く描き足した。畦と畦の外縁に、干し草の細い帯が走る。紙の上の線は乾いている。乾いているのに、指でなぞると湿りを感じる。湿りは記憶だ。冬の網をほどいた時に指に残った感触が、夏の紙にも薄く残っている。あの時、剣を抜く代わりに鍬を握った手のひらの汗。汗の塩は、紙に見えない白い輪を作った。輪の上に今、草の線を引く。輪は重なり、線は太くなる。
「習い」
王は呟いた。地図の端にある小さな欄に「習い」と書き、その横に小さな石印を押す。秤の片皿に「習い」という目に見えぬ重りを置く。置いた重りは、紙の上で軽い。けれど、外に出れば重くなる。放牧民が牛の頬を撫でるとき、農夫が畦の土を足で押すとき、子どもが旗の影を踏むとき――それぞれの習いは重さを持ち、線の隙間を埋める。
楓麟が入ってきて、風の向きを確認した。「南南東」。夏至前の定位置だ。風は旗を鳴らすよりも、畦の草を眠らせる方に力を使っている。藍珠が後から現れ、剣の柄に手を置いたまま、机上の草の線をじっと見た。
「刃は立てれば早い。柄は立てても遅い」
「遅いもので間に合うかを、夏は毎日試してくる」
王は笑った。笑うと、朱の筆先が少しだけ軽くなった。軽くなった筆は紙に優しく、線はまっすぐ引ける。まっすぐ引ける線は、細くても折れない。
◇
夏至の前夜、白石と畦と旗が、同じ月に照らされた。白石は冷たく、畦は温かく、旗は乾いていた。草の線は風に揺れ、揺れながら地面に影を置いた。影は軽い。けれど、その下にある土は重い。重さは、誰かが日中に運んだものだ。柄隊の肩、畦頭の腰、工営司の指、医の館の言葉、商務の数字、狼煙の光、子どもの足――重さはそれぞれの形で持ち寄られ、夜に一つの影になった。
争いは、剣を抜かずに済んだ。刃の音はしなかった。草のこすれる音と、砂が落ちるわずかな音と、旗の布が擦れる音だけが、夏の境界を鳴らした。けれど、王は知っている。収穫が近づくほど、畦の一本、旗の一本の重みは増す。線に乗るものが増えるからだ。増えるものを支えるのは、紙の線だけでは足りない。草の線、砂の線、人の目の線――いくつもの線で支える。
王は机上の地図に、最後の一本の草の線を描き足した。細い。細いが、見える。見えるということは、守れるということだ。守るということは、倒す日を決めるということだ。白石会盟は夏至まで。旗は立っている。倒す日が決まっている旗は、立ちながら終わりに近づく。終わりに近づく旗の下で、人は次の始まりを準備する。準備は紙に書かれ、板に打たれ、砂に刻まれる。草は夜露を吸い、朝にまた匂いを濃くする。匂いは風を呼び、風は旗を鳴らす。鳴った旗の下で、畦の上に人が立つ。立つ姿は、冬に見たものと同じで、少し違う。違うのは、剣ではなく柄を持っていること。柄は重い。重いのに、人はそれを持ち上げる。重いものを持ち上げることに、夏の意味が宿る。
そしてその重みは、名の列へと静かに戻っていく。貼られた紙の角が夜風に揺れ、剥がれない。紙の裏にある板は、冬から持ちこたえてきた固さで、夏を受け止めている。名は消えない。線は消えない。畦は崩れない。旗は、倒す日まで立っている。
夏の真中で、国はゆっくりと呼吸した。呼吸の速さは、砂の落ちる速さと似ている。速すぎず、遅すぎず。砂は落ち、草は揺れ、旗は鳴り、白石は沈黙し、名は紙の上で重くなった。重くなった名は、秋の前触れをどこかで静かに呼んでいる。その呼び声はまだ遠い。遠いが、確かだ。確かなものは、いつも静かだ。静かなものの上に、夏の重みは重なり、積み重なった分だけ、軽くなる。軽くなるから、人はまた明日の柄を持ち上げる。明日の旗を見上げる。明日の畦に足を置く――線のこちら側で。
水見番の砂時計は、日中の粘りを増していた。砂は乾いているのに、落ちる速度が遅い。熱と湿りの合わさった空気が、目に見えない指で瓶のくびをわずかに押し広げ、また細めるのだと、工営司の若い官は説明した。彼は砂時計を振らない。振れば落ちる。けれど、それは「落とす」ことであって「見守る」ことではないから、と。
朝の評議卓には、紙札の束がいくつも重なっていた。工営司の札には「畦の補強」「収穫路の確保」の朱字が並び、商務の札には「粉挽き水車 優先水量」の下に小さく「歩留まり+一割(仮)」と鉛筆のメモ。医の館の札は極端に短い。「湿熱注意」「化膿多発」「口覆い継続」。紙は短いほど重く、文字は少ないほど強い。
「畦の補強は今のうちに。収穫路は先に『線』だけ確定させて、草刈りと砂敷きは二段で」
工営司の若い官が、指で地図の上に細い線を引いた。線を引く指は、冬に名板の木を選んだ時と同じ指だった。紙を傷つけない指の腹が、夏の重さを軽く見せる。
「粉挽きは水を食う。水車を回せば粉は増える。粉が増えれば、粥の器が一杯分だけ厚くなる」
商務は言った。目は輝いている。ただ、その輝きは数字の光だ。数字はまぶしい。けれど、目を焼くほどの光ではない。
「傷が化膿している。刃物で切った傷ではない。草で擦り、汗を吸って悪くなる。清め場の灰を増やしてほしい」
医の館は短く告げた。短い言葉は、長い沈黙を作る。沈黙の間に、王は砂時計を横目で見た。砂は、落ちている。音はしない。音はしないが、落ちている。
「畦の補強と収穫路を同時進行。水車は『朝の一刻』に限って優先。湿熱対策は清め場の灰、口覆い布の補充、傷の洗い図の再配布。――王の朱を」
遥は朱筆を入れ、最後に「剣で押さえず、柄で揃える」と一行添えた。紙に書かれた言葉は、地に降りれば人の動きを変える。それを知っているから、短い一行を置く。
◇
その日の昼前、白石列の南端で小さな諍いが起きた。小さな、と言っても、火は火だ。放っておけば草むら全体に走る。その出だしはいつも、些細な「名」の競り合いからだ。
紅月側から、放牧民が一列、見えぬ細道を通って畦の外縁に入り、草を刈った。草の匂いに牛の体温の匂いが混ざり、空気は急に甘くなる。白風側の農夫がそれを見つけ、怒鳴る。怒鳴る声は、声というより、喉の奥で先に熱を作る。熱は言葉より速い。
「ここは白風の畦の外だ」
農夫が言う。言いながら、足は畦の縁を踏み越えそうになっている。足は言葉より先に出る。藍珠はその足の筋の動きを遠くから見て、畦の上へ歩み出た。歩幅は小さい。小さい歩幅のほうが、相手の目を逸らさない。彼は農夫と放牧民の間に、視線の橋を一本渡した。
「刈った草の半分を畦の補強に回せ。残りは持ち帰れ」
藍珠の声は、刃の音に似ていない。柄で地面を叩く音に似ている。乾いた一拍で、熱を散らす音。
「次からは『草の線』を立てる。畦の外側に、干し草を束ねて低い柵を。そこまでは草。そこから先は畦。越えるな」
「草は、大地のものだ」
放牧民の年長が言った。言葉そのものは正しい。正しい言葉は、ときに線を溶かす。
「大地は、名で分けない。だが、畦は名を守る。名を守る線を越えるな。――次に越えたときは、草ではなく名が千切れる」
藍珠は淡々と言い、視線をほんの少しだけ下げた。下げた視線は、相手に目を逸らせる隙を与える。年長はその隙を受け取り、頷いた。市兵が駆けつけ、帳簿に「草束の印」を追加する。印は小さな三角で、束の数を点で示す。点は、秋に畦の土になる。点の数が増えるほど、畦は崩れない。
楓麟は遅れて現場に着き、風の匂いを嗅いだ。牛の匂いが濃い。長く続いた習いの匂いだ。習いは、紙に書かれていなくても人の足をそっと導く。風はそれを知っている。
「風下に草の線を立てろ。匂いを畦へ吹き込むな。牛は匂いで線を越える」
楓麟の指示は、見えにくいものに印をつける。市兵は草束の位置を旗ではなく「草縄」で結び、風の道を確かめながら杭を打った。
◇
王宮では、政務室の端に「旗の絵解き」を作るための机がしつらえられていた。無色の旗、白い小旗、灰色の小旗。子どもにも見分けがつくように、板に大きく描く。絵描きの手元には、医の館の書生がいる。狐火の本の図を描いたあの手。今度は旗の意味を絵にし、短い文を添える。
「無色の旗は『裁きの場』。剣を持ち込まない」
「白の小旗は『畦の作業』。柄を持つ。剣は柄の下に隠す」
「灰の小旗は『向こうの約束』。見ているだけで越えない」
子どもが覗き込み、指で旗の縁をなぞる。縁は紙の上でもざらつきがあり、指先の印象として記憶に残る。王は朱筆で最後に一行添えた。「旗は立てる日と倒す日を同じ紙に書け」。会盟は夏至まで。旗は「終わり」の印でもあるのだ。
布告板に絵解きを貼ると、文字が読めない者でも旗を見上げたときに足を止める。足を止める時間が、争いを遅らせる。遅れる争いは、違う形に変わる可能性がある。王はそれを何度も見た。
◇
緩衝の野では、別の「熱」が生まれていた。柄を支給された男たちが、自発的に井戸の柵を直し、収穫路の草を刈り、畦の補修に手を出す。手を出すのは良い。けれど、指揮の線が曖昧で、工営司の若い官と動きがぶつかる。
「こっちの角木はまだ封印札が下りていない。触るな」
「触らなければ水は瘦せる。瘦せれば畑がやせる」
言葉はどちらも正しい。正しい言葉のぶつかり合いは、剣のぶつかり合いより厄介だ。剣なら止めればいい。言葉は止まらない。
藍珠が緩衝の野の中央に立ち、「柄隊」を仮設編成した。十人につき一人の「畦頭(あぜがしら)」を任命。畦頭には簡易の腰札と砂時計を渡す。腰札には王の朱書きから抜いた短句「刃より柄の訓(おしえ)」を背に書かせた。短句は半ば呪文のようで、半ば笑い話のようだ。笑いが混ざるほうが、命令は飲み込みやすい。
「畦頭は『時間の刃』を持つ」
藍珠は言った。柄隊の男たちは一瞬顔を見合わせ、それから砂時計を指で弾いた。砂が落ちる。落ちる砂は目に見える。見える刃は扱いやすい。工営司の若い官がそこに近づき、畦頭に「角木の順」を渡す。順は紙に書かれた音楽の譜みたいに見えた。時刻と方角、堰の高さ、封印札の色、名前。名前は、最小の音符だ。
畦頭に選ばれた一人は、緩衝の野から来た元・脱走兵だった。腕の古傷が薄く光る。彼は砂時計の落ちる砂を飽かず眺め、やがて自分の肘の内側に砂の重さを覚え込ませた。砂の重さは、刃の重さとは違う。違うが、手は重さを忘れない。
◇
午後、風が急に西へ回った。旗が不規則に鳴る。旗の音は、耳の後ろから首筋へと降りる。狼煙番の少年が塔から鏡で合図を送った。「紅月の灰旗、三。放牧民の列が戻る」。光は短く、的確だ。藍珠は畦頭に手振りで合図し、柄隊の動きを半刻止める。止めることで、誰かの足が余分に前へ出るのを防ぐ。楓麟は空を見上げる。雲の縁が、ほんの少しだけ、夏の色を濃くしていた。
白石列の旗は、鳴って、また静かになった。静かになれば、旗はただの布だ。布は夏の光を吸い、夜に向けて冷やす。布が冷えると、空気の輪郭がはっきりする。輪郭がはっきりすると、人の足は線から外れにくい。風はいつも、その順序で力を使う。
◇
王はその夜、回廊で旗の縁を指でなぞりながら歩いた。布目が乾いていて、指先に細かいざらつきが移る。ざらつきは、夏の皮膚の記憶と似ていた。旗が増えるほど、人の目は薄れる――遥はつぶやくように言った。目が薄れると、声が太くなる。太い声は、線を乱す。
「だから絵解きを増やした」
楓麟が答えた。文字より絵のほうが早い。早いものは、噂に勝つ。勝てば、線は守られる。守られた線は、次の朝の仕事の場所になる。
「旗は立てるだけでなく、倒す日も決めておく」
藍珠が言う。旗は合図であり、終わりの印でもある。立てる日は簡単だ。倒す日は難しい。倒す日に、剣を抜かないようにするのが、夏の難しさだ。
白石会盟は夏至まで。旗は、終わりへ向かって立っている。終わりへ向かって立つ旗の下で、人は始まりの準備をする。矛盾のようだが、矛盾でうまく回るものが、この国には多い。
◇
翌朝、畦の補強は「草の線」を基に広がった。畦の外側に干し草を束ねて低い柵をつくる。柵は人を止めるためだけではなく、土を風から守るための「鱗」にもなる。草の鱗は、夏の夕立で膨らみ、翌朝には乾いて薄くなる。その呼吸に合わせて、畦頭は砂時計を返した。
畦の上を歩く男が、足を止めて自分の指を見た。指の先に小さな膿が溜まっていた。医の館の短い札が蘇る。“湿熱注意”。清め場で灰をもらい、湯で指を洗い、晒で巻く。晒の端は細い。細い布は、言葉を短くする。短い言葉は、守られやすい。
工営司の若い官は、柄隊と視線を交わし、角木の封印札を一枚ずつ確かめた。札には「村の名」と「時」の字が同じ大きさで書いてある。名と時を同じ大きさにするのは、王の癖だ。名が大きすぎると時が隠れ、時が大きすぎると名が薄くなる。均しておくのが、夏の秤。
緩衝の野から新しく畦頭になった男は、砂時計の袋を握り、腰札の裏の短句を指でなぞった。「刃より柄の訓」。指に墨がうっすら移る。移る墨は、剣の匂いより早く彼の胸へ入っていった。彼は自分の過去の名を一度思い出し、思い出した名をそっと置き直した。名は、置き直すことができる。板があり、札があり、砂があれば。
◇
午後、熱が街に降りてきた。熱は風に乗り、旗の縁で小さくはじけ、畦の草の間で粘ついた。水車は朝の一刻だけ回り、今は止まっている。止まった水車の影は、働き終えた獣の横顔に似ていた。影は長く、疲れているが、眠ってはいない。
商務が「歩留まり+一割(仮)」の数字を紙から消す前に、王が出先の検塩所に立ち寄る。桶の中で塩がゆらぎ、比重石が沈む。沈み方で、塩の濃さが分かる。濃さは、嘘を嫌う。嘘は軽い。軽いものは沈まない。沈まないものは、夏に浮いて、白い泡を作る。泡は涼しげで、美しい。けれど、それが腹を満たすことはない。
「旗の絵解き」が掲示板に貼られたその日の夕方、子どもたちが旗の下に集まった。狼煙番の少年が鏡を掲げ、無色の旗に光を跳ね返して見せる。光は旗の白地で砕け、地面に小さな丸を散らす。丸は、砂時計の砂粒に似ていた。子どもはその丸を足で踏み、笑った。旗の意味が足に入る。
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白石列の南端の放牧の列は、翌日には整って戻ってきた。草の線の手前で牛が止まり、放牧民が牛の頬を撫で、草束を数えた。数える声は、小さく、静かだ。静かに数える声は、夏の午後には心地よい。市兵の帳簿の隣に、草束の印の欄が増え、印の横に小さく「畦補」と朱が入る。補強の補。人の目は、自分の働きの隣にこの字を見ると、目尻が少しだけ下がる。
畦の上で農夫が鍬を持ち、放牧民が草縄を結ぶ。結ぶ手の形は違う。違うのに、出来上がる輪は同じ。輪が重なり、線になる。線は草でできているのに、刃よりも硬い瞬間がある。瞬間の硬さを見分けるのが、畦頭の仕事だ。
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夜。王宮の回廊の端で、旗の影が地面に落ち、その影の中を風が通った。風が通ると、影は動く。影は動くが、旗の棒は動かない。棒は地に刺さっている。刺さっている棒の足元に、工営司の若い官が小さな石を円に並べた。円は「倒す日」の印。立てた日に隣の土に倒す日の石を置く。置いた石を誰かが蹴ってしまっても、また置く。置き続けることが、「終わり」を始める方法だ。
「旗が増えるほど、人の目は薄れる」
王がもう一度つぶやいた。楓麟は空を見て、答えた。
「目が薄れたぶん、手を濃くする。絵解きの板も、草の線も、柄隊の腰札も、みんな『手の濃さ』だ」
藍珠は剣の柄に手を置き、笑った。
「旗を倒す日は、剣を抜かずに棒を抜く日でもある。棒を抜く力は、剣より鈍い。鈍い力の稽古を、夏のうちに」
「鈍い力が、秋の刃を鈍らせる」
王は答えた。言葉は眠気の縁を歩き、夜の空気の中でほどけ、また結ばれる。
◇
夏至の前の数日間、砂時計の砂は微妙に重くなった。空気の湿りが砂の表面に薄い皮を作り、粒が互いに引き合う。落ちる速度は遅くなり、その遅さが「待つ」ことの形として目に見える。畦頭は砂の遅さを受け入れ、角木の封印札を利き手ではないほうの手で結び直した。利き手を休ませる日が必要だと、工営司の若い官が教えた。教える声は低く、眠気を誘う。眠気は、焦りに勝つ。
緩衝の野の柄隊は「刃より柄の訓」を背に汗を流し、井戸の柵の針金を締め直した。針金は夏に伸びる。伸びるから、締め直す。締め直しは、仕事の二度目。二度目の仕事を嫌う者は、二度目の失敗をする。柄隊の一人が、締め直した針金で自分の指先をほんの少し切り、清め場でそれを笑いながら洗った。笑う声は、夏の虫が鳴く前触れのように微細だった。
医の館は「化膿多発」の札の横に「草と汗」の絵を貼り、子どもにも分かるように傷の洗い方を見せた。狐火の本の書生が、その絵の横で水の絵を描く。水は剣よりも長い線を黙って引く。引いた線に人が沿う。沿う人の足を、病は時々引っ掛ける。引っ掛けられた足を、紙は起こす。紙の力は、夏に強い。
◇
ある夕暮れ、畦の端で小さな事件があった。緩衝の野から来た若い男が、畦頭の砂時計に手を伸ばしたのだ。「落ちるのが遅すぎる」と言って、瓶を振ろうとした。振れば砂は落ちる。落ちるが、それは時間を進める作業ではなく、時間の首を掴む行為だ。
「触るな」
畦頭は静かに言った。静かな声の背後に、柄の重さがある。重さは短い言葉を支える。
「落ちない砂は、落ちないから意味がある。落ちにくい日が、畦の土を固める。固まりが翌日に残る」
若い男は手を止め、やがて笑った。笑いは自分へ向いたものだった。自分の焦りを笑う人間の笑いは、他人を傷つけない。砂はそのあいだも落ちていた。落ち続けていた。
◇
白石列の旗の下で、小さな影が動いた。狼煙番の少年が、鏡を胸に抱えて走る。無色の旗の裾に反射の光がさっと滑り、草の線の上でひと跳ねする。少年は一拍息を吸い、塔へ光を送る。返ってくる光は、ほとんど目に見えない。見えないのに、少年は受け取る。受け取れるのは、練習の数だ。練習は人を裏切らない。裏切らないものに人は名を与える。少年は鏡に名をつけない。鏡は鏡だ。けれど、鏡は彼の手の中で彼自身の線をほんの少し太くする。
◇
夜更け、王は地図室で草の線を細く描き足した。畦と畦の外縁に、干し草の細い帯が走る。紙の上の線は乾いている。乾いているのに、指でなぞると湿りを感じる。湿りは記憶だ。冬の網をほどいた時に指に残った感触が、夏の紙にも薄く残っている。あの時、剣を抜く代わりに鍬を握った手のひらの汗。汗の塩は、紙に見えない白い輪を作った。輪の上に今、草の線を引く。輪は重なり、線は太くなる。
「習い」
王は呟いた。地図の端にある小さな欄に「習い」と書き、その横に小さな石印を押す。秤の片皿に「習い」という目に見えぬ重りを置く。置いた重りは、紙の上で軽い。けれど、外に出れば重くなる。放牧民が牛の頬を撫でるとき、農夫が畦の土を足で押すとき、子どもが旗の影を踏むとき――それぞれの習いは重さを持ち、線の隙間を埋める。
楓麟が入ってきて、風の向きを確認した。「南南東」。夏至前の定位置だ。風は旗を鳴らすよりも、畦の草を眠らせる方に力を使っている。藍珠が後から現れ、剣の柄に手を置いたまま、机上の草の線をじっと見た。
「刃は立てれば早い。柄は立てても遅い」
「遅いもので間に合うかを、夏は毎日試してくる」
王は笑った。笑うと、朱の筆先が少しだけ軽くなった。軽くなった筆は紙に優しく、線はまっすぐ引ける。まっすぐ引ける線は、細くても折れない。
◇
夏至の前夜、白石と畦と旗が、同じ月に照らされた。白石は冷たく、畦は温かく、旗は乾いていた。草の線は風に揺れ、揺れながら地面に影を置いた。影は軽い。けれど、その下にある土は重い。重さは、誰かが日中に運んだものだ。柄隊の肩、畦頭の腰、工営司の指、医の館の言葉、商務の数字、狼煙の光、子どもの足――重さはそれぞれの形で持ち寄られ、夜に一つの影になった。
争いは、剣を抜かずに済んだ。刃の音はしなかった。草のこすれる音と、砂が落ちるわずかな音と、旗の布が擦れる音だけが、夏の境界を鳴らした。けれど、王は知っている。収穫が近づくほど、畦の一本、旗の一本の重みは増す。線に乗るものが増えるからだ。増えるものを支えるのは、紙の線だけでは足りない。草の線、砂の線、人の目の線――いくつもの線で支える。
王は机上の地図に、最後の一本の草の線を描き足した。細い。細いが、見える。見えるということは、守れるということだ。守るということは、倒す日を決めるということだ。白石会盟は夏至まで。旗は立っている。倒す日が決まっている旗は、立ちながら終わりに近づく。終わりに近づく旗の下で、人は次の始まりを準備する。準備は紙に書かれ、板に打たれ、砂に刻まれる。草は夜露を吸い、朝にまた匂いを濃くする。匂いは風を呼び、風は旗を鳴らす。鳴った旗の下で、畦の上に人が立つ。立つ姿は、冬に見たものと同じで、少し違う。違うのは、剣ではなく柄を持っていること。柄は重い。重いのに、人はそれを持ち上げる。重いものを持ち上げることに、夏の意味が宿る。
そしてその重みは、名の列へと静かに戻っていく。貼られた紙の角が夜風に揺れ、剥がれない。紙の裏にある板は、冬から持ちこたえてきた固さで、夏を受け止めている。名は消えない。線は消えない。畦は崩れない。旗は、倒す日まで立っている。
夏の真中で、国はゆっくりと呼吸した。呼吸の速さは、砂の落ちる速さと似ている。速すぎず、遅すぎず。砂は落ち、草は揺れ、旗は鳴り、白石は沈黙し、名は紙の上で重くなった。重くなった名は、秋の前触れをどこかで静かに呼んでいる。その呼び声はまだ遠い。遠いが、確かだ。確かなものは、いつも静かだ。静かなものの上に、夏の重みは重なり、積み重なった分だけ、軽くなる。軽くなるから、人はまた明日の柄を持ち上げる。明日の旗を見上げる。明日の畦に足を置く――線のこちら側で。



