スナッチフォンのベルがけたたましく鳴った。受話器を取ると、キーボーの興奮した声が聞こえてきた。
 レコーディングの連絡だった。突然の依頼に驚いた。何か言おうとしたが言葉が出ていかなかった。気がつくと、受話器を握ったまま口が開きっぱなしになっていた。キーボーのあとにタッキーが、そのあとにベスが何か言っていたが、何も耳に入ってこなかった。なんとかレコーディングの予定日と場所をメモして受話器を置いたが、フワフワして体が浮いているような感じがいつまでも続いていた。

        *

 10か月振りの東京だった。土曜日の昼過ぎに羽田に降り立つと、懐かしい都会の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。すると、帰ってきたという実感が湧いてきた。

 モノレールと電車を乗り継いで渋谷駅に到着した。いつものようにハチ公前も交差点付近も人で溢れかえっていたが、その人混みが心地良かった。喧噪(けんそう)という名のエネルギーが満ち満ちていて、全身に刺激のシャワーが降り注いでいるような感じがした。

 駅前から緩い坂を上って、著名なレコーディングスタジオに向かう途中にあるホテルに立ち寄った。イメチェンをするためだ。サラリーマン風の髪型でスタジオに行くわけにはいかない。
 トイレに入って、鏡の前で髪を下ろし、上着の内ポケットから取り出したサングラスをかけた。濃いメタルグレーが反射して完全に目の表情を隠していた。レイバン型のデザインがミュージシャンらしさを醸し出していて、臨戦モードに入るのに時間はかからなかった。

 よし! 

 頬を両手で叩いて気合を入れた。

        *

 ホテルを出て5分ほど歩くと、目的の建物に着いた。レコーディングスタジオだ。無機質な外観が近寄り難い雰囲気を漂わせていた。

 正面ドアの前に立った。ガラスドアに全身が映っていた。ギターケースを持つ姿が様になっていると思った。

 大丈夫だ! 

 言い聞かすように頷いて一歩踏み出すと、自動ドアが開いた。

 中は薄暗かった。間接照明が独特のムードを醸し出していた。それは、妥協を許さない異次元の意志を放つプロフェッショナルの気魂(きこん)のように感じた。