群衆から拍手喝采が沸き起こる中、男は剣を鞘に収め、クローレにちらりと目をやった。

「ほら」

 一言だけ発し、あらためて彼女に手を差し伸べる。

 クローレは涙に濡れた顔を上げ、震える手で男の手を取った。

「あ……あんたは……?」

 彼女の声は弱々しいが、目には尊敬の光が宿っていた。

 男は面倒くさそうに肩をすくめた。

「ただの通りすがりさ。剣を拾いなよ。冒険者は膝をついちゃいけねえよ」

 彼はそれだけ言うと、マントを翻して去っていく。

「待って!」

 フレイムクロウを拾い上げ、必死に群衆をかき分け男の後を追う。

「あなた、誰なの? どうしてあたしを……?」

 男は足を止め、振り返らずに低くつぶやく。

「だから、通りすがりだっつうの。ほっとけって」

 だが、クローレは諦めない。

 彼女は男の横に並び、目を輝かせて話し始めた。

「あたし、クローレ。名乗ったんだからさ、名前くらい教えてよ」

「キージェ」と、男はぼそりと答えた。

「キージェってさ」と、早速クローレが親しげに名前を呼ぶ。「ただの冒険者じゃないよね? あんな技、見たことないもん。どうやってあんな速さで……」

「うるさいな。助けてやったんだ。それでいいだろ」

 彼は歩みを速めるが、クローレはさらに食い下がる。

「ねえ、待ってよ! あなたみたいな人に会ったの、初めてなの! 師匠になってよ! 私も、強くなりたい!」

 彼女の声には、さっきまでの絶望が嘘のような熱がこもっていた。

 キージェは立ち止まり、うんざりした顔でクローレを見た。

「お嬢ちゃん、俺はもう引退したんだ。面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ」

 彼は手を振って追い払おうとするが、クローレは一歩も引かない。

「でも、あなたが助けてくれたから。私、あんな目に遭って、もうダメだと思ってたけど、あなたの剣を見てまた戦いたいって思えたの」

 キージェは小さく舌打ちを返す。

「ったく、しつこいな」

「お願いだから」

 迫る視線を避けるように顔を背け、ぶっきらぼうに言う。

「剣を握るなら、泣く前に振ればいい。俺は関係ねえ」

 頑なな態度に、クローレは口をとがらせる。

「ねえ、おじさん、お願いだからあたしの初めてになってよ」

 周囲がざわつき、年の差男女に好奇な視線が集中する。

 キージェはあわててクローレの腕を引き、人混みを離れた。

「なあ、おまえ、何言ってんだよ。言い方ってもんがあるだろ。誤解されたらどうする」

「どういうこと?」

「おまえ、いくつだ?」

「十八だけど」

「今まで何やってた?」

「ダンジョンでレベル上げ。これでも本当にSランクなんだよ」

「フレイムクロウの使い手か。それが、なんであんな連中に絡まれてたんだ?」

「やつらが、あたしの獲物を横取りしてさ。それで文句を言ったらあのザマでさ……かっこ悪いね、あたし」

「村を焼かれたとか言ってたよな」

「黒衣騎兵にね」

 キージェの眉がピクリと上がる。

 それに気づくことなくクローレが続けた。

「あたしはまだ修行に出たばかりでさ。全然歯が立たなくて、助けを求めに行ったんだ。逃げたんじゃない。だけど……ううん、本当は怖くて逃げたんだよね。そしたら、あんなことに……」

 涙声になるクローレの話をキージェは押しとどめた。

「もういい。わかったよ」

「じゃあ、あたしの初めてになってくれるの?」

「だから、言い方」と、キージェは白髪交じりの頭をかく。「師匠も大げさだ。初めての先生くらいでいいだろ」

「やったあ!」

 いきなり遠慮もなくキージェの腕に絡みつき、露出の多い肌が迫ってくる。

「お、おい、やめろって」

「なんでよ。うれしいんだもん」

「あのな、つまり、その……先生と教え子にはそういう軽々しい関係はふさわしくない」

「えー、そうなの」と、渋々クローレが離れる。

「あと、とりあえず、これを巻いてろ」

 キージェは黒いマントを外してクローレの肩にかけた。

「おまえのその姿は人目を引く」

「ありがとう」と、クローレは素直にマントで体を覆った。「なんか、恥ずかしいね」

「今さらかよ。もっと自覚しろ」

 ――やれやれ。

 やっかいなもん、拾っちまったなあ。

 キージェは背中を丸めて白髪交じりの頭をかきながらため息をついた。