須尚と会った翌日、音野と待ち合わせてアメリカ聴音工学研究会の会場へ向かった。
メイン会場に入ると、既に超満員で座席は一つも空いていなかった。立って見るしかなかったが、発表レベルの高さに目と耳を奪われ続けた。
そんな中、更に釘付けになる発表が始まった。それは、従来のものよりも格段に導伝力の高いセラミックスについての発表で、音の伝達力が大幅に向上した次世代のセラミックス振動子の開発につながる可能性を秘めているものだった。
「これだ!」
音野が興奮した声を発した。探し求めていたものに出会った確信に支配されているようだった。
「これがあれば開発中の骨伝導補聴器の性能が格段に向上する」
興奮で顔に赤みがさしていた。
「それにしても……」
音野は大きく首を横に振った。
「まさか日本人とは……」
この研究成果について何も聞いたことがなかったという。日本の学界ではまったく注目されていなかったのだろう。
発表者は関西工業大学・応用セラミックス研究所の冶金雅副所長だった。
発表が終わると、音野と最上はすぐに演者控室に急いだ。資料をブリーフケースに仕舞っている彼女を見つけると、音野は名刺を差し出して自己紹介をした。そして、彼女の研究に対して称賛の言葉を送った。すると彼女は一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに悔しそうな表情に変わって、唇を噛んだ。
「新しい発見をしても日本の学界はなかなか認めてくれないのです。そのくせ外国で評価されると掌を返したように追認する日本の学界って、なんなんでしょう」
それは、日本人の一流研究者であれば誰もが抱く疑問だった。日本人の優れた研究を真っ先に評価するのはいつも外国なのだ。それを見て、鼻にもかけなかった日本の学会の重鎮が、なんらかの理由をつけて追認するのだ。自分の見る目の無さを覆い隠すように。
「日本では超一流の研究者は育たないと思います」
彼女は憤慨の中に愁いを帯びたような目で訴えた。
残念ながら、同感だった。音野も同じだろう。超一流の研究者はアメリカへどんどん流出していた。新しい発想を理解しない日本に見切りをつけ、誰もやらないことこそ評価するアメリカに希望を託すしかなかったのだ。
更に、研究に対する評価や待遇だけでなく、優れた研究環境も日本人研究者の流出原因となっていた。アメリカとは余りにも違いすぎる日本の環境は劣悪と言っても過言ではなかった。
最上は、アメリカ製薬中央研究所のスペースの広さ、設備・研究機器の充実度、そして、公園のような緑化エリアに触れる度にその違いを実感していた。
加えて、昼食が無料で提供されるだけでなく、泊まり込みの研究をする研究者たちのための落ち着いた宿泊施設が完備していた。研究室内のソファで横になるしかない日本の現状とは大違いだった。評価と競争は厳しいが、研究者が心底研究に打ち込める環境が整備されているアメリカとは天と地ほどの差があるように感じていた。
だから、見習わなければならない、いや、いつかアメリカ製薬を超える研究環境を最上製薬で作り上げなければならない、と毎日、自らに言い聞かせていた。
「悔しいですよね」
音野の声が最上を現実に戻した。
「こんなに素晴らしい研究が日本で無視されているなんて信じられない」
何度も首を横に振った音野は、忌々しいという口調で言葉を継いだ。
「学会の重鎮たちを一掃しないと日本の未来はないんですよ。それに、文科省の役人も何もわかっていない。偉いさんたちはみんな邪魔ばっかりしているだけでなんの役にも立っていないんだ」
鬱積した不満が爆発したような口調だった。冶金も同調するように大きく頷いたので、音野はもっと厳しいことを口にすると思ったが、「でもね」と一転して静かな声になった。無理矢理落ち着かせようとしている感じだった。
「そんなことを言ってても何も始まらないと思うんですよ。彼らがどうであれ、やれることをやるしかないんだと思うんですよ」
そうですよね、というような目で冶金を見た。彼女は真っすぐに音野を見つめていた。
「やりましょうよ、僕たちだけでも」
強い想いがこもった声を発して彼女に一歩近づいた。その顔は真剣そのものだった。
「冶金さんの研究成果を弊社で使わせてください。冶金さんが開発したこの新セラミックスがあれば、自分が開発中の骨伝導補聴器の機能が大幅に向上し、日本の、いや、世界中の難聴患者に福音をもたらすことが可能なんです」
そして、最上と共に骨伝導補聴器と有毛細胞の毛の再生薬によるトータル・ソリューションに取り組んでいることを熱心に説明した。
「日本人の発想が、日本人の研究が、世界の難聴患者のQOL向上に資するのです」
強く言い切った音野に向かって冶金が右手を差し出した。長く待ち望んだ言葉に心を動かされたようだった。その手を音野が握ると、最上はたまらなくなって2人の手を両手で包み込んだ。その瞬間、ピュアな想いが融合して無限大になったような気がした。それが大きなエネルギーとなって未来を動かそうとするのを感じた。更に強く2 人の手を握り締めた。



