スナッチフォンのベルがけたたましく鳴った。受話器を取ると、キーボーの興奮した声が聞こえてきた。
レコーディングの連絡だった。突然の依頼に驚いた。何か言おうとしたが言葉が出ていかなかった。気がつくと、受話器を握ったまま口が開きっぱなしになっていた。キーボーのあとにタッキーが、そのあとにベスが何か言っていたが、何も耳に入ってこなかった。なんとかレコーディングの予定日と場所をメモして受話器を置いたが、フワフワして体が浮いているような感じがいつまでも続いていた。
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10か月振りの東京だった。土曜日の昼過ぎに羽田に降り立つと、懐かしい都会の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。すると、帰ってきたという実感が湧いてきた。
モノレールと電車を乗り継いで渋谷駅に到着した。いつものようにハチ公前も交差点付近も人で溢れかえっていたが、その人混みが心地良かった。喧噪という名のエネルギーが満ち満ちていて、全身に刺激のシャワーが降り注いでいるような感じがした。
駅前から緩い坂を上って、著名なレコーディングスタジオに向かう途中にあるホテルに立ち寄った。イメチェンをするためだ。サラリーマン風の髪型でスタジオに行くわけにはいかない。
トイレに入って、鏡の前で髪を下ろし、上着の内ポケットから取り出したサングラスをかけた。濃いメタルグレーが反射して完全に目の表情を隠していた。レイバン型のデザインがミュージシャンらしさを醸し出していて、臨戦モードに入るのに時間はかからなかった。
よし!
頬を両手で叩いて気合を入れた。
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ホテルを出て5分ほど歩くと、目的の建物に着いた。レコーディングスタジオだ。無機質な外観が近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
正面ドアの前に立った。ガラスドアに全身が映っていた。ギターケースを持つ姿が様になっていると思った。
大丈夫だ!
言い聞かすように頷いて一歩踏み出すと、自動ドアが開いた。
中は薄暗かった。間接照明が独特のムードを醸し出していた。それは、妥協を許さない異次元の意志を放つプロフェッショナルの気魂のように感じた。



