次の日、改めて礼を言うために店を再訪した。しかし、彼女の姿を見つけることはできなかった。
今日は休みかな?
帰りたかったが、席に座ってしまったのですぐに出るわけにもいかず、テーブルにやって来た不愛想な若い男性に『皿うどん』と告げた。そして、メニューと一緒に置いてあった観光チラシのようなものを手に取った。長崎の名所と名物が紹介されていた。
それを見ながら食べていると、長崎に来てから観光らしきことを一度もしていないことに思い至った。土日を含めて仕事ばかりしていたのだ。
行ってみるか、
役目を果たせなかったお礼用の菓子折りを持って長崎駅前から路面電車に乗り、終点一つ手前の大浦天主堂駅で降りて坂道を上った。
『グラバー園』に来たのは初めてだった。長崎港が一望できる素晴らしい眺めに目を見張った。暫く庭園内を散策したあと、見晴らしの良いベンチに座って膝の上に菓子折りを置いた。
ここで食べようか、
何故かそういう気になったので、包みを剥がそうとセロテープに爪をかけた時、「写真お願いしてもいいですか?」という女性の声が耳に届いた。
「はい、もちろん」
うつむいたまま返事をして顔を上げると、
「あっ」
その女性が驚いた。こっちはそれ以上に驚いた。彼女だった。そこに立っていたのは、トルコライスの店の、あの彼女だった。長崎くんち見学に来た友達をグラバー園に案内して、そろそろ帰ろうとしていたところだという。
「足は大丈夫ですか?」
あの可愛い顔で心配してくれた。
「はい。もう全然大丈夫です」
昨日の迅速な対応に礼を言った。そして、「今日、お礼を言うためにお店に伺ったのですが、いらっしゃらなくて……。あっ、そうだ、こんなところでなんですが、良かったら召し上がってください」と、当てが外れて一人で食べようとした菓子折を差し出した。
「あっ、福砂屋のカステラ」
彼女が指差して、女友達を見た。
「あなたに食べてもらいたいと思っていた長崎名物よ」
飛び切りかわいい笑顔になった途端、左頬にえくぼが現れた。思わず見とれてしまったが、彼女が手に持つカメラに気がついて、建物をバックにしたものと、遠景をバックにしたものの写真を撮った。
それからカステラを食べるためにベンチに座っったが、3人が座るのがやっとだったので横に座った彼女の腕が自分の腕に密着した。
あ~、なんという幸せ。
狭いベンチさん、ありがとう。
グラバーさん、ありがとう。
感謝の塊になった。
*
「須尚正と言います」
彼女の女友達がトイレに行った時、自己紹介をした。すると、可愛い声で彼女も名を告げた。
「河合美麗です」
かわい……、
みれい……、
こんなに可愛い女性の名字が、かわい、
そして、名前が、美しく麗しい、
なんという……。
彼女は大学に通いながら主に土日祝日にあの店でアルバイトをしているのだという。そのため長崎くんちの3日間も出勤を要請されたが、県外から遊びに来た友達のために今日と明日は休みを取ったということだった。
大学は長崎外語大学で、2年生だという。英語の他にフランス語とスペイン語とポルトガル語を勉強していると言うので、それについて詳しく訊こうとしたが、残念ながら友達がトイレから帰ってきたので会話はそこで終わった。それだけでなく、彼女は立ち上がって、次の予定地に移動するためにそろそろ行かなければならないと申し訳なさそうに少し顎を引いた。もっと一緒にいたかったが、今から港を挟んで反対側の稲佐山へ行くという彼女たちをこれ以上引き留める理由がなかった。仕方なく2人を見送った。
「来週の土曜日、トルコライス食べに行きます」
後姿に声をかけると、彼女は振り向いてとびっきりの笑顔を返してくれた。それが余りにも可愛かったのでじっとしてはいられず、菓子折りの包装紙をぐしゃぐしゃにして抱きしめてしまった。
福砂屋さん、ありがとう。
グラバーさん、ありがとう。
また感謝の塊になった。



