花村に話しかけられた日の三日前だったか、おれはいつものように録音したばかりの朗読動画を投稿していた。題目は森鷗外の『高瀬舟』だ。中学生の頃の教科書をパラパラとめくっていた時、ふと目に留まってこれにしようと決めたのだ。
江戸時代、京都の罪人が遠島を申し渡されると、高瀬川を下る小舟に乗せられて大阪へと送られた。それを護送する同心の庄兵衛は、弟殺しの罪で遠島送りになった喜助という男がいかにも楽しそうで晴れやかな表情をしていることを不思議に思い、彼に心持ちを尋ねてみる。
聞けば喜助は幼い頃に両親を流行病で亡くし、残された弟と助け合って生きてきたという。だが病気のため働けなくなった弟は自分が喜助の負担になっていることを苦にして、ある日剃刀で自らの喉を切ってしまう。
喜助が帰宅した時、弟はまだ息があったが、剃刀が喉に刺さって抜けず苦しい、早く抜いてくれ、と喜助に懇願し、喜助は弟の頼みを聞き入れて喉から剃刀を抜く。
息絶えた弟の傍らで剃刀を手にしている喜助を見た近所の者たちは、喜助を役所へ連れて行った。
その経緯を聞いた庄兵衛は、喜助のしたことが果たして罪と言えるのか分からなかった……という話だ。
これも朗読をする前に一度、最初から最後まで黙読した。自分なりにその場面の情景や人物の心情を想像して、それを聴き手に伝えるにはどんなふうに読んだらいいか何度も考えた。
特に、弟が喜助に剃刀を抜いてくれと頼む場面にはかなりの時間をかけて悩んでしまった。剃刀が喉に刺さって抜けなくなった経験なんておれには当然ないから、その痛みや苦しさは頭の中で想像するしかない。
もし仮に弟と同じ状況に置かれた時、おれなら同じことを言うだろうか。ただ早く楽になりたい、弟は本当にそれしか考えていなかったのだろうか。子供の頃からずっと一緒にいた兄を残して死ぬこと、その手助けを兄にやらせることに、何のためらいも感じなかったのだろうか。
どんなに考えたところで、この時の弟が思っていたことなんておれには分かるはずもない。そもそもこの物語の主軸となるテーマはそこではないのだから、この場面の解釈にむやみに時間を割くのはナンセンスというものだろう。おれはただ朗読をしたいだけで、考察がしたいわけではない。
前回の朗読動画を上げてから少し間が空いていたこともあり、おれは弟の心情の解釈がまだ曖昧なまま朗読を録音して動画投稿サイトへ上げた。
花村は、あれを聴いたのか。
おれの朗読動画を初めて見つけたのは先月だとか言ってたから、ひと月近く黙ってたってことだよな。なのにどうして急に話しかけてきたんだ? 今までそんな素振りは全く見せなかったくせに。
「……」
ノートをとっているふりをしながら、そっと視線を斜め右前に向ける。
おれの席の右隣の列、おれからふたつ前の席に花村はいた。ここからじゃ背中しか見えないけど、居眠りしたりスマートフォンをいじってたりなんてことはなく、机に頬杖をついて黒板の方を向いている。その背中を見るだけでも、いかにも退屈そうな顔で先生の話を聞いているのであろうことは簡単に想像できた。
全くいつも通りだ。こうしていると昨日のことなんて、本当にあったのかどうかも疑わしくなってくる。
(……なんで、高瀬舟なんだろう)
おれが朗読したものを聴いた後にわざわざ同じ題目をリクエストしてくるってことは、よっぽど気に入ったということだろうか。いや、ただ単に以前から高瀬舟が好きで、何度でも聴きたいというだけなのかも。
でもあいつ、見るからに普段から読書なんてしてなさそうなのに。現代文の授業だっていつも退屈そうに聞いてるし、たまに後ろの席から見ても分かるくらい舟を漕いでることだってある。
いつもクラスの友達とはしゃいでて、勉強なんかするよりも放課後どこに遊びに行くか考えることの方がよっぽど大事だと思っているのだろう。
髪を明るい色に染めたりピアスを空けたりといった分かりやすく派手な見た目をしているわけではないけど、ただ周りと同じように制服を着て立っているだけでも花村だけはどこか雰囲気が違って見える。凡人とはオーラが違うとでも言うのか、顔立ちも制服の着こなし方も垢抜けているのだ。飾らなくても人の目を惹きつける、立って息してるだけで自然と周囲に人が集まってくる、そういう素養を生まれつき持っている奴というのはどんなコミュニティにも必ず一人や二人はいるものだ。
まさに、おれみたいな根暗で野暮ったい人間とは対極の位置に存在する人種である。おれみたいな奴がああいう奴に気軽に話しかけたりするなどもってのほかで、本来であれば同じ教室で同じ空気を吸うことすら許されてはいない。
そのくらい、おれはしっかりわきまえている。だから近寄らず、目も合わせず、あいつの視界に入ることもなく、ただひっそりと影のように気配を消して、これからもそうやってできる限りの接触を避けてやり過ごすことがお互いのためだと思っていたのに。
花村の方からおれに話しかけてくるなんて、世界がひっくり返ったってありえないと思っていたのに。
その時だった。机の横に掛けたカバンの外ポケットから、スマートフォンが一度だけ短く振動する音が聞こえたのだ。
(母ちゃんかな……)
おれにはメッセージを送ってくる友達なんていない、連絡を寄越してくるのは家族だけだ。きっとまた帰りに牛乳でも買ってきてくれなんて用件だろう、そう思ってまた黒板の方に目を向けると、それとほぼ同時に花村がふいとこっちに振り向いた。
「……っ」
目が合った瞬間、花村は確かに口の端を小さく上げて笑っていた。でもそれは一瞬のことで、瞬きした次の瞬間にはもう花村はまた前を向いていた。
ま、まさか。
嫌な予感がして、机の下からそろそろとカバンに手を伸ばし、外ポケットからスマートフォンを引き抜く。もう六時間目、しかも物理の授業ともなるとほとんどの奴らは先生の話を聞いているふうを装いながら別のことを考えていたり、中には明らかに寝ている奴もいて、教室の後方に座っているおれの挙動不審な様子に気付く奴など一人としていない。
先生が黒板の方を向いたタイミングを見計らって、おれは机の下でそっとスマートフォンの画面を見た。思ったとおり、メッセージアプリからの通知が表示されている。花村からだ。
『これ終わったら図書室に集合ね』
たったそれだけ。
スマートフォンをカバンにしまうと、また前の方に視線を戻す。花村はさっきと全く同じ姿勢のまま、机に頬杖をついている。さっきは気付かなかったがよく見ると左手が膝の上にあって、その手は机の下でスマートフォンを持っていた。
あきれた。授業ちゃんと聞いてるふりして、おれにメッセージを送ってたのか。
一応、授業中にスマートフォンをいじるのは校則で禁止されているけど、ああやって先生に見つからないようこっそりいじってる奴は花村だけではない。学校側もそこまで厳しく目を光らせて禁じているわけではなく、そのへんは生徒の自主性に委ねるという緩い校風の学校だから、別に花村だけが突出して不真面目な生徒だということではないのだ。
むしろ、花村は生徒たちだけではなく教師陣からの受けもいい。特に成績優秀ってわけではないけど何をやらせてもそつがなく、誰に対しても一貫して朗らかで人当たりが良く、校内行事の際にはクラスのみんなを上手くまとめるリーダーシップを持っていて、遅刻も欠席も滅多にしない。天性の人たらしとでも言うのだろうか、あいつは年齢や性別を問わず誰からも可愛がられている。
どうしてこんなことになってしまったのか。
まさにおれと花村は、住んでいる世界が違う。見た目は同じ人間に見えても、もう根本から造りが違う生き物なのだ。
そんな奴に弱みを握られてしまうなんて、あまりにも迂闊だった。花村は生朗読を一回聴けばそれでいいと言っていたけど、果たして本当にそれで終わるのだろうか。黙っていてほしいんだったらと、また無茶苦茶な要求を迫られるかもしれない。
そう考えると、たった一度でも花村に屈したのはやはり失敗だった。朗読のことを周囲にバラすというカードをちらつかせればおれはどんな要求でも呑むと、花村に学習させてしまったようなものだ。
今からでも遅くない、昨日のあれはなかったことにしてもらえないだろうか。そして、今度は毅然とした態度できっぱりと断って……いや、無理か。ああでも、どうしたら。
そんなことを頭の中で延々と考えていると、終業時間を知らせるチャイムが鳴った。
*
終業後のホームルームが終わりクラスメイト達が三々五々に帰って行く中、カバンを持って席を立ちながらちらと花村の方を見ると、もう既に数人の友達とはしゃいでいる。
「なんか食い行こー! 花村も行くだろ?」
「あー、今日は俺ちょっと……」
不意に花村は視線だけをこっちにちらと向けた。おれは咄嗟に顔を背けて、そのままそそくさと教室を出て行った。
「なんだよ、まさか彼女と約束かー? 先週はいないって言ってたのに、早えーよ!」
「バッカ、違うって」
背後から微かに聞こえてくるはしゃいだ声から逃げるように、廊下を足早に歩いていく。
図書室は教室があるこの校舎内にはなく、ここから渡り廊下で繋がっているA棟にある。A棟には他にも音楽室や化学実験室などの特別教室が数多くあり、放課後になるとこの方面に用事のある生徒は部活動をしている奴らくらいで、行く手に渡り廊下が見えてくる頃にはもうあたりは人影もまばらになっていた。
ようやく歩く速度を緩めて、小さくため息をつく。
(……何やってんだか)
花村はおれと違って、学校が終わっても真っ直ぐ家に帰ることなんてほとんどないのだろう。いつも花村の周りにはあいつを慕う友達がいて、そいつらと遊ぶのに忙しいのだ。おれとは住む世界が違う、分かっていたのに、心のどこかで何かを期待してた。
いや、違うか。期待って何だ。
別におれは花村に指示されたから図書室に向かっているわけではなく、次の朗読の題目にできそうな本の物色に行くつもりなんだから、あいつが誰とどこへ行こうがどうだっていい。おれには何の関係もない。
「おーい、湊!」
渡り廊下のちょうど中ほどに差し掛かった時、突然後ろから呼びかけられた。振り向くと、花村がこっちに向かって駆け寄ってきている。
驚いてその場に立ち尽くしているおれの前にたどり着くと、花村は両膝に手をついて大きく息を吐き出した。
「歩くの、速いって」
「なんで……」
「え?」
顔を上げた花村は、不思議そうにおれの目を見た。渡り廊下の向こうで傾き始めた日の光が、花村の額にうっすらと滲む汗に反射して淡い山吹色に変わる。
こんな汗かくほど走って追いかけてきたのか、バカな奴。
「今日は花村、友達と遊びに行くんじゃなかったのか」
「行かないよ。先に湊と約束してんだから」
「別におれ、約束した覚えはないんだけど」
「そういうこと言う?」
屈めていた上体を起こすと、花村は肩にカバンを掛け直した。やれやれといった表情でおれを冷ややかに見ている。
「……なんだよ」
「湊ってさ、普段は大人しいからそんな感じしないけど、実は意外と自分勝手だよね」
自分勝手? おれが?
言われ慣れない単語に唖然として花村を見ていると、何故か花村は少し不機嫌そうにぷいと顔を逸らした。
何言ってんだ。自分勝手なのはお前の方だろ。
おれの弱みを握ったのをいいことに、おれは嫌だって言ってるのに強引に生朗読を聴かせろと要求して、こっちの都合も聞かず一方的に図書室へ来いと言ってきて。振り回されているのはおれの方だ。
「……ま、分かんないならいいよ」
花村はおれの顔を見ようとしないまま、おれの横を通り過ぎてすたすたと渡り廊下を渡って行った。あわててその後を追いかけてA棟の中に入ると、そこには教室棟の方にはない独特の匂いが微かに漂っている。少し埃っぽいような、古びた木材が雨に濡れて乾く間際に放つような、ほのかに甘い匂い。そう言えば今朝は小雨がぱらついてたっけ。
A棟の廊下は空気まで湿ったように重く、人の気配もほとんど感じられない。黙ったままの花村の少し後ろをついていく間、その重苦しい雰囲気に堪えかねてついにおれは口を開いた。
「あの……図書室に何の用があるんだよ?」
花村はぴたと足を止めて振り向いた。その顔はさっきと違い、不機嫌そうにも怒っているようにも見えない。いつもの、かったるそうな目。何故かほっとして小さくため息をついてしまう。
「何って、高瀬舟の本を借りに行くんだけど。探すの手伝ってもらおうと思って」
さも当然のことのようにそう答えられて、そうか、と聞き入れてしまいそうになるのをすんでのところで思い留まる。
「そんなのわざわざ本借りなくたって、ネットでも無料で読めるだろ。知らないのか?」
そう、著作権が消滅した作品はその全文を無料で公開されているものが多い。おれが朗読の題目にしている作品はほとんどが小中学校の教科書に掲載されている日本文学だから、タイトルで検索すればすぐに見つかるだろう。わざわざ図書室や本屋で紙の本を探さずとも、ネットさえできる場所ならどこでも簡単に読めるはずだ。
「まあ、そうなんだけどさ。家でずっとスマホ見てると親が怒るんだよね、勉強しろーって。でも本ならいくら読んでても何も言われないから、その方が落ち着いて読めるし」
「花村の家、結構厳しいんだな」
思ったことをそのまま口にすると、花村は驚いたように少し目を丸くした。
「ええ? いや、普通だよ。湊んちはそういうのないの?」
「うちは……両親とも帰るの遅かったり夜勤だったりで、夜はほとんどいつもおれ一人だから自由だよ。何やってたって誰にも怒られない」
「へー、いいなあ。あ、もしかして朗読も夜に録音してる?」
「まあ、うん」
「そっかあ、やっぱ家に誰かいるとやりづらいよな。その点、湊んちは親に聞かれるかもとか気にしないで録音できるんだ」
「どんなに小声で喋ったって、間に壁一枚しかないんじゃ聞こえるからな」
花村はおれの話を聞いているうちに、いかにも興味深そうに少し前のめりになってきた。おれの家の話なんて何も面白いことなんかないのに。
つまらない話でも興味があるような顔して聞き入ってみせる、それもこいつの処世術のひとつなのかもしれない。確かに、自分の話を興味深そうにうんうんと頷きながら聞いてもらえたら、相手がどんな奴でも悪い気はしない。現に今のおれだって、花村に聞かれるまま話すつもりもなかったことをホイホイと話してしまっている。
花村のペースに完全に乗せられてるようでまずいかなとは思ったけど、不思議と嫌な感じはしなかった。きっとそれも、花村の天性の愛嬌が為せる技なのだろう。
柄にもなく、他人の前で必要以上にペラペラ喋ってしまったかもしれない。何故だか分からないけど、花村の前では言葉に詰まることも緊張で頭が真っ白になることもなく、フラットな状態で喋ることができる。こんなふうに顔をじっと見られたまま話すの、本当は大嫌いなはずなのに。
どうして、花村だと平気なんだろう。
「なんか、意外」
それまでおれの顔を見て話を聞いていた花村は、不意にぼそっと呟いた。
「え?」
「いや、実を言うと昨日まではまだちょっと疑ってたとこあったんだよね。これって本当に湊が朗読してんのかなって」
「……」
「だって学校にいる時と全然イメージ違うから、初めて聴いた時は『えっ!?』て思ったよ。ただ声が似てるだけの別人かと思ったんだけど」
なんだ。半信半疑でおれに声をかけてきたということは、どうやらおれは花村にカマをかけられただけだったということらしい。おれが動揺するのを見て花村は確信したのだろう、あの朗読を配信しているのはおれで間違いないと。
しかし、声を聴いただけでそんなすぐに分かるものだろうか。おれと花村は今までまともに話したこともなかったし、花村はおれがどんな声をしているのか知る機会さえほどんどなかったはずなのに。
「……なんで声だけで、おれだって分かったんだよ?」
「聴けばすぐに分かるよ、そんなの」
答えになっていないと思ったけど、それ以上の答えを聞き出すことはできそうにない。それも花村の生まれ持った特技のひとつみたいなものだと思うことにした。
下校時刻を告げるチャイムが聞こえてきて、おれと花村はどちらからともなく図書室に向かって歩き出した。さっきから誰もA棟への渡り廊下を通らないということは、今日も図書室はガラ空きだろう。
「もっと特徴のある声ならすぐにバレても納得できるけど、別におれの声ってそんな奇抜な声ってわけでもないだろ」
「そう? 俺、湊はいい声だと思うよ」
なんでそういうこと、恥ずかしげもなくさらっと言えるかな。忌々しい気持ちを奥歯で噛み潰しながら花村を睨んでも、花村はけろりとした顔でおれを見ている。
「おれは自分の声、あんまり好きじゃない」
廊下の向こうに目指す図書室が見えてきた。おれはそっちに目をやるふりをして、さり気なく花村から目を逸らした。
「毎回録音した朗読を聴くと、自分じゃない他人の声みたいでぎょっとするよ。こんな声をいつも周りの人たちに聞かれてんのかと思うとぞっとする」
「あー、なんか分かる。録音した自分の声ってなんか変な感じだよな。俺も初めて動画撮って自分の声聞いた時は衝撃だったもん。俺ってこんな変な声だったんだ、みたいな」
「花村の声は別にどこも変じゃないだろ」
「そうかなあ」
何でも持っている奴というのは、得てして自分の持っているものの価値を分かっていないものだ。人目を惹きつける涼しげな顔立ちによく似合う伸びやかで澄んだ花村の声は、おれにとって密かな憧れの対象でもあった。おれもせめてこのくらい聞き取りやすい声だったら、喋ることに対する苦手意識をここまで拗らせることはなかったと思う。
ああ、嫌だ。こいつといると、嫌でも劣等感が募っていく。
悶々とした気持ちが晴れないまま、おれと花村は図書室に着いてしまった。
やっぱり図書室には誰もいなかった。しかし、いくら利用者がいないとは言え図書委員くらいはいるはずだけど、今日は貸し出しカウンターの奥ももぬけの殻だ。
よく見るとカウンターの真ん中には一枚の白い紙が貼り出されていて、そこには『本日定例委員会のため図書委員は不在です。本の貸し出しは各自で記録してください』と書かれている。
「おっ、ラッキー。今日は図書委員長がいないから、喋っても大丈夫そうだな」
貼り紙を見た花村は弾んだ声を上げた。この図書室のヌシとして学校内で煙たがられている図書委員長は、とにかく図書室内での私語にうるさい。おれのような常に一人の利用者にはありがたいが、図書室で友達と一緒に課題やテスト勉強をしたいという生徒たちからはかなりの不評を買っている。
「喋ってないで、さっさと本借りたら帰るぞ」
「なんだよ。もしかして湊、今日なんか予定あった?」
「別にないけど……」
「ならいいじゃん、ゆっくり探そうよ」
どこに行っても花村はマイペースだ。こいつと一緒にいるところ、誰かに見つかる前にさっさと解散したいんだけど。
とにかく、今は一刻も早く目的のものを探し出さなくてはならない。それさえ見つかればもう後は花村を残してさっさと帰ればいいんだ。耐えろ、おれ。
江戸時代、京都の罪人が遠島を申し渡されると、高瀬川を下る小舟に乗せられて大阪へと送られた。それを護送する同心の庄兵衛は、弟殺しの罪で遠島送りになった喜助という男がいかにも楽しそうで晴れやかな表情をしていることを不思議に思い、彼に心持ちを尋ねてみる。
聞けば喜助は幼い頃に両親を流行病で亡くし、残された弟と助け合って生きてきたという。だが病気のため働けなくなった弟は自分が喜助の負担になっていることを苦にして、ある日剃刀で自らの喉を切ってしまう。
喜助が帰宅した時、弟はまだ息があったが、剃刀が喉に刺さって抜けず苦しい、早く抜いてくれ、と喜助に懇願し、喜助は弟の頼みを聞き入れて喉から剃刀を抜く。
息絶えた弟の傍らで剃刀を手にしている喜助を見た近所の者たちは、喜助を役所へ連れて行った。
その経緯を聞いた庄兵衛は、喜助のしたことが果たして罪と言えるのか分からなかった……という話だ。
これも朗読をする前に一度、最初から最後まで黙読した。自分なりにその場面の情景や人物の心情を想像して、それを聴き手に伝えるにはどんなふうに読んだらいいか何度も考えた。
特に、弟が喜助に剃刀を抜いてくれと頼む場面にはかなりの時間をかけて悩んでしまった。剃刀が喉に刺さって抜けなくなった経験なんておれには当然ないから、その痛みや苦しさは頭の中で想像するしかない。
もし仮に弟と同じ状況に置かれた時、おれなら同じことを言うだろうか。ただ早く楽になりたい、弟は本当にそれしか考えていなかったのだろうか。子供の頃からずっと一緒にいた兄を残して死ぬこと、その手助けを兄にやらせることに、何のためらいも感じなかったのだろうか。
どんなに考えたところで、この時の弟が思っていたことなんておれには分かるはずもない。そもそもこの物語の主軸となるテーマはそこではないのだから、この場面の解釈にむやみに時間を割くのはナンセンスというものだろう。おれはただ朗読をしたいだけで、考察がしたいわけではない。
前回の朗読動画を上げてから少し間が空いていたこともあり、おれは弟の心情の解釈がまだ曖昧なまま朗読を録音して動画投稿サイトへ上げた。
花村は、あれを聴いたのか。
おれの朗読動画を初めて見つけたのは先月だとか言ってたから、ひと月近く黙ってたってことだよな。なのにどうして急に話しかけてきたんだ? 今までそんな素振りは全く見せなかったくせに。
「……」
ノートをとっているふりをしながら、そっと視線を斜め右前に向ける。
おれの席の右隣の列、おれからふたつ前の席に花村はいた。ここからじゃ背中しか見えないけど、居眠りしたりスマートフォンをいじってたりなんてことはなく、机に頬杖をついて黒板の方を向いている。その背中を見るだけでも、いかにも退屈そうな顔で先生の話を聞いているのであろうことは簡単に想像できた。
全くいつも通りだ。こうしていると昨日のことなんて、本当にあったのかどうかも疑わしくなってくる。
(……なんで、高瀬舟なんだろう)
おれが朗読したものを聴いた後にわざわざ同じ題目をリクエストしてくるってことは、よっぽど気に入ったということだろうか。いや、ただ単に以前から高瀬舟が好きで、何度でも聴きたいというだけなのかも。
でもあいつ、見るからに普段から読書なんてしてなさそうなのに。現代文の授業だっていつも退屈そうに聞いてるし、たまに後ろの席から見ても分かるくらい舟を漕いでることだってある。
いつもクラスの友達とはしゃいでて、勉強なんかするよりも放課後どこに遊びに行くか考えることの方がよっぽど大事だと思っているのだろう。
髪を明るい色に染めたりピアスを空けたりといった分かりやすく派手な見た目をしているわけではないけど、ただ周りと同じように制服を着て立っているだけでも花村だけはどこか雰囲気が違って見える。凡人とはオーラが違うとでも言うのか、顔立ちも制服の着こなし方も垢抜けているのだ。飾らなくても人の目を惹きつける、立って息してるだけで自然と周囲に人が集まってくる、そういう素養を生まれつき持っている奴というのはどんなコミュニティにも必ず一人や二人はいるものだ。
まさに、おれみたいな根暗で野暮ったい人間とは対極の位置に存在する人種である。おれみたいな奴がああいう奴に気軽に話しかけたりするなどもってのほかで、本来であれば同じ教室で同じ空気を吸うことすら許されてはいない。
そのくらい、おれはしっかりわきまえている。だから近寄らず、目も合わせず、あいつの視界に入ることもなく、ただひっそりと影のように気配を消して、これからもそうやってできる限りの接触を避けてやり過ごすことがお互いのためだと思っていたのに。
花村の方からおれに話しかけてくるなんて、世界がひっくり返ったってありえないと思っていたのに。
その時だった。机の横に掛けたカバンの外ポケットから、スマートフォンが一度だけ短く振動する音が聞こえたのだ。
(母ちゃんかな……)
おれにはメッセージを送ってくる友達なんていない、連絡を寄越してくるのは家族だけだ。きっとまた帰りに牛乳でも買ってきてくれなんて用件だろう、そう思ってまた黒板の方に目を向けると、それとほぼ同時に花村がふいとこっちに振り向いた。
「……っ」
目が合った瞬間、花村は確かに口の端を小さく上げて笑っていた。でもそれは一瞬のことで、瞬きした次の瞬間にはもう花村はまた前を向いていた。
ま、まさか。
嫌な予感がして、机の下からそろそろとカバンに手を伸ばし、外ポケットからスマートフォンを引き抜く。もう六時間目、しかも物理の授業ともなるとほとんどの奴らは先生の話を聞いているふうを装いながら別のことを考えていたり、中には明らかに寝ている奴もいて、教室の後方に座っているおれの挙動不審な様子に気付く奴など一人としていない。
先生が黒板の方を向いたタイミングを見計らって、おれは机の下でそっとスマートフォンの画面を見た。思ったとおり、メッセージアプリからの通知が表示されている。花村からだ。
『これ終わったら図書室に集合ね』
たったそれだけ。
スマートフォンをカバンにしまうと、また前の方に視線を戻す。花村はさっきと全く同じ姿勢のまま、机に頬杖をついている。さっきは気付かなかったがよく見ると左手が膝の上にあって、その手は机の下でスマートフォンを持っていた。
あきれた。授業ちゃんと聞いてるふりして、おれにメッセージを送ってたのか。
一応、授業中にスマートフォンをいじるのは校則で禁止されているけど、ああやって先生に見つからないようこっそりいじってる奴は花村だけではない。学校側もそこまで厳しく目を光らせて禁じているわけではなく、そのへんは生徒の自主性に委ねるという緩い校風の学校だから、別に花村だけが突出して不真面目な生徒だということではないのだ。
むしろ、花村は生徒たちだけではなく教師陣からの受けもいい。特に成績優秀ってわけではないけど何をやらせてもそつがなく、誰に対しても一貫して朗らかで人当たりが良く、校内行事の際にはクラスのみんなを上手くまとめるリーダーシップを持っていて、遅刻も欠席も滅多にしない。天性の人たらしとでも言うのだろうか、あいつは年齢や性別を問わず誰からも可愛がられている。
どうしてこんなことになってしまったのか。
まさにおれと花村は、住んでいる世界が違う。見た目は同じ人間に見えても、もう根本から造りが違う生き物なのだ。
そんな奴に弱みを握られてしまうなんて、あまりにも迂闊だった。花村は生朗読を一回聴けばそれでいいと言っていたけど、果たして本当にそれで終わるのだろうか。黙っていてほしいんだったらと、また無茶苦茶な要求を迫られるかもしれない。
そう考えると、たった一度でも花村に屈したのはやはり失敗だった。朗読のことを周囲にバラすというカードをちらつかせればおれはどんな要求でも呑むと、花村に学習させてしまったようなものだ。
今からでも遅くない、昨日のあれはなかったことにしてもらえないだろうか。そして、今度は毅然とした態度できっぱりと断って……いや、無理か。ああでも、どうしたら。
そんなことを頭の中で延々と考えていると、終業時間を知らせるチャイムが鳴った。
*
終業後のホームルームが終わりクラスメイト達が三々五々に帰って行く中、カバンを持って席を立ちながらちらと花村の方を見ると、もう既に数人の友達とはしゃいでいる。
「なんか食い行こー! 花村も行くだろ?」
「あー、今日は俺ちょっと……」
不意に花村は視線だけをこっちにちらと向けた。おれは咄嗟に顔を背けて、そのままそそくさと教室を出て行った。
「なんだよ、まさか彼女と約束かー? 先週はいないって言ってたのに、早えーよ!」
「バッカ、違うって」
背後から微かに聞こえてくるはしゃいだ声から逃げるように、廊下を足早に歩いていく。
図書室は教室があるこの校舎内にはなく、ここから渡り廊下で繋がっているA棟にある。A棟には他にも音楽室や化学実験室などの特別教室が数多くあり、放課後になるとこの方面に用事のある生徒は部活動をしている奴らくらいで、行く手に渡り廊下が見えてくる頃にはもうあたりは人影もまばらになっていた。
ようやく歩く速度を緩めて、小さくため息をつく。
(……何やってんだか)
花村はおれと違って、学校が終わっても真っ直ぐ家に帰ることなんてほとんどないのだろう。いつも花村の周りにはあいつを慕う友達がいて、そいつらと遊ぶのに忙しいのだ。おれとは住む世界が違う、分かっていたのに、心のどこかで何かを期待してた。
いや、違うか。期待って何だ。
別におれは花村に指示されたから図書室に向かっているわけではなく、次の朗読の題目にできそうな本の物色に行くつもりなんだから、あいつが誰とどこへ行こうがどうだっていい。おれには何の関係もない。
「おーい、湊!」
渡り廊下のちょうど中ほどに差し掛かった時、突然後ろから呼びかけられた。振り向くと、花村がこっちに向かって駆け寄ってきている。
驚いてその場に立ち尽くしているおれの前にたどり着くと、花村は両膝に手をついて大きく息を吐き出した。
「歩くの、速いって」
「なんで……」
「え?」
顔を上げた花村は、不思議そうにおれの目を見た。渡り廊下の向こうで傾き始めた日の光が、花村の額にうっすらと滲む汗に反射して淡い山吹色に変わる。
こんな汗かくほど走って追いかけてきたのか、バカな奴。
「今日は花村、友達と遊びに行くんじゃなかったのか」
「行かないよ。先に湊と約束してんだから」
「別におれ、約束した覚えはないんだけど」
「そういうこと言う?」
屈めていた上体を起こすと、花村は肩にカバンを掛け直した。やれやれといった表情でおれを冷ややかに見ている。
「……なんだよ」
「湊ってさ、普段は大人しいからそんな感じしないけど、実は意外と自分勝手だよね」
自分勝手? おれが?
言われ慣れない単語に唖然として花村を見ていると、何故か花村は少し不機嫌そうにぷいと顔を逸らした。
何言ってんだ。自分勝手なのはお前の方だろ。
おれの弱みを握ったのをいいことに、おれは嫌だって言ってるのに強引に生朗読を聴かせろと要求して、こっちの都合も聞かず一方的に図書室へ来いと言ってきて。振り回されているのはおれの方だ。
「……ま、分かんないならいいよ」
花村はおれの顔を見ようとしないまま、おれの横を通り過ぎてすたすたと渡り廊下を渡って行った。あわててその後を追いかけてA棟の中に入ると、そこには教室棟の方にはない独特の匂いが微かに漂っている。少し埃っぽいような、古びた木材が雨に濡れて乾く間際に放つような、ほのかに甘い匂い。そう言えば今朝は小雨がぱらついてたっけ。
A棟の廊下は空気まで湿ったように重く、人の気配もほとんど感じられない。黙ったままの花村の少し後ろをついていく間、その重苦しい雰囲気に堪えかねてついにおれは口を開いた。
「あの……図書室に何の用があるんだよ?」
花村はぴたと足を止めて振り向いた。その顔はさっきと違い、不機嫌そうにも怒っているようにも見えない。いつもの、かったるそうな目。何故かほっとして小さくため息をついてしまう。
「何って、高瀬舟の本を借りに行くんだけど。探すの手伝ってもらおうと思って」
さも当然のことのようにそう答えられて、そうか、と聞き入れてしまいそうになるのをすんでのところで思い留まる。
「そんなのわざわざ本借りなくたって、ネットでも無料で読めるだろ。知らないのか?」
そう、著作権が消滅した作品はその全文を無料で公開されているものが多い。おれが朗読の題目にしている作品はほとんどが小中学校の教科書に掲載されている日本文学だから、タイトルで検索すればすぐに見つかるだろう。わざわざ図書室や本屋で紙の本を探さずとも、ネットさえできる場所ならどこでも簡単に読めるはずだ。
「まあ、そうなんだけどさ。家でずっとスマホ見てると親が怒るんだよね、勉強しろーって。でも本ならいくら読んでても何も言われないから、その方が落ち着いて読めるし」
「花村の家、結構厳しいんだな」
思ったことをそのまま口にすると、花村は驚いたように少し目を丸くした。
「ええ? いや、普通だよ。湊んちはそういうのないの?」
「うちは……両親とも帰るの遅かったり夜勤だったりで、夜はほとんどいつもおれ一人だから自由だよ。何やってたって誰にも怒られない」
「へー、いいなあ。あ、もしかして朗読も夜に録音してる?」
「まあ、うん」
「そっかあ、やっぱ家に誰かいるとやりづらいよな。その点、湊んちは親に聞かれるかもとか気にしないで録音できるんだ」
「どんなに小声で喋ったって、間に壁一枚しかないんじゃ聞こえるからな」
花村はおれの話を聞いているうちに、いかにも興味深そうに少し前のめりになってきた。おれの家の話なんて何も面白いことなんかないのに。
つまらない話でも興味があるような顔して聞き入ってみせる、それもこいつの処世術のひとつなのかもしれない。確かに、自分の話を興味深そうにうんうんと頷きながら聞いてもらえたら、相手がどんな奴でも悪い気はしない。現に今のおれだって、花村に聞かれるまま話すつもりもなかったことをホイホイと話してしまっている。
花村のペースに完全に乗せられてるようでまずいかなとは思ったけど、不思議と嫌な感じはしなかった。きっとそれも、花村の天性の愛嬌が為せる技なのだろう。
柄にもなく、他人の前で必要以上にペラペラ喋ってしまったかもしれない。何故だか分からないけど、花村の前では言葉に詰まることも緊張で頭が真っ白になることもなく、フラットな状態で喋ることができる。こんなふうに顔をじっと見られたまま話すの、本当は大嫌いなはずなのに。
どうして、花村だと平気なんだろう。
「なんか、意外」
それまでおれの顔を見て話を聞いていた花村は、不意にぼそっと呟いた。
「え?」
「いや、実を言うと昨日まではまだちょっと疑ってたとこあったんだよね。これって本当に湊が朗読してんのかなって」
「……」
「だって学校にいる時と全然イメージ違うから、初めて聴いた時は『えっ!?』て思ったよ。ただ声が似てるだけの別人かと思ったんだけど」
なんだ。半信半疑でおれに声をかけてきたということは、どうやらおれは花村にカマをかけられただけだったということらしい。おれが動揺するのを見て花村は確信したのだろう、あの朗読を配信しているのはおれで間違いないと。
しかし、声を聴いただけでそんなすぐに分かるものだろうか。おれと花村は今までまともに話したこともなかったし、花村はおれがどんな声をしているのか知る機会さえほどんどなかったはずなのに。
「……なんで声だけで、おれだって分かったんだよ?」
「聴けばすぐに分かるよ、そんなの」
答えになっていないと思ったけど、それ以上の答えを聞き出すことはできそうにない。それも花村の生まれ持った特技のひとつみたいなものだと思うことにした。
下校時刻を告げるチャイムが聞こえてきて、おれと花村はどちらからともなく図書室に向かって歩き出した。さっきから誰もA棟への渡り廊下を通らないということは、今日も図書室はガラ空きだろう。
「もっと特徴のある声ならすぐにバレても納得できるけど、別におれの声ってそんな奇抜な声ってわけでもないだろ」
「そう? 俺、湊はいい声だと思うよ」
なんでそういうこと、恥ずかしげもなくさらっと言えるかな。忌々しい気持ちを奥歯で噛み潰しながら花村を睨んでも、花村はけろりとした顔でおれを見ている。
「おれは自分の声、あんまり好きじゃない」
廊下の向こうに目指す図書室が見えてきた。おれはそっちに目をやるふりをして、さり気なく花村から目を逸らした。
「毎回録音した朗読を聴くと、自分じゃない他人の声みたいでぎょっとするよ。こんな声をいつも周りの人たちに聞かれてんのかと思うとぞっとする」
「あー、なんか分かる。録音した自分の声ってなんか変な感じだよな。俺も初めて動画撮って自分の声聞いた時は衝撃だったもん。俺ってこんな変な声だったんだ、みたいな」
「花村の声は別にどこも変じゃないだろ」
「そうかなあ」
何でも持っている奴というのは、得てして自分の持っているものの価値を分かっていないものだ。人目を惹きつける涼しげな顔立ちによく似合う伸びやかで澄んだ花村の声は、おれにとって密かな憧れの対象でもあった。おれもせめてこのくらい聞き取りやすい声だったら、喋ることに対する苦手意識をここまで拗らせることはなかったと思う。
ああ、嫌だ。こいつといると、嫌でも劣等感が募っていく。
悶々とした気持ちが晴れないまま、おれと花村は図書室に着いてしまった。
やっぱり図書室には誰もいなかった。しかし、いくら利用者がいないとは言え図書委員くらいはいるはずだけど、今日は貸し出しカウンターの奥ももぬけの殻だ。
よく見るとカウンターの真ん中には一枚の白い紙が貼り出されていて、そこには『本日定例委員会のため図書委員は不在です。本の貸し出しは各自で記録してください』と書かれている。
「おっ、ラッキー。今日は図書委員長がいないから、喋っても大丈夫そうだな」
貼り紙を見た花村は弾んだ声を上げた。この図書室のヌシとして学校内で煙たがられている図書委員長は、とにかく図書室内での私語にうるさい。おれのような常に一人の利用者にはありがたいが、図書室で友達と一緒に課題やテスト勉強をしたいという生徒たちからはかなりの不評を買っている。
「喋ってないで、さっさと本借りたら帰るぞ」
「なんだよ。もしかして湊、今日なんか予定あった?」
「別にないけど……」
「ならいいじゃん、ゆっくり探そうよ」
どこに行っても花村はマイペースだ。こいつと一緒にいるところ、誰かに見つかる前にさっさと解散したいんだけど。
とにかく、今は一刻も早く目的のものを探し出さなくてはならない。それさえ見つかればもう後は花村を残してさっさと帰ればいいんだ。耐えろ、おれ。


