「スナッチ、お前が曲作ってくれよ」

 ゼミの歓迎会が終わってすぐの頃、タッキーが突然、言い出した。

「それ、いいな」

 ベスが頷いた。

「えっ、僕? 僕が?」

 戸惑っていると、ベスに肩を揉まれた。

「マンネリを打破しないとな」

 キーボーはちょっと不満そうな表情を浮かべていたが、それでも、取り立てて何かを言うことはなかった。

 突然のことだったし、今まで一度も曲を作ったことがないから、次の言葉が出てこなかった。それでも、バラードタイプの曲では速弾きが活かせないことも痛感していた。だからロックとまではいわなくても、もっとリズム感のある曲をレパートリーに加えたいと常々思っていた。でもそう簡単に曲が作れるはずもない。3人の視線を避けて部室の天井を見上げた。すると、「なんのためにここに入ってきたんだよ」という焦れたような声が聞こえた。タッキーだった。

「作詞作曲がしたいから入部したんだろ」

 ベスの声だった。

 それはその通りだった。いつかは自分で曲を作って、それを演奏したいと思っていた。

「ぐずぐずしていると、俺たち卒業しちゃうぜ」

 ベスに肩を掴まれて大きく揺らされた。

 確かに、最終学年になっていた彼らに時間は残っていなかった。それに、彼らが卒業したらバンドは解散することになる。ここで断ったらなんのインパクトもないまま1年が終わってしまうだろう。それでいいはずはない。彼らをガッカリさせたくないし、自分も不完全燃焼で終わりたくない。何も挑戦しないままバンドを終わらせるわけにはいかないのだ。そう思うと高揚してしまったせいか、「自信はありませんが、やってみます」と口を滑らせてしまった。

 しまった、と思った。しかし、もう遅かった。おっ、というような顔をしたあとすぐに相好(そうごう)を崩したタッキーとベスに手を握られてしまった。

「でも、あまり期待しないでくださいね」

 予防線を張るために呟いたが、彼らの耳には届いていなかった。

「楽しみだな~」

 気楽な声が返ってきた。

        *

 1974年当時は歌謡曲全盛で、演歌の人気も高く、日本ではまだバンドによるヒット曲は少なかった。洋楽はソウル全盛で、これは参考にならなかった。やってみるとは言ったものの、すぐに壁にぶち当たった。一度も曲を作ったことがないのだから仕方がないと言えばそうなのだが、やっぱり無理でした、とは口が裂けても言いたくなかった。言えるはずがなかった。考えた末にキーボーに相談することにした。

        *

 閑静な住宅地に建つ彼の家はモダンな洋館で、豪邸の多いこの辺りでもひと際目立っていた。家の敷地は百坪を優に超えていると思われた。家の周りには高い塀が(めぐ)らされている上に、成人男子の背丈よりも高い鉄製の門扉(もんぴ)が訪問者への威圧度を高めていた。気後れしながら恐る恐るインターホンを鳴らした。

 彼と母親が出迎えてくれた。コーヒーとケーキをご馳走になったあと、彼に案内されて地下に続く階段を下りた。

「オヤジが完全防音の地下室を作ってくれてさ、これなら音が漏れないからって」

 彼の父親は大手建設会社の重役だった。

「広いですね」

「うん、20畳はあるかな」

 その広さに驚いたが、それ以上に興味を惹かれるものがあった。キーボードが3台も置かれていたのだ。グランドピアノ、エレキピアノ、そして、シンセサイザー。加えて、立派なオーディオシステムと、多数のレコードが収められた大きな収納ボックスがあった。

「千枚近くあるかな」

 その中から1枚を取り出した。ビージーズのベストアルバムだった。

「彼らのメロディーとハーモニーがいいんだよね」

 プレーヤーにセットして針を落とすと、『マサチューセッツ』の歌声が流れ始めた。

「これなんだよ、これ。俺が求めているのは」

 彼は目を瞑り、ハミングをし始めた。

 ひとしきりビージーズの曲を聴いたあと、タイミングを見計らって本題を切り出した。しかし、明確な助言を得ることはできなかった。「オリジナルとは内面から出てくるもので、他人のアドバイスによって引き出されるものではない」というようなことを言われてしまったのだ。それはその通りかもしれないが、初めて曲作りに挑戦する自分にはなんの参考にもならなかった。もっと具体的に教えて欲しいと頼みたかったが、同じ言葉しか返ってこないだろうと諦めて、引き下がることにした。

 家に帰る足取りは重かった。なんの手掛かりも得られていないのだ。途方に暮れていた。

        *

 自分の部屋に入って、貸してもらったビージーズのベストアルバムとライヴアルバムの2枚を机の上に置いた。
 椅子に座って部屋を見回すと、ため息が出た。6畳の和室は彼の豪華な地下室と違って音楽を聴く環境からかけ離れているように思えた。それに、ステレオは安物のコンボだった。小さなスピーカーから出る音は彼の家で聞いた音とは雲泥(うんでい)の差があった。それでも、普通の会社の普通のサラリーマンを父に持つ息子としては今以上の贅沢は望めなかった。個室を与えられているだけでも恵まれているのだ。

 長男と双子の弟の3人で構成されたビージーズは憂いのあるメロディーとハーモニーが人気で、特に、長兄バリー・ギブのハスキーヴォイスとロビン・ギブのハイトーンのハーモニーが最高だった。
 中でもバリー・ギブの歌のうまさには参った。それに、歌の途中で「ハ~」というため息のような歌声が聴こえてきた時には正直言って痺れた。同じハスキーヴォイスの日本人演歌歌手が「は~」と歌えばコブシが回るが、バリー・ギブの「ハ~」は細かいビブラートがかかってなんとも言えないセクシーさを醸し出すのだ。ライヴアルバムに収められている1971年の全米ナンバーワンヒット曲『傷心の日々』で「ハ~」と歌った瞬間、若い女性の吐息を漏らすような歓声が会場のあちこちから聞こえてきたが、自分が女性でも同じように反応すると思った。

 2枚のアルバムを聴き終わると、キーボーがビージーズに痺れる理由がよくわかった。しかし、ビージーズ風では今までと何も変わらない。ビージーズを封印して新たな道を開かなければならないのだ。手さぐりで闇夜の中を歩くような日々が始まった。