バンド解散後、3人は新たな挑戦を始めた。
 ジャズ&ロック志向を強めていたタッキーとベスは、ツアー・ギタリストと共に『ショッキング・レッド』というバンド名で再デビューした。
 バラードを極めたいキーボーは、今まで書き貯めた自作曲を録音したアルバムを発表し、本格的にソロ活動を始めた。
 しかし、どちらもうまくいかなかった。即興演奏を重視したショッキング・レッドの演奏に従来のファンはついてこられなかったし、ビージーズの曲調に酷似していたキーボーの曲はまがい物扱いをされた。一度ケチがついたミュージシャンに新しい流れが来ることはなかった。

 ショッキング・レッドを解散したタッキーとベスは、スタジオミュージシャンとして再々スタートを切ることになった。
 人気が急落してレコーディングのオファーが来なくなったキーボーは、センスの良さとメカに強いところを高く買っていた轟の勧めで録音エンジニアに転身し、エレガントミュージック社と専属契約を結んだ。
 こうして彼らは別々の道を歩み始めたが、それ以降、顔を合わせることはまったくなかった。