目が覚めたら、彼女の存在を感じられなくなった。
 会話も交わせなくなった。
 何度呼び掛けても返事はなかった。
 奈落の底に突き落とされたようになった。

 昨日まであんなに楽しかったのに……、

 孤独が男を支配した。
 生きる意味が感じられなくなった。

 気づくと、11時を回っていた。体は重かったが、微かに残っている気力をかき集めてなんとか立ち上がり、もう一度海に行くためにバスに乗った。

 運転手は女性だった。ジーンズの上に花柄のシャツを着ていた。
 顔を見た瞬間、目を疑った。フィレンツェのヴェッキオ橋で見たピアニストによく似ていたからだ。余りにも似ていたので目を離せないでいると、運賃を促された。1.4ユーロをケースに置くと、「グラッツェ」とほんの僅かに頬を緩めたが、早く座るようにとまた促された。男は前から2番目の席に座って、運転手の顔をルームミラーで探した。本当によく似ていた。

 25分後、モンデッロに着いた。バスに乗っている間ずっと写真の彼女に話し続けたが、なんの返事も返ってこなかった。

 もうどこかに行ってしまったのだろうか……、 

        *

 ティレニア海は今日も透明だった。太陽に照らされて水面がキラキラと光っていた。

 決心は変わらないのかい?

 返事はなかった。

 砂の上に遺骨とリングが入ったビニール袋と写真を置いた。

 ここに埋めたらいいのかい? 

 無言だった。

 暫く砂の上に座って海を見ていたら、太陽を真上に感じた。その光がビニール袋と写真をキラキラと輝かせていた。

 無理だ。君と別れることなんてできるはずがない。

 写真とビニール袋を持って立ち上がり、海岸沿いのカフェに入ってビールを飲んだ。ツマミは頼まず、小瓶を2本飲んで店を出た。

 バスに乗ってパレルモまで帰った。運転手は厳つい感じのおじさんで、運賃を渡しても何も言わなかった。早く座るようにと顎をしゃくられたので、一番後ろの席に座った。それからあとは窓の外を見続けたが、何を見ているのか、まったくわからなかった。

 ホテルに戻ってから一晩中話しかけた。
 でも、彼女は何も答えてはくれなかった。
 部屋のどこにも存在を感じることはできなかった。

 独りぼっち……、

 呟いた言葉が壁に吸い込まれていった。