1 祭礼の朝

 春を迎えた王都ルオーネは、朝から祭礼のざわめきに包まれていた。石畳の街路には花びらが舞い、香辛料と焼き菓子の匂いが入り混じる。
 人々は華やかな衣装に身を包み、聖女セレスタの名を掲げて広場へと集まっていた。だが祝祭の熱気の下には、ひりつくような緊張が漂っていた。

 露店には聖水の壺と涙型の護符が積み上げられ、商会の使者が誇らしげに売り声を張り上げる。祭礼はすでに宗教的な儀式ではなく、利権を誇示する場と化していた。

 その人波の中に、旅芸人一座の姿が紛れていた。座長は笑みを浮かべて人を誘いながらも、眼差しは鋭く、胸中の決意を隠さなかった。荷馬車の奥には、厚い署名簿と質問状の写しが密かに積まれていた。

2 舞台の開幕

 正午、祭礼が最高潮に達した頃、一座は広場の中央に台を設えた。太鼓が打ち鳴らされ、群衆の視線が集まる。

 座長は声を張り上げた。
「薬師アメリアからの挑戦状!」

 その名が響いた瞬間、ざわめきが走った。辺境に追われた公爵令嬢。毒婦と呼ばれた女。だが彼女の薬に救われた者の噂も、署名簿の存在も、すでに王都の人々の耳に届き始めていた。

「今日ここで、聖水と薬師アメリアの薬を並べ、効果を比べる。これは中傷ではない。誰の目にも明らかな“実験”である!」

 群衆は息を呑み、兵士たちも動きを止めた。

3 実験という舞台

 方法は単純だった。

 咳と熱に悩む数人を募り、二つの組に分ける。片方にはアメリアの煎じ薬を、もう片方には聖水を与える。旅芸人の一人が経過を記録し、群衆に読み上げた。

 間もなく差は明らかになった。煎じ薬を飲んだ者の咳は落ち着き、顔色に赤みが戻る。額の汗も引き、呼吸が整っていく。
 一方、聖水を口にした者は吐き気を訴え、ひとりは膝を折り、地面に崩れ落ちた。

 群衆にどよめきが走る。聖水の代理人は顔を青ざめさせ、「やめろ!」と叫んだ。だが、広場の熱気はもう抑えられなかった。

4 声の奔流

 署名簿を抱えた市民たちが広場に駆け込んだ。
「私はアメリアに救われた!」
「聖水で子を失った!」

 声が重なり、波のように広がった。

 兵士たちが乱入し実験を止めようとした瞬間、群衆が押し返した。炭鉱夫たちが前に立ち、市民たちが口々に叫ぶ。旅芸人たちは太鼓を打ち鳴らし、混乱を一層かき立てる。

 槍の刃先が光を反射し、怒声と祈りとが渦を巻いた。だが実験は中断されなかった。記録は最後まで読み上げられ、差は誰の目にも明白となった。

 座長は締めくくるように叫んだ。
「これが薬師アメリアの声だ! 彼女は命を守る者だ!」

 喝采と怒号が入り混じり、広場は大きなうねりとなった。

5 波紋

 その日の出来事は、夕刻には王都中に広まっていた。
 酒場では「聖女の涙は偽りだ」と囁かれ、路地では「聖水は毒だ」と人々が顔を寄せ合った。

 疑念は種となり、夜の闇を伝って街中に広がった。財務卿は怒り、商会は血相を変えたが、民衆の心に芽生えた疑念を刈り取ることはできなかった。

6 王宮の窓辺

 王太子ダリオは窓辺に立ち、報告を聞きながら沈黙していた。

 アメリアを愛していたわけではない。だが、婚約破棄という手段が誤りであったことを、彼はようやく悟り始めていた。
 あの夜、群衆の前で口にした「毒婦」という言葉。その一語が、いまや彼を縛る鎖となっていた。

「……私は何をしてしまったのだ」

 その呟きは、宮殿の石壁に吸い込まれて消えた。

7 遠い温室にて

 辺境の温室で、アメリアは静かに報を受け取った。

 彼女は記録帳を開き、煎じ薬の回復曲線と聖水の副作用の線を引いた。数字と線が、遠い王都の喧騒を確かな事実に変える。

 ペンを置き、彼女は小さく呟いた。
「小勝利。だが、まだ序章に過ぎない」

 窓の外で、灰火草の芽が風に揺れていた。燃やされても、凍らされても、それはなお生き延びていた。