「一旦モルドバへ引き上げよう」

 オデーサでボランティアを率いるリーダーは、移動する準備を始めるように指示を出した。連日のようにミサイルとドローンが飛んできてインフラや集合住宅が攻撃されているので、待ったなしの状態になっているのだ。

「ここにいたらいつミサイルが飛んでくるかわからない。ぐずぐずしている場合ではないんだ」

 強く促されたが、オデーサを離れるつもりはなかった。

「死ぬかもしれないんだぞ。そんなことになったらどうするんだ」

 身の安全を確保するのが最優先だと説得されたが、それでもナターシャの気持ちが変わることはなかった。オデーサの人たちと共に戦う覚悟ができていたのだ。それは骨を埋める覚悟と言い換えることができるものだったが、簡単に死ぬつもりはなかった。大義も正義もないロシア軍のへなちょこ(・・・・・)ミサイルやドローンが自分を殺せるわけはないと固く信じていたからだ。

「最後は正しいものが勝つの」

 頻繁に連絡を取り合っているマルーシャが毎日のように発する言葉が心の支えになっていた。それに、反転攻勢を続けるウクライナ軍の勇敢な姿に力を貰っていた。オデーサ市民の士気の高さにも鼓舞(こぶ)されていた。だからここを離れるという選択肢はあり得なかった。

「大丈夫です。皆さんが戻ってくる日までここを守っています」

 笑みを浮かべてリーダーに告げると、倉庫の中に入って、いつものように支援品の整理に取り掛かった。

        *

「えっ? オデーサに残る?」

 倭生那はナターシャの言っていることが理解できなかった。クリミア大橋を破壊されたことへの報復が続く中、とどまり続けるというのはあり得ないことだった。

「いや、だめだ、それは」

 余りにも危険すぎると警告したが、「大丈夫よ。何も問題ないわ」と平気な声が返ってきた。

「いや、だめだ。頼むからモルドバに戻ってくれ」

「もう無理なの。みんな行ってしまったから」

 ボランティアのメンバーが全員引き上げたので、乗せてもらえる車はないのだという。

「なんで一緒に」

 言いかけたところで遮られた。

「充電ができなくなる可能性があるからもう切るわね」

「ちょっと」

 待って、と言う間もなく通話が切れた。すぐにかけなおそうとしたが、指が止まった。オデーサは電力インフラが攻撃されているのだ。いつ停電になってもおかしくない状況なのだ。そんな中でスマホの使用を制限するのは当たり前だろう。もし停電になれば明かりとしても使わなければならないのだから、無駄遣いなんてできるはずがない。しかし、連絡が取れないということはナターシャの安否確認が難しくなるということでもある。

 それはダメだ。
 絶対にダメだ。

 スマホをテーブルに置いた倭生那はなんの躊躇いもなくすべきことを決めた。それは人生を大きく変えることになる決断だった。