自分の部屋に戻った麗華は高校2年のあの日のことを思い出していた。冬休み前に男女計6人でカラオケに行った時のことだ。
 その頃流行っていたのはリバイバルソングだった。特に、70年代や80年代の曲に人気があった。人気の理由は、覚えやすさだった。最近の曲は複雑で覚えにくいし、カラオケで歌うのに苦労するという同級生が多かった。それに対して親が若かった頃のヒット曲はシンプルだから、とても覚えやすく、何回か聞いたら誰でも歌えるようになる。そこが魅力で支持を広げていた。
 女の子たちは、いつものようにピンクレディーやキャンディーズ、松田聖子や中森明菜などの曲を歌い、男の子たちは、沢田研二やチェッカーズ、安全地帯や少年隊などの曲を歌った。
 しばらくして誰かが、「ちょっと飽きたな。いつもと違う曲歌いたいな」と言った時、長髪の男子が「いい曲知ってるよ」と、リモコンで予約番号を押した。しかし、自分も含めてみんなは次の曲を探すために歌本をめくっていたので、彼がどんな曲を入力したのか見ていなかった。
 イントロが始まった。ギターがカッコ良かった。哀愁を帯びたフォークロックだった。それは誰も聞いたことがない曲だった。
 皆が目を上げた時、彼が歌い出した。上手かった。それに、メロディーが良かった。タイトルを探すと、『ロンリー・ローラ』と表示されていた。エンディングのツインリードギターがカッコよかった。
 曲が終わったと思ったら、次の曲が始まった。今度は全員が画面に注目した。曲名は『言葉はいらない』で、バンド名は『ビフォー&アフター』。作詞作曲は『スナッチ』だった。『ロンリー・ローラ』よりハードなフォークロックだった。これもカッコ良かった。
 彼が歌い終わった時、ヤンヤの拍手が起こった。そして、矢継ぎ早に質問が飛んだ。

「ビフォー&アフターって、どんなバンド?」
「スナッチって誰?」

 彼はボリボリと頭を掻いて、ボソッと呟いた。

「オヤジが若い頃やってたバンド」

「えっ、お前のお父さん、バンドやってたの?」

 え~~! とみんなからどよめきが起こった。

 彼の名前は、木暮戸(きぼど)(れい)。父親の名前は木暮戸弾で、ビフォー&アフターのキーボード兼ヴォーカル担当だったという。

「スナッチは?」

「うん。オヤジの友人で大学時代一緒にバンドを組んでいたらしいけど、プロになる時、彼は別の道を選んだと聞いたことがある。レコード会社に就職したとか言っていたような気がするけど……」

「スナッチって面白い名前ね」

「うん。確か本名は、〈す〉なんとかって言ってたけど……思い出せないな~」

 その時、ニキビ面の男子がこっちに向き直って指差した。

「須尚じゃないの? お前のオヤジ、レコード会社に勤めてるって言ってたよな」

 みんなの目が集中した。

 えっ、お父さん? 
 うそ、そんなこと聞いたことないし……、

 突然のことに狼狽えてしまった。

 まさかお父さんが……、

 カラオケどころではなくなった。同級生の歌も耳に入らなくなった。

        *

 家に帰った時、直接訊こうかと思ったが、思いとどまった。笑ってごまかされるに決まっているからだ。今まで秘密にしていたということは喋る気がないということだし、それは多分、母親も同じだろう。
 訊くのは諦めて、両親が留守の時に家中探してみることにした。しかし、どこを探してもそれらしきものは見つからなかった。レコードも楽譜もなんらかの資料も見つけることはできなかった。その後も何度か思い当たる場所を探してみたが、結局、何も見つからなかった。

        *

 3学期に入って入試まで1年を切るようになると、同級生とカラオケに行くことはなくなった。だから、ビフォー&アフターの曲に接することもなくなった。そのせいもあって、そのことを思い出すことはほとんどなくなった。

 そんなある日曜日の午後、部屋で勉強をしていると、リビングの電話が鳴った。両親は出かけていたし、友達が家の電話に掛けてくることはないので放っておいたが、呼び出し音は10回を超えても鳴り止まなかった。面倒くさいな、と思いながらもリビングへ行って受話器を取った。

「もしもし」

「あっ、御無沙汰しています。最上ですが、スナッチはいますか?」

「スナッチ……」

「あっ、すみません。奥さんじゃなかった、もしかして、娘さん?」

「はい、そうですけど」

「失礼しました。お父さんの幼なじみの最上と言います。お父さんに代わってもらえますか?」

 外出中であることを伝えて受話器を置いたが、その途端、力が抜けた。へなへなとフローリングにへたり込んでしてしまった。

 やっぱりスナッチだったんだ、

 思わず声が出てしばらくそのまま動けないでいたが、部屋に戻ると、何故か可笑しくなってきた。すると、志望校に関する悩みが嘘のように消えた。それまでは音大にしようか芸能大にしようか悩んでいたのだが、芸能大一本にする決心がついたのだ。
 そのことを知らない父親はさっき面食らっていたが、若い頃のバンド活動が娘に影響を与えていると知ったらさぞ驚くだろうと考えると、また可笑しくなった。
 それが収まると、木暮戸令の歌声が蘇ってきた。そして、『ロンリー・ローラ』のエンディングを飾るツインリードギターを弾く父親の姿が見えたような気がした。

 わたしはスナッチの娘。

 心の中で呟くと、父親の会社からデビューする姿がおぼろげに浮かんできた。

「わたしはスナッチの娘」

 声に出して言うと、満員の観客の前でピアノを弾いて歌っている姿がはっきりと見えた。それだけでなく、隣に立って演奏している人の姿も浮かび上がってきた。