倒した木々が鉤爪熊のまわりに盾か柵のごとく重なり、まるで砦の中に籠城したかのようで、キージェは攻撃の手を見いだせずにいた。

 相手が籠もってしまったなら逃げればいいかというと、そうは単純にはいかない。

 こちらが背中を見せれば、内側からは木の柵をさっと払いのけていつでも突進できるのだ。

 しかも、攻撃の手を止めてしまったことで、巨獣に一息つかせてしまったのもいけない。

 さっきまで荒かった息もすっかり落ち着いて、にらみ合いになってしまった。

 むしろ、こっちの方が息が上がってしまっている。

 クローレは汗まみれの顔を手の甲でぬぐってキージェに寄ってきた。

「どうにもならないね?」

「弱点を狙われて、やつも警戒しちまったな」

「森の中じゃ、勝ち目はないのかも」

 キージェも同じ考えだった。

「血を流させる方法を考えないと」と、クローレがつぶやく。

「体力を削る作戦か。だが、表面を切ったところでたいした血は流れないぞ」

 クローレのフレイムクロウは短剣だし、長剣といってもキージェのストームブレイドは軽さを長所とした武器だ。

 どちらも刺突には向かない。

「そうだ」と、クローレの目が見開く。「ヴォルフ・ガルムの牙。あれで槍を作って刺せばいいんじゃない?」

 鋼鉄をも砕く牙なら、あの巨体に深く突き刺さるかもしれない。

「ミュリア」と、クローレは雪狼を呼んだ。「ヴォルフ・ガルムの牙を取ってきて」

 ――まかせて。

 そう言い残してミュリアはすぐに駆けだしていく。

「お願いね。頼んだよ」

 キージェにはミュリアの返事は伝わったが、聞こえないクローレは心配そうに見送っている。

「さて、じゃあ、俺たちはその間、こいつとにらめっこってわけか」

「そうはさせてくれないみたいよ」

 クローレの言葉通り、すっかり体力を取り戻した鉤爪熊は低くうなりを上げながら丸い目でじっとこちらをにらんでいる。

「動物っていうのは目に表情がねえから動きの予測がつかねえよな」

「人間みたいに白目がないからね。どこを見てるのか、相手からはわかりづらい」

「逆に言えば、やつからすれば俺たちの考えていることはお見通しなんだろうな」

「じゃあさ」と、クローレが刀を納める。

「なんだよ」

 何かいい考えでも浮かんだのかと思ったら、いきなりキージェの肩に両手をおいて迫ってきた。

「ちょ、ちょ、ちょ待てよ」

「うふふ」と、舌先で唇を輝かせながら意味深に微笑む。「いいじゃん、べつに」

 いいじゃんって、何がだよ。

 何しようってんだよ、おい。

「こ、こんなところで、な、なんだよ」

「誰も見てないし」

「熊が見てるだろが!」

「えへへ、じゃあ、見せつけちゃおっか」

 唇がくっつく前に、すでに胸が当たっている。

 ば、馬鹿……何考えてんだよ。

 これは……あれか。

 動物は死を悟ると生殖本能が刺激されて子孫を残そうとするんだよな。

 いや、でも、ここで、そんなこと、いきなりやれって言われても。

 熊が見てるんだぞ。