しばらく萜ち蟌んでその堎に立ち続けたが、メモが手に無いのに気づいお、我に返った。床で萎れおいた。拟い䞊げるず、端の方が濡れおいた。そっず拭っおから匕き出しに戻しお怅子に座るず、目の前のラックにはCDが䞊んでいた。劻が奜んで聎いおいたゞャズのCDだ。右からざっず芋たが、ほずんど知らないミュヌゞシャンばかりだった。ロックが奜きな自分にずっおゞャズは身近ではなかった。
 しかし、䞀番巊偎に行き着くず、知ったミュヌゞシャンに行き圓たった。
 マむルス・デむノィス。
 ゞャズに瞁のない人でも知っおいる偉倧なトランぺッタヌだった。
 それを匕き抜いお衚玙を芋るず、挔奏するマむルスの顔がアップになっおおり、タむトルが青字で小さく蚘されおいた。

『Kind of Blue』

 意味深なタむトルだった。
 その䞋を芋るず、曎に小さな文字でメンバヌの名前が蚘されおいた。しかし、ゞョン・コルトレヌンずビル・゚ノァンス以倖はたったく知らないミュヌゞシャンだった。

 CDプレむダヌにセットしおリモコンのスタヌトボタンを抌すず、1曲目が始たった。正にブルヌな気分を衚すようなむントロだった。ずころが、その埌に反逆的なフレヌズが続いお、『So What』ずいうタむトルに盞応しいふおぶおしい挔奏になった。
 その流れを匕き継ぐように2曲目が続き、3曲目が始たった。

『Blue In Green』

 どういう意味だろうず思っおいるず、ピアノのむントロに導かれおすすり泣くようなトランペットの音色が耳に届いた。その瞬間、郚屋の色がたったく倉わっおしたったように感じた。正に『Kind of Blue』の䞖界だった。

 ナタヌシャはこれを聞きながら䜕を思ったのだろうか 
 憂鬱な気分に支配されお絶望を感じたのだろうか 
 換えるこずのできない自らの血を呪ったのだろうか 
 りクラむナのこずを想っお泣いたのだろうか 
 救いを求めお神に祈ったのだろうか

 そんなこずを考えおいたら曲が倉わった。テンポの速いリフが抌し寄せおくるような挔奏だった。

『All Blues』

 明るい曲調ではなかったが、力匷さを感じた。だからか、萜ち蟌んだ心に喝を入れられたようになり、トランペットのブロヌが始たるずどんどん迫っおきお、曎に远い打ちをかけるようにサックスが抌し寄せおくるず、居おも立っおもいられなくなった。䜕かをしなければならないずいう気になった。それは劻の発信に続けずいう瀺唆のように感じた。『オデッサのロシア人』を揎護しろずいう導きのような気がした。

 すべきこずは理解できた。だが、それに盞応しいハンドルネヌムが思い぀かなかった。劻の発信を揎護するだけならどんな名前でもいいが、倫の発信だずわかっおもらえなければ意味がない。
 しかし、考えおも、これずいうものは浮かんでこなかった。それはそうだ、日本文化を愛し、ゞャズを愛する劻ず違っお芞術的センスは乏しいのだ。気の利いた蚀葉が浮かんでくるはずがなかった。
 それでも、これしか劻ず繋がる方法がないので諊めるわけにはいかなかった。ノヌトに曞いおは線で消し、曞いおは線で消しが続いた。

『オデッサの日本人』『東京の日本人』『ロシア人女性の倫』

 しかし、どれもピンずこなかった。目に留たるほどのむンパクトがあるずは思えなかった。これでは劻にも気づいおもらえないだろう。このたた続けおもこれずいう蚀葉が浮かんできそうもなかった。気分を倉えるためにシャワヌを济びお、倖に出た。

        

 深倜でも開いおいる店を探しながら商店街を歩いおいるず、1軒の店が頭に浮かんだ。ロシア料理店だった。ナタヌシャず初めお䌚った店だ。

 だが、今も営業しおいるだろうか 

 りクラむナ䟵攻が始たっおからロシアず名の付く店には嫌がらせが続いおいるず䜕かで読んだこずがある。だずすれば、店を畳んでいる可胜性は高いかもしれない。それでも他に圓おがないので、行っおみるこずにした。

 路地を曲がるずその店が芋えた。
 明かりは消えおいなかった。
 営業しおいるようだ。

 しかし、ドアを開けお䞭に入るずガランずしおいお、ロシア人の店䞻がぜ぀んず座っおいるだけだった。それでもこちらの顔を芋るなり衚情が倉わっお、「いらっしゃい」ず笑みが浮かんだ。
 今日初めおの客だず蚀った。最近はずっず閑叀鳥(かんこどり)が鳎いおいるのだずいう。日本人はたったく来なくなったし、譊戒しおいるためか、ロシア人も近寄らなくなったずいう。

「倧倉でしたね」

 慰めながら垭に座った。
 思い出の垭だった。
 劻ず隣同士になったカりンタヌ垭。
 ここから始たったのだ。
 そしお、プロポヌズもこの垭でした。
 圌女の指にリングをはめるず、満垭から拍手が沞き起こった。
 幞せ絶頂の瞬間だった。
 でも、その垭に劻はいない。
 遥か圌方のオデヌサで行方がわからないたたなのだ。

 䜕も頌んでいないのに『ザクヌスカ』が出おきた。前菜の盛り合わせだ。久し振りの予玄が入っお喜んでいたら急にキャンセルされお困っおいたのだずいう。だからタダでいいずいう。そうもいかないず思ったが、払おうずしおも受け取らないのはわかっおいたので、玠盎に甘えるこずにした。

 ビヌルは軜い床数のものにした。ロシア産のペヌルビヌルだ。ちょっず軜めの味わいが飲みやすく、ザクヌスカずの盞性もばっちりだった。

 店䞻ず飲み亀わしながらロシア語で話しおいるず、ふずナタヌシャず初めお蚀葉を亀わした時のこずを思い出した。あの日、勇気を出しお話しかけるず、圌女は目を䞞くしお、「こんなに䞊手にロシア語を話す日本人に初めお䌚いたした」ず蚀ったのだ。それが切っ掛けずなっおこの店で食事をするようになり、関係が深たっおいった。正にロシア語が取り持぀瞁だった。

「ロシア語に也杯」

 思わず声が出お店䞻のグラスにカチンず合わせた。店䞻は、ん ずいうように目を芋開いたが、なんでもないずいうふうに銖を振った時、いきなり蚀葉が降りおきた。それは、探し求めおいたハンドルネヌムだった。

        

 2日埌、『ロシア語を話す日本人』ずいう名でテレグラムに投皿を始めた。ロシアずの茞出入の仕事をしおいるこずやロシア人の劻がいるこず、曎に、最近オデッサで䜓隓したこずや䞖界が食料危機に瀕しようずしおいるこずを発信した。そしお、話題になっおくれ、それがナタヌシャに繋がっおくれ、ず祈りを蟌めた。
 しかし、投皿ぞの反応は少しず぀増えおきたものの、ナタヌシャから連絡がくるこずはなかった。1週間経っおも、2週間経っおも、なしの぀ぶおだった。期埅をしおいただけに萜胆は倧きかった。