「で、それで……」と、クローレがあくびを噛みつぶして首をふらつかせる。「キージェは……どうなの……」

「どうって、何が?」

 返事をする前に、クローレの目が完全に閉じていた。

 振り子のように上体を行ったり来たり揺らしながら眠っている。

 ――まさか。

 キージェは茶の入ったカップに目を落とした。

 薬を盛ったのか?

 だが、俺は眠くないぞ。

 クレアは落ち着いた表情で茶を飲んでいる。

「どういうつもりだ?」

 キージェの鋭い視線にも柔和な表情を崩さない。

「男には女が邪魔になるときがある。愛していればこそ」

「余計なお世話だ」

「また、女をおいて逃げるの?」

 返事に詰まってカップに口をつけてしばらく考えてみても答えなど出ない。

「自覚のない男って、罪よね」と、クレアがカップを置く。「女の気持ちを素直に受け取るだけでいいのに、自分も、相手も、どちらも信じられない男。そんなのに惚れるのがいけないんだけどね。でも、人を好きになること自体に罪はないでしょ。悪いのは逃げる男の方」

 そう言われても、俺には似合わねえんだよ、ラブコメは。

「あなた、まわりにいる人の指の動きをずっと見てるわよね」と、唐突にクレアが言い出した。「戦いを重ねる中で、本能みたいに染みついちゃったんでしょうね。背中に手を隠してても、指がどこにあるか、何をしようとしているか、透けて見えちゃってるんじゃないかしら」

「そんな魔法、あるわけねえだろ」

「あなたはそうやって敵の動きを見極めて生き残ってきた凄腕の剣士」と、クレアは微笑みながら首をかしげた。「違う?」

 キージェは答えずにクレアを見つめ返した。

「俺の話ばかりしてないで、あんたの話も聞かせてくれたらどうなんだ」

「私は若い頃冒険者をしていた。弓の使い手。この村で結婚して引退した。それだけ」

 今のふくよかな体つきからは想像しにくいが、長弓を引く力を発現する肉体として鍛え上げられていたのかもしれない。

「旦那さんは亡くなったそうだな」

「黒衣騎兵に殺されたわ」

 クローレと同じだ。

「でも、五年前のことだから、辞めたあなたとは関係がない」

「分かってもらえると助かる」

 クレアは口の端に笑みを浮かべたまま話を続けた。

「村に黒衣騎兵の一隊が来て、一夜の宿を要求してね、住人の家に押し入ってやりたい放題。逆らった者は容赦なく殺していった。うちの旦那は村長という立場上、抗議せざるをえなかったわけだけど、それであっさり刺し殺されて、遺体は家の前に捨てられてたってわけ」

「で、復讐のために常に用意してあるのか?」と、キージェは壁に掛けられた弓矢に目をやった。

「もう、そんな気持ちはないのよ」と、クレアは肩をすくめた。「涙も涸れちゃったし」

 テーブルの上で握られた拳に力が込められているのをキージェが見逃すはずはなかった。

 だが、その力には敵意は感じられなかった。

 ただ、流れた時間への悲しみを握りつぶしているかのようだった。