1 審理の日の朝

 王城附属の大広間。
 その重厚な扉が開かれる前から、通りには人々が溢れていた。王族、貴族、研究院の学士、市民代表、被害者家族、旅芸人、そして遠く辺境の村から駆けつけた人々まで。衣の色も言葉も違う者たちが、一堂に集う光景は、まるで一国の縮図そのものだった。

 アメリアは深い呼吸を繰り返しながら、大広間に足を踏み入れる。
 壇上には三つの机が並んでいた。中央が王家、右手が告発側、左手が被告側——聖水商会と財務卿の代理人が座る席。
 天井から吊るされた燭台の炎が、微かな揺らぎとともに石壁に影を落とす。

「今日という日が、誰かの命を左右する」
 彼女は心の中でそうつぶやいた。

2 展示の広がり

 最初に立ち上がったのは研究院良心派の学者だった。
 彼は淡々と手順を説明し、合図を送る。すると、壁一面に大きな帆布が次々と広げられていく。

 封蝋偽造の工程図。
 蝋温度計の目盛りと印章の型。
 聖女の護符の断面構造。
 蒸留器の粗雑な図と、香精の保持材。
 公開実験の記録表。
 患者の発症曲線と回復率の折れ線グラフ。

 三色に塗り分けられた図が、人々の視線を吸い寄せる。赤は危険、青は正規、黄は注意。その単純さが、逆に説得力を帯びていた。

3 アメリアの弁論

 アメリアは立ち上がった。
 彼女の声は緊張で震えていたが、言葉は真っ直ぐに響いた。

「私は万能ではありません。だから、記録しました。記録は、私個人の言葉を超え、誰の目にも開かれます」

 帆布を指し示しながら、一つひとつ丁寧に説明していく。
 蝋温度計がどのように偽造に使われたか。
 護符の内部に隠された香精の仕組み。
 蒸留水に混入したタールが、どのように人の体を蝕んだか。

 次に、公開実験の記録を時系列で示す。聖水を飲んだ者に起きた即時反応と遅延反応。活性炭投与による改善。再刺激による周期的な発作。

 感情的な叫びではなく、数字と図が静かに人々を説得していく。怒りを鎮め、不安を形にする力。

4 聖女の声

 その時、会場がざわめいた。
 聖女セレスタが立ち上がったのだ。
 蒼白な顔に、強い眼差しだけを宿して。

「私は……人々を救いたかった。ただ、それだけでした」

 声は震えていたが、はっきりと届いた。
「涙の護符は、信じてほしいという象徴だった。香りのことは……知っていました。でも、害だとは思わなかった」

 会場が一斉にざわつく。
 アメリアは彼女を糾弾しなかった。

「あなたは嘘をつくために涙を使ったのではない。信じてほしいから使った。けれど、信じさせるために“判断力を奪う匂い”を混ぜれば、それは信仰ではなく、支配になる」

 その言葉に、セレスタは崩れるように席に戻った。

「どうすれば……償えるの」

 掠れた声に、アメリアは答えた。
「償いは個人の感情では届かない。仕組みを変えるために、あなたが前に立つこと。それが、唯一の償いです」

5 証人たちの声

 証人席から、次々に人々が立ち上がった。
 旅芸人の座長は、偽造された小瓶の芝居台本を証言した。
 工房の職人は、蝋型を作らされた経緯を涙ながらに語った。
 患者の母親は、子を失った夜のことを震える声で語った。

 会場の空気は、個人への憎悪から、構造の解体へと重心を移し始める。

 財務卿代理は机を叩き、声を荒げた。
「王国財政のためだ! 財を集めなければ国は立たぬ!」

 しかし、その声は虚しく響くだけだった。

6 王太子の言葉

 静まり返る中、ダリオが立ち上がった。
 かつての婚約者であり、いまは王太子としてここに立つ男。

「王家は誤った。私は誤った。だから、ここで方向を変える」

 その謝罪は王家の体面を損なう行為だった。だが同時に、新しい“面子”を作る第一歩でもあった。

 会場の空気が揺れる。
 怒りから、疲労へ。
 疲労から、わずかな安堵へ。

7 暫定決定

 審理は途中で中断された。
 財務卿本人を次回招致することで合意し、暫定的に聖水の頒布は停止。護符は回収。研究院の監督下で再検証する王命が出された。

 群衆の表情には疲労が残っていたが、それでも目には安堵の影が浮かんでいた。

8 聖女とアメリア

 会場を出るとき、セレスタが人目を避けてアメリアに近づいた。
 頭を深く下げる。

「私にできることを、教えて」

 アメリアは頷き、懐から小さなメモを渡した。

「まずは被害者家族へ。言葉だけでなく、生活の支援と心のケアに、あなたが先頭で関わってください。護符を外すと不安になる人には、匂いではなく、“手当て”を」

 セレスタは涙を拭い、短く答えた。
「やるわ」

 その言葉は、かつての祈りよりも確かな力を帯びていた。

9 黒幕の影

 夜。研究院の一室で、ヨエルがアメリアに囁いた。

「ここまで来た。だが、黒幕はまだ息をしている」

 窓の外、王都の空は厚い雲に覆われていた。
 一筋の稲光が夜を裂き、遠雷が石壁を震わせる。

 戦いは、まだ終わらない。