「やったね」
「これで、長崎に来る観光客が増えたらいいな」
美麗と手を取り合って喜んだ。『長崎くんち』が1979年2月3日に国の重要無形民俗文化財に指定されたのだ。それだけでなく、その秋、念願が、それも二つ共叶うという幸運に恵まれた。
一つは、2年続けて諏訪神社の桟敷席で美麗と見ることができたこと。父親が長崎くんちの世話役をしている関係で、今年も貴重なチケットを入手することができたのだ。
そしてもう一つは、なんと、あの『コッコデショ』を見る機会に恵まれたことだ。
コッコデショ。
それは、筆舌に尽くし難い歓喜の奉納踊り。
そして、誰もが熱狂し鳥肌が立つ感動の舞。
本来なら7年に一度しか見ることができないコッコデショが、前回から4年後の今年、特別に披露されるのだ。長崎くんちが国の重要無形民俗文化財に指定されたことを祝うための特別な企画として。
その年のトリを飾るに相応しい樺島町の太鼓山がやって来た。36人の担ぎ手が1トンはあるかと思われる太鼓山を担いでいる。担ぎ棒の上には4人の少年が乗り、その手には数色に染められた旗が握られていた。「ホーライエ」と歌いながら太鼓山が左右に動かされると、4人の少年が背をのけ反らせながら大きく旗を振り始めた。立っているだけでも大変なのに、ぶれることもなく旗を振り続けた。すると、「ま~わ~せ~」という掛け声とともに太鼓山が回転を始めた。同時に、太鼓山に乗った4人の子供が振りを付けながら太鼓を打ち鳴らし始めた。担ぎ手と子供たちの一体となった動きは一糸も乱れず、会場からは惜しみなく拍手が送られた。
太鼓山が止まると、ハイライトがやって来た。「コッコデショ!」という掛け声と共に担ぎ手が一斉に太鼓山を宙に放り投げたのだ。なんと1メートル以上高く宙に浮かんでいる。それも、子供が太鼓山に乗ったままの状態で。
太鼓山が落ちてきた。担ぎ手がしっかり受け止めると、大きな歓声と拍手が諏訪神社を揺らした。それをもう一度繰り返して勇壮な舞は終わりを告げた。と思ったら、そうではなかった。桟敷席から大きな声が上がったのだ。
「もってこ~い、もってこい」
呼び込むように前に伸ばした掌を自分の方へ持ってくる動きを、桟敷に座るすべての人が何回も繰り返した。須尚も負けじと美麗と共に大きな声と手振りで太鼓山を呼び込んだ。
「もってこ~い、もってこい」
すると彼らが戻ってきた。太鼓山を担いで戻ってきた。一気に大歓声が沸き起こって興奮の坩堝と化し、会場の誰もが顔を紅潮させていた。それは担ぎ手も一緒のようで、全身に力が漲り、両腕の筋肉が躍動しているように見えた。次の瞬間、全員が注目する中、担ぎ手が一斉に法被を投げ上げ、勇壮な声を張り上げた。
「コッコデショ!」
また、太鼓山が宙に放り投げられた。それも、さっきよりもっと高く、もっと長かった。ウヮ~という歓声が渦巻く中、72本の手が伸びた先に太鼓山が落ちてきた。
担ぎ手がしっかりと受け止めた瞬間、美麗の手をきつく握った。絶対に離さないと心に誓って。



