犯人を捕まえたら少しは気分が楽になって耳鳴りも軽減するのではないかと思い始めた。そうすると居ても立ってもいられなくなった。だから、仕事が早く終わった時やなんの予定もない休日に犯人探しをするようになった。あの外資系メガチェーンへ行って怪しい奴を見つけることにしたのだ。愉快犯を許すことができなかったし、自分と同じ被害者を出したくなかった。必死になって犯人を捜した。
被害に遭ったハードロックのコーナーを中心に見回りを続けた。こんなことを面白半分にやるのは若者に違いない、そう決めつけていた。だから、だらしない格好の若者がいると気づかれないように少し離れたところからそいつをマークした。しかし、非常識なことをする若者は誰もいなかった。というよりも若者の方が試聴機やヘッドフォンの取り扱いが丁寧だった。
まさか犯人は中高年? と思ったこともあったが、いや、そんなことはない、社会経験が豊富で常識のある中高年がそんな愉快犯のようなことをするはずがない、とすぐさまその考えを打ち消した。
*
犯人探しを始めて3週間が経とうとしていた時だった、挙動が普通ではない男を見つけた。
なんか怪しい……、
その男は周りを見回してキョロキョロしていた。誰もいないことを確認しているのだろう。それが終わると、安心したような表情で装着していたヘッドフォンを元に戻し、ツマミを回した。
そいつが去ってから急いでその試聴機の前に行った。思った通りだった。ボリュームが最大になっていた。こいつに違いないと確信してその男を追いかけた。CD棚を縫うように足早に歩いていた男を必死になって追いかけた。しかし、突然、見失った。
えっ? どこへ行った? どこだ?
動揺して焦ったが、〈落ち着け、落ち着くんだ!〉と自らを叱り飛ばし、〈白髪の短髪だから見失うわけがない〉と言い聞かせた。
冷静さを取り戻すと、被害に遭ったハードロックコーナーが脳裏に浮かんだ。間違いないと思い、はやる気持ちを抑えて音を立てずに近づいた。
いた! あいつだ。
思った通りだった。ヘッドフォンを装着していた。
気づかれないように、そいつの背中が見える棚の陰にそ~っと移動した。そいつは体を揺らして無心で聴いているように見えた。
曲が終わったのか、そいつはヘッドフォンを外して元に戻した。わたしは手元を見るために音を立てないようにして近づいた。すると、そいつはボリュームボタンを指でつまんで、ツマミを右側いっぱいに回した。
やっぱりこいつだ!
捕まえようと足を踏み出した。しかし、一瞬早く大柄な男性がどこからか飛び出してきて、そいつの右腕を掴んだ。ユニフォームを着ていたので店員のようだった。
「何やってるんだ!」
「何って、別に……」
怯みながらも店員の手を振り解こうとした。しかし、振り解けなかった。
「現行犯だから観念しなさい」
もう一人の店員がやってきて、2人でそいつを店の奥に連れていった。
扉が閉まると、staff onlyと書かれているのが見えた。「関係者外秘か~」と思わず声が出たが、扉を押し開きたいという衝動にかられた。でも、そんなことをするわけにはいかないので、扉の前で待った。店がどういう判断をし、犯人をどう罰するのか確かめないで帰るわけにはいかなかった。しかし、10分経っても、20分経ってもその扉は開かなかった。それでも、じりじりとしながら待ち続けるしかなかった。
50分ほど経った頃、女性スタッフに誘導されるようにして警察官が2人、扉の中に入っていった。警察官を呼んだということは、店の人は単なる悪戯で済まそうとはしていないようだった。
当然だ。人の聴覚を痛めつけて喜んでいる奴なのだ。注意しただけで許すなんてとんでもない。懲らしめられて当然なのだ。法の裁きを受けて当然なのだ。
そう思っていたら、そいつの両脇を抱えるようにして警察官が出てきた。そして、そいつを連行していった。
その姿を見送っていた大柄な店員に声をかけて、被害者の一人であると告げた。すると、加害者でもないのに謝罪してくれて、事細かに説明してくれた。
最近試聴機に関する苦情が増えており、怪しい人間を見かけたらマークするようにと店長から指示が出ていた。だからいつものように店内を見まわっていると、ハードロックコーナーに差し掛かった時、試聴機のボリュームツマミを最大にしている年配者を見つけたので、現行犯として捕まえた、ということだった。
「まさか父親ほどの年齢の人が犯人だったとは……」
店員は落胆したような表情になって口をつぐんだが、首を振ったあと、犯人を追及した概要を話してくれた。
定年退職で暇になったそいつは暇つぶしを兼ねて店を頻繁に訪れていた。クラシック、ジャズ、ロック、ポップス、J・POP、韓流POP、映画音楽、いろんなコーナーで試聴していたらしい。
ある日、そいつは〈懐かしのハードロック特集〉というコーナーを見つけた。昔よく聴いたロックバンドのベストアルバムが紹介されていたので試聴機のヘッドフォンを装着して再生ボタンを押したところ、爆音に晒されて難聴気味になった。単なる悪戯なのか愉快犯なのかわからなかったが、そいつはその犯人を恨んだ。恨んで恨んで犯人探しを始めた。
しかし、何週間経っても、何か月経っても見つけることができなかった。すると、なんで自分だけこんな目に合うんだ、という疎外されたような気持ちが強くなっていった。そればかりか、耳鳴りと難聴に悩まされる運命を呪うだけでなく、幸せそうに試聴している多くの客を見ると腹立たしくなってきた。自分だけ不幸なのはおかしい、皆も不幸になるべきだ、耳鳴りと難聴を経験すべきだ、そんな倒錯した思いが膨らんでいった。
実行に舵を切るのに時間はかからなかった。試聴したあとボリュームを上げたのだ。最初は最大ボリュームの半分くらいにして、ヘッドフォンを装着した人の観察を始めた。再生ボタンを押した時の驚いた顔、ヘッドフォンを投げ捨てるように外す慌てよう、そのすべてがおかしかった。それで悪戯にはまり込んでいったそいつはボリュームを少しずつ上げていき、最後には最大ボリュームにするようになった。
その日以来、客からの苦情が増えていった。それを受けて店は試聴機の見回りを強化し、やっと犯人を捕まえたのだ。
店員は犯人を詰問した。
「自分がやられて嫌なことを何故他人にするのか!」
しかしそいつは悪びれずに言った。
「自分だけ不幸なのは平等ではない」
それを聞いて、これはダメだと思い、警察に通報したのだという。警察の取り調べにも反省の色が見えなかったため連行されていった。
「病んでますね」
悲しそうな口調になった。
「音楽が好きな人に悪い人はいないと思っていたのに……」
辛そうな表情で息を吐き出した。そして、「いい歳をした大人が。奥さんも子供もいるのに。家族が可愛そうに」とさっきより辛そうに息を吐いた。
その通りだった。なんて情けない男かと思った。すると、バカバカしくなった。犯人のことはどうでもよくなった。再発防止の方が重要だと切り替えた。
「爆音が出ない設定にした方がいいんじゃないでしょうか」
彼はすぐに大きく頷いた。
「警察からも防止策を言い渡されました。試聴機のボリュームを聴覚に影響のないレベルに抑えるようにと」
会社に報告して、すぐに実行するという。
それで安心した。再発防止のための見回り強化を継続するようにお願いして、店を出た。
ふと空を見上げると、どんよりとした雲が垂れ込めていた。それは心の中を反映しているように思えた。大事なことは何も解決していないのだ。すっきりするわけがなかった。犯人探しの日々は終わったが、耳の奥で鳴り続ける不快な音はその存在感を一段と強めていた。



