アマルフィに行けなくてごめんね、

 シチリア行きの電車から海の方向を眺めながら彼女に謝った。アマルフィには鉄道が通っていないのだ。金銭的な制約によって時間的な余裕がないので、アマルフィをパスする以外に選択肢がなかった。
 もう一度ごめんねと言った瞬間、在りし日の会話が蘇ってきた。『アマルフィ 女神の報酬』を見た彼女が、「あなたが織田裕二で、私が天海祐希。海岸に面した素敵なお店でリモンチェッロを飲みたいな」と言ったのだ。「イイネ、それいい。絶対行こう」とその時は約束したのだが……、

 ごめんね。でも、リモンチェッロは買ったから、電車の中で一緒に飲もうね。

 バッグからボトルとプラスチック製コップを取り出して注ぐと、レモンの爽やかな香りが漂った。

 乾杯! 

 彼女の口に近づけた。

 香りと味はどう? 

 爽やかで甘くておいしいわ。

 よかった。
 でも、ごめんね、アマルフィに行けなくて。

 いいのよ、目を瞑ればここがアマルフィだわ。

 ありがとう、私も目を瞑るね。
 本当だ、アマルフィの海が見えた。
 君と手を繋いで海岸を歩いている。
 天海祐希より素敵な君と一緒にいられるなんて、世界で一番の幸せ者だね。

 私もよ、あなたは織田裕二より何倍も素敵よ。

 …………

 いつの間にか夕陽が落ちた海岸で抱き合ってキスをしている夢を見ていた。

 ヒロインとヒーローになれたね、

 天の川の囁きを乗せた流星が祝福するように降り注いだ。

 …………

 夢から覚めると、列車はイタリア本土の先端、ヴィラ・サン・ジオバーニに到着しようとしていた。
 ここから引き込み線を通ってフェリー乗り場へ向かう。そしてそのまま電車ごとフェリーでシチリア島へ向かうのだ。8両編成の列車が4両ずつに切り離されて、船内にある2本の線路に納められた。

 約1時間の船旅が始まった。デッキに上がって、窓際の席でエスプレッソを飲んだが、いつもと味が違っていた。ちょっとセンチな気分になっているからかもしれなかった。彼女との楽しい旅が終わりに近づいているからだ。内ポケットから写真を取り出して、囁きかけた。

 旅が終わってもずっと一緒だからね、

 しかし彼女は目を合わそうとはしなかった。寂しそうに海を見つめていた。

        *

 船が着岸して線路が連結されると、また電車が走り出した。パレルモへ向かう電車の窓からは青く広がる海が見えた。

 もうすぐ旅の終着駅だよ、

 男は海に向かって写真を掲げた。

 ゲーテが「世界で最も美しいイスラムの都市」と称賛したパレルモに君は来たかったんだよね。
 太陽とオリーブ、アーモンド、オレンジの中を歩きたかったんだよね。
 そこにやってきたんだよ。
 君の憧れの地、パレルモにやって来たんだよ。

 ……、

 どうしたの、涙ぐんだりして。

 だって、本当に来れるなんて……、

 バカだな、約束したんだから当然だよ。

 ……、

 また泣く、

 だって……、

 パレルモに涙は似合わないよ。
 さあ、笑って。

 うん、もう泣かない。

 男は彼女の涙を吸い取るようにキスをした。