二人の会話が子守歌になったのか、クローレがテーブルに突っ伏して眠っている。

「部屋に連れていってあげたら?」

「しゃあねえか」

 酔っ払ったように前後不覚のクローレを抱き上げてやると、薄く目を開け、ふやけたように笑う。

「うふふ、お姫様みたい。逃げちゃいやよ、キージェ」

 のんきな寝言だな。

「ねえ」と、なまめかしい声で誘う。「夢の中でいいからチューして」

 しねえよ。

 夢見る姫君を両手で抱えながらキージェは階段を上がっていく。

 その後ろをクレアがついてくる。

「今なら、あなたの背中を刺すのも簡単でしょうね」

「俺はこいつをぶん投げてでも、生き残ろうとするぜ」

「でしょうね」と、クレアの笑いが耳に届く。「でも、その()、あなたのことを愛してるんだから、大事にしてあげて」

「だから、こうしてやってるんじゃねえかよ」

 キージェは無防備な背中をさらしながら、クローレを寝室に運び込んだ。

 十五年前、あんな高貴なお姫様じゃなくて、おまえさんだったら、俺にもレンゲ畑を二人で駆け回ってイチャついてた人生なんてのもあったのかもな。

 いや、ねえな。

 似合わないこと考えちまったぜ。

 ふわりと女が香る。

 あいかわらず柔らかくて顔を埋めたくなるような女だな。

 ベッドの上に寝かせてやると、ミュリアがかたわらに乗っかって添い寝する。

 ――俺の代わりにいい夢見させてやってくれ。

 雪狼はふるっと尻尾を振って、布団に潜り込んだ。

「よく躾けられた犬ね」

 どうやらクレアにもハーフエルフの声は聞こえないらしい。

「十歳のガキだよ」

「こんなに大きいのにね」

 キージェはドアをそっと閉めると、自分の部屋へ向かった。

「おやすみなさい」

 後ろから声をかけるクレアに、右手を挙げただけで、キージェは自分の部屋に入った。

 ――さてと。

 ストームブレイドの柄に手をかけ、窓から外をのぞく。

 村は闇に沈み、教会の尖塔だけが月光に浮かぶ。

 窓枠に足をかけ、身を乗り出し、一階に張り出した屋根づたいに隣の部屋の窓へ移る。

 ベッドの上でミュリアが顔を上げていた。

 頼むぞ。

 ――任せて。

 キージェはマントを翻し、屋根から音を立てずに飛び降りると、人気(ひとけ)のない路地をたどって村を出た。

 牧草地を突っ切り、小高い丘の森へ駆け込む。

 振り向くと、月明かりの下に村全体が見渡せた。

 ここならいいだろう。

 木陰に身を隠し、マントにくるまり夜明けを待つ。

 丘を吹き上げてきた冷たい夜風が無精ひげを撫で、遠くでフクロウの鳴き声が響く。

 だが、そんな不気味さがむしろキージェの心を落ち着かせた。

 不意にクローレの香りが鼻をくすぐったような気がした。

 星空に女の顔がちらつくなんて、ついこの間までは想像もしなかったな。

 甘い未練を追い出すために、キージェはストームブレイドを鞘から抜いて錆びた血の臭いを嗅いだ。

 俺にはこっちの方が似合うってもんだ。

 勝負は明日の夜明けだ。