1 十日の猶予

 公開審理まで残されたのは、わずか十日。
 十日とは短い。だが、十日もある。
 アメリアはその言葉を自らに言い聞かせるように、温室の黒板に大きく〈十〉と書きつけた。そこから日々、一を減らしていく。

 温室の床には紙の束が散乱している。蝋温度計と型抜き、護符の台座を分解した図、蒸留器の構造、香精の成分表。旅芸人たちが書き取った証言票は、泣きながら震える筆跡のまま重ねられていた。
 アメリアはそれらを拾い集め、帆布に大きく書き直す。三色だけを使い分ける。赤は危険、青は正規、黄は注意。子どもでも見て分かるように、文字を大きく、難語には必ず端に注釈を添える。

「これは敵を倒すための武器じゃない」
 彼女は自分に言う。
「命を守るための言葉にしなければ」

2 語りの順序

 夜更け、温室の奥で、アメリアは声を出して弁論を試した。

「私は万能ではない。過ちを犯すこともある。けれど、だからこそ記録する。間違いを記録し、正し方を記録する。それが次の命を救う唯一の道だからだ」

 まずは「間違い得る自分」を提示する。
 次に「記録の意味」を示す。
 最後に「制度を作り替える提案」を置く。

 敵を指差して終える弁論は快楽的だが、持続しない。彼女が欲しいのは快楽ではなく、仕組みを変える力だ。

 焔を宿す言葉よりも、仕組みに染み込む言葉を。

3 ヨエルの動き

 一方、王都の研究院ではヨエルが密かに奔走していた。
 彼は机に山積した論文を前に、学士仲間に頭を下げて回った。

「証人になってほしい。審理の場で、正しい言葉を君の口から述べてほしい」

 良心派の学者たちは逡巡した。財務卿の影を恐れて口をつぐむ者もいた。だが数人は頷いた。
「私たちは研究者だ。権力に仕えるためではなく、真理を確かめるためにいる」

 ヨエルは彼らの署名を帳面に書き込み、安堵と焦燥の入り混じる息を吐いた。
 審理の行方を左右するのは、証拠だけではない。人の声の重さもまた秤になる。

4 ダリオとの会話

 王宮では、ダリオ王太子が政治工作に動いていた。
 審理の公正を王命として宣言し、対立陣営の反発を押し切る。だが彼は同時に、財務卿に退路を残す必要があった。追い詰めすぎれば、王国そのものが揺らぐ。

 アメリアはその計算を聞き、静かに告げた。
「恥を恐れる者は、正しさより体面を選ぶ。だから、体面を保ったまま降りられる階段を用意しておく。それが、あなたの仕事」

 ダリオは目を見開き、そして初めて彼女に頷いた。
「……君と、対等に話せている気がする」

 アメリアはわずかに笑んだ。
「ようやく、ですね」

 過去の婚約という鎖を超えて、二人は同じ舞台に立ち始めていた。

5 安全導線

 辺境から王都へ搬入する展示物。その安全を確保するのはハルトの役目だった。
 彼は仲間と共に審理会場となる大広間を下見し、導線を描いた。

搬入口から展示壁までの経路を明確にし、封鎖の可能性を潰す。

証人と患者家族の控室を別々に設け、扇動から守る。

暴徒化した場合に備え、退避路を確保。

 旅芸人は人寄せと人払いの術で群衆を柔らかく動かす役に回る。温室の仲間たちは、展示物を子どもでも理解できるよう紙芝居版に描き直した。

 アメリアはその試演を見ながら、人々の表情を観察した。
 怒りがどこで湧くか、不安がどこで強まるか。その度に言い回しを微調整する。

「誰かを悪魔にしない。けれど、責任を宙に逃がさない」
 それが彼女の軸だった。

6 葬儀の場にて

 十日の間にも、被害者の葬儀は続いた。
 アメリアは黒衣をまとい、謝罪台に立ったときと同じ声で語った。

「亡くなった命は戻りません。だからこそ、二度と同じ構造を許さない仕組みを作らなければならない」

 母親は涙に濡れた顔で頷き、最後に囁いた。
「彼女は悔いているのではない。約束しているのだ」

 その言葉がアメリアの胸に深く刻まれた。悔いではなく約束。過去ではなく未来のための言葉。

7 審理前夜

 前夜、温室の明かりは遅くまで消えなかった。
 アメリアは机に母の指輪を置き、布で磨いていた。

「母は言った。堂々と立て。震えていていい、でも立て、と」

 ハルトが見回りを終えて戻り、彼女の隣に腰を下ろした。
「震えた手を支えるのが俺の役目だ」

 二人はしばらく沈黙を共有した。恋の告白はまだ置く。審理が終わるまで、言葉の矢は抜かない。その静かな緊張が、温室を包んだ。

8 嵐の前触れ

 同じ頃、財務卿側の陣営は動いていた。
 祈祷師の頭目が密かに王都を離れ、隣国との連絡を図る。聖水利権は国際交易にも絡んでおり、国内の審理が崩れれば連鎖して崩落する。

 夜の王都の石畳は凍りつき、大広間の床はわずかにきしんだ。
 その音さえ、嵐の前触れのように感じられた。

結び

 十日の準備は終わった。
 展示は整い、証言は集まり、導線は描かれた。
 人々の涙と怒りが舞台を形づくり、アメリアはその中心に立つ覚悟を固めた。

 罪の所在を問うのは誰か。
 それを見届けるために、王都の大広間の扉が開かれようとしていた。