「なんてこと……」

 無残にも破壊されたトラックを見つめるナターシャの目に涙が光った。それは、原形をとどめないトラックに対してではなく、それを運転していた人に向けられたものだった。
 いないのだ。トラックの中も辺り一帯も探したが、運転手の姿は見つからなかった。爆発によって飛び散ったのか、燃え尽きてしまったのかわからないが、人の形をしたものはどこにもなかった。

「ごめんなさい……」

 詫びても彼が生き返るわけではなかったが、謝らずにはいられなかった。「あなたのせいではありません」とスタッフが慰めてくれたが、なんの役にも立たなかった。オデーサに来る時は間違いなく生きていたのだ。ウクライナ人を助けるために情熱を燃やしていたのだ。危険を顧みず自らの使命を果たそうとしていたのだ。
 それだけではない。ロシア人であることが恥ずかしいと吐露(とろ)した自分に励ましの言葉をかけてくれる優しい人だったのだ。

「あなたが悪いんじゃない。ロシア人がみんな悪いんじゃない。すべてはプーチンとその取り巻きが仕組んだことなんだ。だから自分を責めないで」

 声が蘇ると同時に、彼とその家族の顔が脳裏に浮かんできた。彼には1歳年下の妻と10歳の男の子と8歳の女の子がいた。途中で休憩した時に見せてくれた写真には4人が幸せそうに笑う姿が写っていた。その写真を目を細めて見つめていた彼は子煩悩だったはずだ。目に入れても痛くないほどだったに違いない。しかし、もう子供と遊ぶことも抱き締めることもできない。言葉を交わすこともできない。彼はこの世に存在しないのだ。

 これからどうやって暮らしていくのだろう……、

 彼の家族が不憫(ふびん)でたまらなかった。閉ざされた未来を思うと、暗澹(あんたん)たる思いになった。しかし、自分にはどうすることもできない。「引き返しましょう」というスタッフの声に促されて車に乗り込むしかなかった。ロシア軍による無差別空爆がいつ始まるかわからない中で、この場にこれ以上とどまるわけにはいかなかった。

「ごめんなさい」

 呟きだけを残して車はタイヤを(きし)ませた。後部座席で振り向いたナターシャの目には、小さくなっていくトラックの残骸だけが映り続けていた。