夕方から始まったレコーディングは深夜になっても終わらなかった。4人で演奏をするのが久しぶりだったこともあったが、それ以上に実力差が大きかった。1年間のツアーで3人の腕は格段に上がっていたが、自分のギターテクニックは学生時代と変わらなかった。レコーディングの連絡を受けてから必死になって毎日練習したが、それくらいで急にうまくなることはなかった。アマチュアとプロの差を痛感した。
 すると気分がどんどん落ち込んでいった。指がスムーズに動かなくなり、得意の速弾きが決まらなくなった。休憩を取って、温かいタオルを指に当てたりしたが、そんなことで改善することはなかった。技術の問題ではなく気持ちの問題だと思って、自分はできる、自分はできる、と何度も暗示をかけたが、これも効果はなかった。それでもメンバーは励まし続けてくれた。

「無理に背伸びしなくていい。スナッチらしく弾けばいいんだ」

 ベスが平常心での演奏を促した。

「ドンマイ、ドンマイ。肩の力を抜いていこうぜ」

 タッキーがスティックをくるりんと回して笑った。

「さあ、もう一度やろう」

 キーボーが肩に手を置いて頷いた。

 しかし、何度やり直してもOKは出なかった。ガラスの向こう側のコントロールルームで轟が心配そうに見つめていた。時刻は午前3時。録音スタッフの顔に疲れの色が見えていた。

「次で最後よ」

 轟が抑揚のない声で告げた。それは、次でダメならギタリストを替えるというシグナルに違いなかった。

「ちょっと休憩させて下さい」

 ベスの声だった。

「外へ行こう」

 腕を取られた。

        *

 スタジオの外に出て、玄関の階段のところに座った。タッキーとキーボーも横に座った。真冬の深夜の空気は冷たく、息が白く濁った。

 ベスが一度建物の中に戻り、何かを持って帰ってきた。小型のカセットレコーダーだった。上着のポケットから取り出したカセットテープをセットして再生ボタンを押すと、イントロが流れてきた。大好きな曲だった。『ハイウェイスター』。しかし、ディープパープルの演奏ではなかった。

「あっ」

 思わず大きな声が出た。大学祭の時の演奏だった。大勢の観客を前に乗りに乗って速弾きを繰り出したあの演奏だった。エンディングでジャン♪ と決めると、物凄い歓声と拍手が聞こえてきて、冷気の中なのに体が熱くなった。

「次はこれね」

 ベスがカセットを入れ替えた。

「あっ」

 イントロを聞いて、また大きな声が出た。『ロンリー・ローラ』だった。デモテープを作った時の演奏だった。リラックスして気持ち良くギターを弾いていた姿が蘇ってきた。

「これを作った時の気持ちで弾けばいいんだよ」

 なっ、というような表情でベスが肩を揉んだ。すると突然、タッキーが立ち上がって3人に立つよう促した。そしてバンドを組んでいた時のように輪になると、タッキーが手を前に出して、その上に3人が手を乗せた。

「ロケン・ロール!」

 真っ暗な空に向かって同時に手を上げた。

        *

「OKよ」

 轟が笑みを浮かべて拍手をしていた。コントロールルーム内のエンジニアやスタッフも全員が笑顔で拍手をしていた。

「やったぜ!」

 録音ブースの中で、何度もハイタッチを重ねた。

「やったじゃん」

 ベスに髪をぐしゃぐしゃにされた。
 タッキーに手荒くヘッドロックされた。
 キーボーはただニコニコしていた。
 時計の針は午前4時を指していた。

「さあ、気合入れていきましょう」

 轟がスタッフに活を入れた。A面の録音が終わっても、発売までにすべきことは山ほどあるのだ。B面の録音、ミキシング、写真撮影、表紙のデザイン、プロモーションの企画、コンサートのスケジュール、これからが本番なのだ。

「忙しくなるわよ、覚悟しなさい」

 檄を飛ばした轟だったが、その顔は生気に満ちていた。