こんなにも人の不幸が面白いとは思わなかった。人の死、いじめられている様子、失敗などなどいろいろある。こんな私はおかしいですか。いやいや、そんなことはないだろう。誰だって人の不幸に興味はあるはず。

 でも、あまりにも酷い不幸だと逆に可哀想に思えるかもしれない。

 大嫌いなやつの失恋したときのあの顔、ウケるんですけど。でも、私の大好きな夫が亡くなった時はきっと、誰かが私のことを笑っていただろう。ツケが回ってきたというか。そのとき、私は号泣した。あまりにも悲しくて、夜も眠れなかった。彼の死因は病気。肺がん。

 私はいままで旦那に養ってもらってきた。でも、これからは自分の力で働いて生活していかなければならない。子どもは二人いる。その子たちのためにも働く。一姫二太郎と言うくらいのことがあって、上の子が女の子で、弘子(ひろこ)といい、十一歳の小学五年生。下の子は男の子で、幸助(こうすけ)といい、九歳の小学三年生。彼女たちのためにがんばらなければ。

 でも、私に何ができるだろう。私の氏名は、高井(たかい)こずえといい、三十八歳。葬儀はすでに終了していて、少しだけ落ち着きを取り戻してきている。でも、私はいまだに位牌をみると泣いてしまう。娘の弘子や、息子の幸助もたまに思い出すのか、グスングスンと鼻をならしながら泣いている。

 夫の職業は現場代理人で道路工事の仕事をしていた。給料もそこそこ良くて、私たち家族を養ってくれていた。しばらくは彼は生命保険に加入していたので死亡したとき、おりるお金で生活はできそう。ただ、いつまでも、というわけにはいかない。いずれ、そのお金も底をつく。なので、その前に私が職を見付けて働かないといけない。

 いまは、朝六時四十五分頃。私は六時に起きて子どもの朝食を作っていた。でも、私は食欲がないので食べない。夫が他界したショックを拭いきれていないのかもしれない。ここまで旦那の力が強い影響力をもっていたとは思わなかった。生前、午後六時過ぎに仕事から帰宅して、入浴をし、夕食のまえに必ず晩酌をしていた。そのときに、職場で気に食わないことがあったのか、酔った勢いで「畜生!」とか、「クソッたれ!」などと独りで叫んでいた。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。子どもたちも幼少のころその罵声を怖がって泣いていた。私が夫にいくら注意してもやめようとしない。私は子どもが第一なので、旦那が怒鳴るたびに「早く死んでくれないかなぁ」と密かに思っていた。でも、実際夫がいなくなってみると、大変なことがたくさんあると思いしらされた。だから、旦那に対してそんなことを思ったのは間違いだったと感じた。

 夫や私たち家族を嫌っている人もいただろう。だから、こういう状態になって笑っている人もいるかもしれない。でも、それは仕方ない話しかもしれない。私も知人のなかで不幸になって笑ってやりたい人がいる。なので、お互い様だろう。

 今日はハローワークに行って職探しをしようと思う。どんな仕事があるかなぁ。やはり正社員じゃないと生計は成り立たないかもしれない。これでも私はヘルパーの資格を持っている。独身のころ取得した。初任者研修というやつ。こんな私でも、グループホームで介護の仕事をしていた。認知症のおじいちゃんやおばあちゃんと接するそれ。いろんな老人がいてわがままなおじいちゃんもいれば、気性の荒いおばあちゃんもいた。その人たちは、「利用者」という立場で、私たちは「スタッフ」という立場。たまに家族が入居者に会いに来ていた。

 また、介護の仕事をしようかな、どうしよう。辞職したきっかけは、結婚をして子どもができたから。介護の仕事は大変だけれど給料は安い。でも、私は老人が好き。かわいいから。

 最近のハローワークはパソコンで見る仕組みになっているよう。パソコンは家にもあるから、家でも検索したら見られるらしい。ここの職員が教えてくれた。わざわざ来たけどそういう仕組みだからお客さんも少ない。でも、せっかく来たからここのパソコンで見てみよう。

 まずは、介護から。数件ヒットした。グループホームでの仕事や、訪問ヘルパー。この訪問ヘルパーというのは、利用者の家に出向いて家のことをする仕事。料理や掃除などを二時間以内で終わらすと書いてある。忙しそう。あとは、デイサービスセンターの仕事もある。これは、バスで利用者の家まで行き、乗せて施設まで来てそこでゲームをしたり、食事をしたりするらしい。やはり給料は安く、どれも最低賃金。しかも、正社員ではなくパートタイマー。多分、交渉次第では正社員に登用してくれるかもしれないけれど、わからない。

 このデイサービスセンターの仕事は興味がある。やったことはないけれど、だいたい想像はつく。この仕事にチャレンジしてみよう。ハローワークの職員に話して求人票が載っているファイルを用意してくれて、探し出してくれた。この職員は、五十代くらいの男性職員。髪には白髪が目立っていて若いとは言えない。「履歴書は用意してありますか」 訊かれたので、「いえ、まだです。どれにしようか決まったら書こうと思っていました」「そうですか。では、いまからこの施設に電話するので面接に行く日までに書いてくださいね」「わかりました」

 そして男性職員は電話をしてくれ、話しをつけてくれた。「面接は明日の午後四時半です。場所わかりますか?」「いえ、わかりません」 そう言うと、職員は地図を出してくれた。その施設は隣町にあり、説明してくれ、地図をコピーしてくれた。それと一緒に紹介状もくれた。「ありがとうございます」「いえいえ。では、がんばってください」「はい」

 私は帰りにホームセンターに寄り、一番安い履歴書を買って帰った。履歴書を書くなんて独身のころ以来。学歴は大学卒、職歴は事務系と介護職をしていた。それぞれ、大学名と会社名を書いた。履歴書のパッケージを見ながら書いた。そして、職歴を書いてから右下の行に「以上」と書いた。それから、資格を書くところもあったので、普通自動車免許と、初任者研修を書いた。他の欄も自分なりに考えて書いた。

 娘の弘子と、息子の幸助に言った。「お母さん、明日四時半に面接受けに行くから」 弘子は頷き、「どんな仕事?」 訊かれたので答えた。「デイサービスセンターの仕事よ」「デイサービスセンター?」 娘が復唱した。「知らない?」 娘は頷いた。「介護の仕事よ」 すると、幸助が言った。「あ、介護なんだ。お母さん、独身のころやってたよね」 私は頷きながら、「そうね、何年間かやってた」 弘子は幸助に言った。「よく知ってるね」 娘は感心しているかのように言った。息子は、「うん、お母さんが前に言ってた」 弘子は幸助に、「あんたはお母さんにべったりだもんねえ」 言いながら笑っている。 私は弘子の一言に腹が立ったので、「弘子! あんただって小さいころはお母さん、お母さんって言ってたのよ! だから幸助にそんな言い方しちゃだめよ!」 と叱った。すると、「はーい」 娘は渋々謝っていたが、私は更に言った。「お母さんに謝るんじゃなくて、幸助に謝るのよ」「わかった。幸助、ごめん」 息子は黙っていた。今度は幸助に私は言った。「幸助、お姉ちゃんが謝っているのよ。なんとか言いなさい」 これも教育だと思って言っている。「お姉ちゃん、わかったよ」 うん、これでいい。私は二人のやりとりを見ていて納得した。「そうそう。二人とも言えるじゃない」

 そのとき、娘の弘子が、「あ!」 と何かに気付いた様子。私は、「どうしたの」 声をかけると、走って自分の部屋に行ってしまった。どうしたのかな。娘はすぐに戻ってきた。手には一枚のプリントを持っていた。弘子は「これ、見て」と言った。そのプリントを受け取り見てみた。参観日の案内。日程は七月二十一日(月)二時間目から。時刻:10時30分。弘子は言った。「来てね!」 娘は嬉しそうにしている。「何も用事なかったらね」「えー! じゃあ、用事あったら来てくれないの?」 弘子は不安そうな顔つきになった。そんなに来て欲しいのかな。私の場合は母が参観日に来てくれた記憶はない。私もそれで良いと思っていた。

「去年も行ったからいいじゃない」 私はそう言うと弘子は言った。「お母さんが来てくれるの楽しみにしてるんだよ」 そうなのか。そういうものなのか。

「お友達のお母さんは来るの?」 私が訊くと、「それは訊いてないけど多分、来ると思う。だから、わたしだけ来なかったら寂しいじゃない」 娘から笑顔が消えた。「お母さんの時はおばあちゃん、一度も来てくれなかったのよ」「え! そうなの!? それはお母さんかわいそう!」 かわいそう? そうかなぁ。イマイチ納得がいかない。そう伝えると弘子は、驚いたのか、「かわいそうじゃん! だって、みんな来てるんだよ。お母さんだけおばあちゃんが来ないとかありえない!」 娘はなかなかわかってくれない。どうして周りと比べるんだろう。自分は自分じゃないか。

 あまり言うとそのほうがかわいそうなので言うのをやめた。その代わり、「なるべく行くようにするから。でも、行けなくても文句言わないでよ」 弘子は俯いて泣きそうだ。そんなにショックかなぁ、よくわからない。

 私は寝室に行き、棚に上がっている黒いバッグを開きそのなかから手帳を開いてみた。七月二十一日の予定を見てみた。するとその日は友人とお昼に一緒にランチを食べに行く約束をしている。どうしよう。因みに、その友人は旧友であり、幼馴染でもある。断ると次いつ会えるかわからない。彼女は仕事が忙しいらしい。因みに彼女の氏名は、加藤美紀(かとうみき)という。私はみっちゃん、と呼んでいる。でも、みっちゃんは私のことを、こずえと呼び捨て。まあ、そこは気にしていないけれど。

 うーん、娘と古くからの友人。どちらを断るか。娘の弘子の参観日は来年もあるはず。でも、みっちゃんとは一年に一回会えればいいほう。そう比べるとみっちゃんと会うべきかと思うけれど、そうなると弘子が寂しがる。娘の寂しそうな顔は正直見たくない。そう考えると参観日に行こうかな。みっちゃんとはまたの機会にしてもらおう、仕方ない。

 私はさっそく、みっちゃんにLINEを送った。本文の内容はというと、<こんにちは! みっちゃん。七月二十一日に会う約束してたじゃない、そのことなんだけど、ちょうどその日、娘の参観日でさ、みっちゃんと会えなくなっちゃった。ごめんね。次会えるとしたらいつになる?>

 彼女からのLINEがきたのは夜になってからだった。すぐに開いてみた。<こんばんは。そうかぁ、それは残念。娘ちゃんの勇士を見ないとね。つぎはいつになるかな。仕事がシフト制だから、一ヶ月前から休みの希望を出しておかないと、急には休めないのさ>

 私はスマホのカレンダーを見た。いまが七月の中旬くらいだから間に合うだろうか。みっちゃんに訊いてみた。<明日、八月のシフトに休み組み込める?> 彼女はスマホを弄っていたのかすぐにLINEがきた。<ごめん、八月はもう無理かな。重大な用事じゃないかぎり、完成したシフトは簡単に変えられないの。だから、休みをとれるとしたら九月かな> やっぱりみっちゃんの職場は厳しい。

<じゃあ、みっちゃんにいつ休みの希望の日を伝えればいい?><八月上旬ならとれると思う><わかった、じゃあ、そのころまたLINEするね。私も働きに出なきゃいけないし> 少し間が空いてからLINEはきた。

<あれ? だんなさんは?> やっぱり訊かれると思った。彼のことには触れられて欲しくなかった。でも、みっちゃんになら話そう。<実はね、数週間前に肺がんで亡くなったの。ごめん、それ以上は訊かないでね。思い出して泣いちゃうかもしれないから><え! そうなの!? 全然知らなかった。教えてよ、そしたら通夜に顔出せたのに。あ、ごめんね。子どもいくつになったの?><上の長女が十一歳で、下の息子が九歳よ。みっちゃんに連絡しようと思ったけど、忙しいかと思って控えたの><へ~。前回こずえと会ったのが確か二年前だから、それくらいにはなるよね。大変ね、何か手伝えることがあったら言ってね。ちょっと、こずえの家とは距離が離れてるけど><うん、ありがと。何か困ったことがあったら、連絡するかもしれない。そのときはよろしく><了解だよ~>

 明日は面接。緊張してきた。採用されるといいんだけれど。興味のある職場だから。やったことはないけれど。でも、介護の経験はあるからなんとかなりそうな気もするけれど。

 夕方になり、私は小学校三年生になる息子の幸助の勉強をみていた。これくらいなら、まだ教えられる範囲。一応、大学を卒業しているので、中学生くらいまでなら多分、教えられるだろう。だから、小学校五年生になる娘の弘子の勉強もみてやれるだろう。

 時刻は午後六時を過ぎた。幸助の勉強をみるのは今日はここまで。いまから、夕食の支度をしないと。息子にはそう言い、教科書などを片付けさせた。あとで、明日の授業の教科書の準備をさせないと。娘のも同じく。

 今夜の夕食は、カレーライス。子ども達の大好物。私はあまり好きじゃないけれど、子ども達二人に好きなものを与えて喜ぶ顔が見たい。

 幸助は居間のテレビでアニメを観ている。弘子はキッズケータイを弄っている。息子も五年生くらいになったら、キッズケータイを持たせようと思っている。

 そして、午後七時くらいにカレーライスができあがった。「さあ、二人ともカレーライスできたよ。運ぶの手伝って」 幸助は、「はーい」と素直に返事をしたが、弘子は、「ちょっと待って」と言い、ケータイを手放そうとはしない。なので私はこう言った。「弘子、自分の分は自分で運ぶのよ。もうよそってあるから」すると娘は、「わたしのも運んでおいて」 というので私は強い口調で言った。「ダメよ、自分の分は自分で運びなさい!」 弘子は、チッと舌打ちしたのでそれを注意した。最近、娘はなんだか反抗期なのか言うことをきかない。けれど、それを許していたらあとで困るのは娘本人。だから、ちゃんと躾けないといけない。

 弘子は、渋々キッチンに行きよそってあるカレーライスの皿をスプーンと一緒に持って居間に来た。娘は一口食べてこう言った。「冷めてる」 そう言うと、スプーンを置きケータイを見始めた。「弘子! カレーが冷めているのはあなたが食べはじめるのが遅いからよ。レンジで温めてきなさい」

 そう言うと娘は、「ムカつく」 と小声で言い、キッチンに向かいレンジで温め始めた。いまの一言はまあ、良いとして問題は自分でキッチンに行き、電子レンジで温めていること。ここは、褒めてあげないと。飴と鞭と言うやつ。

「弘子、自分で温めてえらいね」 と言うと。彼女の表情は緩くなった。でも、なにも言わない。こういう時期は誰でもあるはず。もう少しで思春期だから、もっと難しくなるかもしれないからママ友に相談したい。 そのママ友は佐東桜(さとうさくら)さんという氏名で、桜さんと呼んでいて、四十歳。九歳の幸助と同級生の女の子のお母さん。亜紀(あき)という名前。亜紀ちゃんと呼んでいて、幸助もおなじように呼んでいる。

 翌日になり、面接に行く支度を始めた。シャワーを浴びてから、パートだけれど一応スーツを着るつもり。それと、グレーのトートバッグに履歴書と紹介状を入れた。

 面接の時間は午後四時半なので、子どもたちに留守番をしていてもらう。訊いてみて、もし、「一緒に行く」と言えば、三人で行く。もちろん、面接を受けているときは、車の中で待たせる。

 いまの時刻は午後二時頃。幸助が帰って来た。それから、午後三時頃に娘の弘子が帰宅した。そして、私は二人に訊いた。「お母さん、四時半から面接に行くけど二人はお留守番してる? それとも一緒に行く?」 子どもたちは、お互いを見つめ、弘子は「わたしは行く」幸助は「ぼくもいく」なので三人で行くことになった。面接に行く準備はあとスーツを着るだけ。ジャケットの内ポケットに、スマホの電源をオフにして入れ、折り畳みの財布も入れた。車と家の鍵はすぐ使うので手に持った。準備は万端。ハローワークの職員からコピーしてもらったデイサービスセンターまでの地図をもう一度確認した。行ったことはない場所だが、カーナビに住所を入力して検索しよう。多分、大丈夫だと思う。隣町だけれど。地図をよく見てみると、どうやら住宅街にその施設はあるようだ。

 弘子が私に質問した。「お母さん、お仕事するの?」「うん、そうよ。あんたがたを育てなくちゃいけないからね!」私がそう言うと弘子は、「何時に帰ってくるの?」と言った。「一応、求人票には十六時三十分までになってるよ。でも、実際働くようになってみないとわからないよ」「そっかぁ、じゃあ、もっと遅いかもしれないっていうこと?」弘子が更に質問した。「うーん、それはわからない。もしかしたら、そうかもしれないし。なんで?」 娘は不安気な表情を浮かべて小さめな声で言った。「わたしや幸助が二人きりでいる間、お母さんいないのかぁ……。なんか、不安」 弘子がそんなことを言うとは思わなかった。息子も同じことを思っているのかな、訊いてみた。「幸助もお姉ちゃんと同じこと思っているの?」すると幸助は、「いや、別に」 さすがは男の子。私は娘に、「もし、何かあったら連絡ちょうだい? ていうか、まだ採用になったわけじゃないからこの話は早いよ」すると弘子は、「そういえばそうだね」と言いながら苦笑いを浮かべていた。

 時刻は午後四時。「さあ、そろそろ行くよ。カーナビに住所を入力しないといけないし」「はーい」と幸助。「うん、わかった」と弘子。「車、後ろに乗ってよ」「えー、何で」とまた幸助。「助手席は怖い話しだけど、事故った時、一番死亡率が高いのよ」「シボウリツ? てなに?」幸助には通じなかったか。でも、弘子には通じたようだ。「え! そうなの? 初めて聞いた」「そうなのよ、だから危険なの。言う事聞いてね」 うん、と弘子にしては素直な返事。でも、幸助はその意味が分かっていないようで、首を傾けたりしている。私は簡単に説明した。「死んじゃうかもしれないってことよ」 すると息子は、「え! こわい!」 言いながら表情を歪ませていた。「でしょー、だから、幸助もママの言うこと聞いてね」「わかったー」 息子も説明したら分かってくれた。良かった。

 それからハローワークで印刷してもらった求人票の住所を見ながらカーナビに打ち込んでいった。そして、案内スタートのボタンを押した。すると、案内がスタートした。隣町の目的地まで十五分二十秒と表示されている。さて、行くか。そう思い、アクセルを踏んだ。

 そして、隣町までは順調に行き住宅街の中にあるデイサービスセンターの施設がどこにあるか迷った。カーナビの音声ガイダンスは「目的地付近です」と言って終了してしまった。 私は周りをよく見た。あ、あった。施設の看板が立っていた。駐車スペースに車を停め、暑いのでエンジンは切らずにエアコンをかけた状態で私だけ施設内に入って行った。

 面接は十五分くらいで終わった。どうやら人が足りないらしいので即決だった。まさか、そうなるとは思ってなかったので嬉しかった。今までの介護の経験を活かして子ども達の為に頑張って働こうと思う。明日から早速仕事。エプロンを持って来て欲しい、と施設長に言われた。資格を持っている話しをすると、即戦力だ! と施設長に言われ、期待しているよ! とも言われた。期待にそぐわないように頑張りたいと思った。

                              了