クローレが真っ赤に上気させた顔に満面の笑みを浮かべる。

「もう最っ高、私たち無敵だね!」

「ま、悪くなかったな。槍も正確だったし、マントも見事な機転で助かったよ」

 と、クローレの腹がキュルルルと鳴って、エヘヘと照れくさそうに立ち上がる。

「派手に動いたから、おなかすいちゃったね」

「そういえば、昼飯食ってないんだよな」と、キージェも立ち上がって手をはたいた。「早いところ解体してリプリー村へ行こう」

「そうだね、これだけ大きいと大変だもんね」

 実際、牙と鉤爪だけでも相当重たいだろう。

 肉は運びきれないが、少なくとも胆嚢は持っていきたい。

 キージェは熊の顔を覆ったマントを拾い上げてクローレに渡した。

「血で汚れちまったな」

「いいよ。勲章みたいなものだから」

 平気な顔で羽織ると、早速、解体に取りかかる。

 片方だけ残った赤い目に、もう光は宿っていない。

 ヴォルフ・ガルムの槍を抜くと、牙の先端は巨体の中心にまで達していて、心臓近くの大きな血管に命中していた。

「さすが、鋼鉄をも砕く牙だね。剣で切りつけても毛にはじき返されちゃってたのに、一発で刺さったね」

「しかも、かなり奥までな。ものすごい威力だな」

「ちゃんと加工してたら、最強の武器になりそうだね」

 ヴォルフ・ガルムの牙はまだ何本もある。

 キージェは価値を計算して思わず頬が緩んでいた。

 足を落とし、鉤爪を抜く。

「うわあ、頑丈だし、ずっしり重いね。こんなの振り回してたんだね、こいつ」

「ちょっとでも引っかかれたら、一発でやられてたな」

 どんな剣よりも鋭く頑丈だ。

 武器の素材として高く売れるだろう。

 残った前足の肉にミュリアがかじりついている。

 うまいか?

 返事の代わりに血まみれの口を開けてクウンと鳴く。

 それを見ていると、キージェも腹が減った気がした。

 さっさと済ませて村へ行って食べ物にありつこう。

 片目だけ残った頭を落とし、牙を回収していると、胴体に刀を入れていたクローレが呼んだ。

「ねえ、キージェ、これおかしいよ」

 肋骨を折って中をのぞき込んでいる。

「肺がどうかしたのか?」

「気嚢だよ、これ」と、クローレが指さしているのは、肺の横にある別の袋状の臓器だ。「こんなの熊にあるはずないのに」

「そうなのか」

「これって、普通、鳥とかドラゴンと同じ仕組みだよ」

「空を飛ぶ動物ってことか」

「大量に空気を吸い込んで呼吸ができるんだよ」

 なるほど、そういうことか。

「だから、これだけの巨体をあんなに俊敏に動かせたってわけか」

 理屈としては納得だが、クローレの疑問ももっともだ。

「普通の熊にはこんなのついてないよな」

「ダンジョンで倒した鉤爪熊にも、もちろんついてなかったよ」

「巨大だから気嚢を持つようになったのか。気嚢を持ったから巨大になったのか。どっちなんだろうな」

 考えたところで答えなど出ない。

 二人は淡々と解体を進めていった。

 作業を終えた頃には、もう日も傾きかけていた。

 ヴォルフ・ガルムの牙と、鉤爪熊の牙と爪、胆嚢、それと毛皮だけでも、山積みだ。

 肉と骨は諦めるしかない。

 森の動物たちに還元してやろう。

「さてと、これをどうやって運ぶかだな」

 手持ちの麻袋には到底入りきらない。

「私のマントで包もうか。血で汚れちゃってるし」

 クローレはさらりとマントを脱いで戦利品をのせていく。

「村に着いたら、新しいの買ってやるよ」

「ふふふ、これだけあれば、選び放題だね」

 実際のところ、二人で数年暮らせるくらいの価値があるだろう。

 ――旅の資金としては十分だな。

 本来のクエスト――ヴォルフ・ガルム討伐――は何もしないで達成できたし、ついでというには大物過ぎる獲物を無事に仕留められてなかなか幸先がいい。

「ようし、じゃあ、村へ行って、今夜は食べまくろうね」

 歌うように叫んで拳を突き上げると、クローレが背中をかがめながら荷物を背負う。

「結局、昼飯は抜きになっちまったな」

 キージェも腰に手を当て背筋を伸ばしてから、肩に麻袋を担いだ。

「そうそう、その分も取り戻さないと」

 背中に袋をしばりつけたミュリアが二人の前で急かすように跳ね回っている。

 おまえさんは、身軽だな。

 ――若い。

 三百歳なのにな。

 キージェは苦笑しながら無精ひげを撫でた。

 遠くで教会の鐘が鳴り響き、森の木漏れ日が三人を黄金色に照らす。

 心地よい疲労感に顔をほころばせながら、一行は夕日に輝く村へ向かって歩き出すのだった。