俺は月香堂のことが気になって仕方なくなった。
(あの異世界みたいな幻想的な店や、月乃おばあちゃんから聞いた話が衝撃的すぎて、頭から離れない)
放課後、俺は再び月香堂を訪れる。香坂がいつでも来ていいって言ったから、本当に遊びに来てしまう。
月乃「春愛くん、また来てくれたの?嬉しいわ」
月乃おばあちゃんが出迎えてくれる。
春愛「あの……香坂はいますか?」
月乃「奥にいるわよ。今日は蒼真、張り切って薬膳カレー作ってるの。春愛くんが来るって分かってるみたいにね」
春愛「え?」
月乃おばあちゃんがくすくす笑いながら、俺を店の奥に案内してくれた。
そこは小さなキッチンとダイニングがあって、薬膳カレーの良い香りが漂っている。香坂がエプロンをつけて、何かを作っている。
香坂「……来たんだ」
春愛「うん。お邪魔してもいい?」
香坂「……いいよ。座ってろ。すぐできるから」
香坂がキッチンに向かう。その後ろ姿を見ていると、なんだか得体の知れない安心感に包まれる。
(俺のために作ってくれてるの……?)
しばらくして、香坂が薬膳カレーを持ってきてくれた。
春愛「わあ……」
見た目からして、文化祭の時に食べたのより本格的だ。サラサラしたスパイスカレーに揚げたナスやズッキーニ、カボチャが飾られていて、見た目にも食欲をそそる。
春愛「いただきます」
一口食べた瞬間、体の中に温かさが広がっていく。
春愛「美味しい……!文化祭の時よりもっと美味しい」
香坂「……そうか」
香坂が嬉しそうな顔をする。
春愛「香坂って、本当にすごいね。こんな美味しい料理作れるなんて」
香坂「……大したことない」
春愛「大したことあるよ!俺、こんなに美味しいカレー食べたことない」
香坂の頬が赤くなる。
(可愛い……って、香坂を可愛いと思ってる俺って……)
春愛「あの、香坂」
香坂「なんだ?」
俺は香坂を見つめた。昨日から伝えたかったことを言ってみる。
春愛「俺のこと、いっぱい心配してくれて……ありがとう」
香坂「……別に」
春愛「でも嬉しい。誰かがこんなに俺のことを考えてくれるなんて、初めてだから」
香坂が俺を見つめ返す。その瞳が、なんだかいつもより優しい。
香坂「星野って、一人でいることが多いんだよな?」
春愛「え?」
香坂「家でも、一人だろ?」
(香坂に、そんなことまでバレてんの……?)
春愛「まあ、母さん忙しいし」
香坂「寂しくないのか?」
香坂の問いかけに、俺は胃の奥がキリキリと痛みだした。
春愛「寂しい……かも」
正直に答えると、香坂の表情が少し暗くなる。
香坂「だったら、いつでもここに来い」
春愛「え?」
香坂「腹が減った時、寂しい時、いつでもいい。俺が作ったもの、食べさせてやる」
(えっ、香坂……そこまで俺のためにするの?)
俺の視界がぼやけ始める。
(ヤバい泣きそう……でも我慢しなくっちゃ)
春愛「……本当にいいの?」
香坂「……うん。約束する」
その時、香坂がデザートを持ってきた。文化祭の時よりも小さくて可愛らしいパンデピス。
春愛「これ、俺のために?」
香坂「……余ったから」
香坂がそう言うけど、明らかに俺のために作ってくれたものだ。
春愛「ありがとう」
俺がパンデピスのお皿に手を伸ばすと、香坂も同じタイミングで手を伸ばし、手が触れ合った。
香坂「……」
春愛「……」
お互い手を引っ込めない。香坂の手は大きくて、温かい。
(胸がどうしようもなくドキドキしてる……)
春愛「香坂……」
香坂「……星野」
(この気持ち、何だろう……香坂といると、すごく安心するのに、同時に胸が苦しくなるんだ)
香坂「俺……お前と話してると、楽しい」
春愛「俺もだよ?」
俺たちは見つめ合う。
(香坂の瞳、綺麗だな。それにこんなに優しく見つめられたら……俺はどうしたらいいの?)
その時、月乃おばあちゃんの声が聞こえた。
月乃「あら、いい雰囲気ね」
俺たちは慌てて手を離す。
月乃「春愛くん、また明日もおいで。蒼真、喜ぶから」
香坂「ば、ばあちゃん……!」
香坂が真っ赤になって抗議する。
春愛「また……来てもいいですか?」
月乃「もちろんよ。この子、あなたが来ると張り切って料理作るの」
香坂「ばあちゃん、余計なこと言うな!」
俺は笑いながら月香堂を後にした。
(今日も楽しかった。それに、香坂ともっと仲良くなれた気がする)
◇
翌日の学校。俺と香坂は、なんだかいつもと違う雰囲気だった。
目が合うと、お互い少し恥ずかしそうに微笑む。でも、みんなの前では普通に振る舞おうとしている。
瑛斗「春愛、今日なんか機嫌いいな」
春愛「そ、そうかな?」
瑛斗「香坂とも仲良さそうだし。よかったじゃん。話してるとこ全然見ないのに、なんでそんなに仲良いのか不思議だけど」
(バレてる?でも、瑛斗は深く詮索しない。月香堂での密会は、二人だけの秘密で言えないから助かる)
昼休み。俺は香坂の席の近くを通りかかった。
香坂「……」
香坂が俺を見上げて、小さく頷く。
(目で会話してる……なんか、秘密の関係みたいで楽しい)
放課後、俺と香坂は偶然一緒に校門を出た。
春愛「お疲れ様」
香坂「……お疲れ」
なんだか気恥ずかしい。
春愛「今日も……月香堂行ってもいい?」
香坂「うん。待ってるから」
香坂がそう言って、少し照れたように頬を染めた。
(可愛い……こんなにカッコいいのにいつも恥ずかしそうで……)
俺たちは並んで歩くことはない。一緒だと、周りに怪しまれそうで。俺は3メートルくらい離れて香坂の後ろを歩く。
(秘密の恋みたい……って、恋?)
俺の頬が熱くなった。
◇
月香堂に着くと、香坂はもう店の奥で何かの準備をしていた。
春愛「こんにちは」
月乃「いらっしゃい、春愛くん。蒼真、春愛くんが来たわよ」
香坂「座ってて」
香坂が振り返って、俺を見て小さく微笑んだ。
(その笑顔、俺だけに向けられてるの贅沢すぎる……)
月乃「今日は二人で作業してみる?蒼真に教えてもらいなさい」
春愛「え?」
香坂「嫌じゃなければ」
春愛「やってみたい!」
香坂が俺を店の奥の作業スペースに案内してくれた。そこには古い薬草学の本と、たくさんのスパイスが並んでいる。
香坂「これ、キャトル・エピスの調合だ」
春愛「キャトル・エピス?」
香坂「フランスの4つのスパイス。ペッパー、クローブ、ナツメグ、ジンジャー」
香坂が乳鉢を手に持ち、丁寧にスパイスを量り取る。
春愛「すごい……プロみたい」
香坂「……大したことない。これ、配合によってちょっと味が変わって面白いんだ。パンデピス、カレー、ハンバーグにも使えるし。星野もやってみるか?」
香坂が俺の隣に座る。狭い空間に2人きり。本当に近すぎる。
(香坂の匂いがする……スパイスみたいに甘い香り)
春愛「へぇ~奥が深いんだな。えっと、どうすれば……」
俺が乳鉢を持とうとした時、香坂の手が俺の手に重なった。
香坂「こうやって、ゆっくり回してすり潰すんだ」
香坂が俺の手を包むように、一緒に乳鉢を回してくれる。
(手が温かい……心臓がバクバク煩い……これなんかヤバい、変な気分になる……)
春愛「こ、こんな感じ?」
香坂「……うん。上手」
(香坂の顔が近い。すごく近い。それにしても、香坂の瞳、綺麗だな……)
俺が見とれていると、香坂も俺を見つめ返していた。
香坂「……星野」
春愛「な、なに?」
香坂の顔がもっと近づく。
(まさか……これって……)
その時、俺の手が滑って、乳鉢が傾いた。
春愛「あ!」
中に入っていたスパイスが宙に舞い上がる。
香坂が咄嗟に乳鉢を支えようとして、俺も同じように手を伸ばした。
そして……
俺たちの唇が、触れ合った。
(時間が止まったみたいだ)
香坂の瞳が、すぐそばにある。驚いたような、でもどこか優しい瞳。
周りで、4つのスパイスの粉が、まるでスローモーションみたいにひらひらと舞い散っている。甘くてスパイシーな香りが、俺たちを包み込んだ。
香坂「……ん」
(香坂の唇……柔らかいし、温かい……)
俺の心臓がドクドクと壊れそうに響き、香坂の頬が真っ赤に染まる。
(俺もきっと同じ顔をしてるんだろうな……)
数秒間、俺たちはそのまま唇が触れ合ったまま、離れなかった。
春愛「あっ」
我に返った俺は、慌てて身を離す。
春愛「ご、ごめん!俺が乳鉢を落としそうになったから……」
香坂は呆然としたまま、俺を見つめている。
香坂「……」
(何か言ってよ、香坂……)
香坂は固まって、何も言えないでいる。
(気まずすぎる……でも、なんで胸がこんなに苦しいんだ?)
春愛「あの……その……」
(なんて言えばいいんだ?)
香坂「……星野」
やっと香坂が口を開いた。
香坂「……ごめん、嫌な思いさせて……」
香坂の声が震えている。
春愛「え?」
香坂「……キス」
香坂がそう言った瞬間、俺の顔が爆発しそうに熱くなった。
春愛「い、嫌じゃない……」
俺は正直に答えた。
春愛「むしろ……」
(むしろドキドキした、って言えない)
香坂「むしろ?」
(香坂が俺を見つめている。その瞳が、なんだか期待しているみたいだ)
春愛「む、むしろ……えっと……」
俺がしどろもどろになっていると、月乃おばあちゃんの声が聞こえた。
月乃「あら、何か音がしたけど大丈夫?」
俺は慌てて立ち上がる。
春愛「だ、大丈夫です!ちょっと乳鉢を……」
月乃「あら、スパイスが散らばってる。お掃除しましょうね」
月乃おばあちゃんが入ってきて、俺たちの間の空気が変わった。
春愛「あ、あの、俺、今日はもう帰ります!」
俺は逃げるように月香堂から飛び出す。
外に出ても、心臓の爆音が止まらない。
(うわあぁぁ……キス、しちゃったよ……)
香坂の唇の感触が、まだ残ってる。
(柔らかくて、温かくて……)
俺の全身が熱を帯びて燃えそうだ。
香坂のあの顔……驚いてたけど、嫌がってるようには見えなかった。
(すぐ押しのけなかった……俺もだけど……香坂なに考えてんだろう……)
家に帰る途中、俺はずっと考え続ける。
香坂蒼真。
調理実習で一緒にスパイスカレーを作った時から、なんとなく気になり始めて、文化祭で薬膳カレーとパンデピス作ってる姿を見て、もっと興味を持った。
それに、たくさんの料理を俺に食べさせてくれて、心を満たしてくれる人。そして、俺のことを心配してくれる優しい人。
今日、俺は確信する。
(俺は香坂のことが好きなのかもしれない、友達以上なのは間違いない)
あのキスは事故だったけど……でも、嫌じゃなかった。
(むしろ、もう一度……だめだめ!何考えてるんだ俺!)
頭を振って、変な考えを追い払う。
でも、香坂の顔が頭から離れない。あの驚いたような、でも嫌がってないような表情。
(香坂のこと、頭から離れない……!もう無理――)
俺はどうすればいいんだろう。明日、学校で顔を合わせたら、きっと気まずいよな。
でも……会いたいんだ。
香坂に会って、あの続きを聞きたい。
(この気持ち、伝えたいのかな?)
俺は枕に顔を埋めた。
(香坂の顔が浮かんで、眠れそうにない)
◇
翌日の学校。俺は香坂の顔をまともに見れなかった。
目が合いそうになると、すぐに視線を逸らしてしまう。香坂も同じみたいで、なんだかお互い気まずい。
瑛斗「春愛、今日なんか変じゃね?」
春愛「そ、そんなことないけど」
瑛斗「顔赤いし、落ち着きないし……熱でもあんのか?まさか、香坂と何かあった?」
春愛「な、ないない!何もない!」
(バレバレだ……大事件すぎて、平静を装うなんて俺には無理だ!)
昼休み。俺は一人でコンビニのサンドイッチを食べようと、教室を出た。1人になれる所を探そうと歩いていると、誰かが俺の腕を掴んだ。
香坂「待って」
香坂の声が、いつもより低い。
春愛「え……」
俺は大人しく立ち止まった。香坂の手が、俺の腕を優しく掴んでいる。
香坂が俺を人気のない廊下の角に連れて行く。
香坂「……これ」
香坂が小さな紙袋を俺に差し出した。中を見ると、手作りのおにぎりが入っている。
春愛「これは……」
香坂「……昨日の、お詫び」
春愛「お詫びって……」
(あのキスのこと?)
香坂「……嫌な思いさせて、迷惑かけて……ごめんな」
香坂がそう言うと、なぜか胸がキュンと締め付けられた。
(迷惑じゃない。全然迷惑じゃないのに)
春愛「嫌な思いしてないし、迷惑じゃないよ、ただ恥ずかしいだけで……」
俺がそう言うと、香坂が顔を上げる。
香坂「本当か?」
春愛「うん。むしろ……」
(むしろ嬉しかった、なんて言えない)
香坂「むしろ?」
春愛「む、むしろありがとう!おにぎり!」
俺は慌てておにぎりを取り出す。
(やばい、変な答えになった)
でも香坂が少し微笑んだような気がした。
香坂「……今日も、来れるか?」
春愛「え?」
香坂「月香堂に。昨日の続き、やろう」
(昨日の続きって……キスの続き?)
春愛「だ、大丈夫なの?気まずくない?」
香坂「うん。キャトル・エピス、完成しなかったから……」
香坂がそう言って、俺を真っ直ぐ見つめる。
(あっ、キャトル・エピスか!焦った……キスの続き、なわけないよな)
春愛「そうだな!完成させたいよ、キャトル・エピス!ちゃんと行くから」
俺がそう答えると、香坂の表情が明るくなった。
香坂「じゃあ、待ってるから」
◇
その日の放課後、俺は再び月香堂に向かった。
(気まずくない、気まずくない、きっと大丈夫)
月香堂に着くと、香坂がもう準備をして待っていてくれるのが見えた。
春愛「来たよ」
香坂「……うん。入って」
俺たちは一緒に薬膳カレーの試食を始める。昨日のような気まずさはなく、自然に会話ができた。
香坂「……昨日のこと、悪かったな」
春愛「ううん、俺のせいじゃん、嫌な思いさせてごめんな」
香坂「違う、俺は、嫌じゃなかったから」
香坂がそう言った瞬間、俺の心臓が跳ね上がる。
春愛「え?」
香坂の頬が赤くなる。
春愛「俺も……嫌じゃなかったから」
俺がそう答えると、香坂は目を丸くした。
香坂「……そうなんだ」
春愛「うん」
俺たちは見つめ合う。
(この気持ち、何だろう……友達以上の何かだけど、男同士でこれはいいのかな……)
香坂「キャトル・エピス作ろうか」
春愛「うん。作ろう」
俺たちは、昨日の続きでキャトル・エピスを調合し始める。
たまに触れてしまう手にドキドキするけど、なんとか持ちこたえて無事に完成した。
料理に色々使えるみたいだから、市販の料理に振りかけたり、試してみよう。
(香坂と過ごす時間が、どんどん特別になっている)
今日は、それ以上に香坂との時間が大切に感じられた。
(この気持ち、いつか言葉にできるかな。今は、本当の気持ちを認めるのが怖いんだ)
(あの異世界みたいな幻想的な店や、月乃おばあちゃんから聞いた話が衝撃的すぎて、頭から離れない)
放課後、俺は再び月香堂を訪れる。香坂がいつでも来ていいって言ったから、本当に遊びに来てしまう。
月乃「春愛くん、また来てくれたの?嬉しいわ」
月乃おばあちゃんが出迎えてくれる。
春愛「あの……香坂はいますか?」
月乃「奥にいるわよ。今日は蒼真、張り切って薬膳カレー作ってるの。春愛くんが来るって分かってるみたいにね」
春愛「え?」
月乃おばあちゃんがくすくす笑いながら、俺を店の奥に案内してくれた。
そこは小さなキッチンとダイニングがあって、薬膳カレーの良い香りが漂っている。香坂がエプロンをつけて、何かを作っている。
香坂「……来たんだ」
春愛「うん。お邪魔してもいい?」
香坂「……いいよ。座ってろ。すぐできるから」
香坂がキッチンに向かう。その後ろ姿を見ていると、なんだか得体の知れない安心感に包まれる。
(俺のために作ってくれてるの……?)
しばらくして、香坂が薬膳カレーを持ってきてくれた。
春愛「わあ……」
見た目からして、文化祭の時に食べたのより本格的だ。サラサラしたスパイスカレーに揚げたナスやズッキーニ、カボチャが飾られていて、見た目にも食欲をそそる。
春愛「いただきます」
一口食べた瞬間、体の中に温かさが広がっていく。
春愛「美味しい……!文化祭の時よりもっと美味しい」
香坂「……そうか」
香坂が嬉しそうな顔をする。
春愛「香坂って、本当にすごいね。こんな美味しい料理作れるなんて」
香坂「……大したことない」
春愛「大したことあるよ!俺、こんなに美味しいカレー食べたことない」
香坂の頬が赤くなる。
(可愛い……って、香坂を可愛いと思ってる俺って……)
春愛「あの、香坂」
香坂「なんだ?」
俺は香坂を見つめた。昨日から伝えたかったことを言ってみる。
春愛「俺のこと、いっぱい心配してくれて……ありがとう」
香坂「……別に」
春愛「でも嬉しい。誰かがこんなに俺のことを考えてくれるなんて、初めてだから」
香坂が俺を見つめ返す。その瞳が、なんだかいつもより優しい。
香坂「星野って、一人でいることが多いんだよな?」
春愛「え?」
香坂「家でも、一人だろ?」
(香坂に、そんなことまでバレてんの……?)
春愛「まあ、母さん忙しいし」
香坂「寂しくないのか?」
香坂の問いかけに、俺は胃の奥がキリキリと痛みだした。
春愛「寂しい……かも」
正直に答えると、香坂の表情が少し暗くなる。
香坂「だったら、いつでもここに来い」
春愛「え?」
香坂「腹が減った時、寂しい時、いつでもいい。俺が作ったもの、食べさせてやる」
(えっ、香坂……そこまで俺のためにするの?)
俺の視界がぼやけ始める。
(ヤバい泣きそう……でも我慢しなくっちゃ)
春愛「……本当にいいの?」
香坂「……うん。約束する」
その時、香坂がデザートを持ってきた。文化祭の時よりも小さくて可愛らしいパンデピス。
春愛「これ、俺のために?」
香坂「……余ったから」
香坂がそう言うけど、明らかに俺のために作ってくれたものだ。
春愛「ありがとう」
俺がパンデピスのお皿に手を伸ばすと、香坂も同じタイミングで手を伸ばし、手が触れ合った。
香坂「……」
春愛「……」
お互い手を引っ込めない。香坂の手は大きくて、温かい。
(胸がどうしようもなくドキドキしてる……)
春愛「香坂……」
香坂「……星野」
(この気持ち、何だろう……香坂といると、すごく安心するのに、同時に胸が苦しくなるんだ)
香坂「俺……お前と話してると、楽しい」
春愛「俺もだよ?」
俺たちは見つめ合う。
(香坂の瞳、綺麗だな。それにこんなに優しく見つめられたら……俺はどうしたらいいの?)
その時、月乃おばあちゃんの声が聞こえた。
月乃「あら、いい雰囲気ね」
俺たちは慌てて手を離す。
月乃「春愛くん、また明日もおいで。蒼真、喜ぶから」
香坂「ば、ばあちゃん……!」
香坂が真っ赤になって抗議する。
春愛「また……来てもいいですか?」
月乃「もちろんよ。この子、あなたが来ると張り切って料理作るの」
香坂「ばあちゃん、余計なこと言うな!」
俺は笑いながら月香堂を後にした。
(今日も楽しかった。それに、香坂ともっと仲良くなれた気がする)
◇
翌日の学校。俺と香坂は、なんだかいつもと違う雰囲気だった。
目が合うと、お互い少し恥ずかしそうに微笑む。でも、みんなの前では普通に振る舞おうとしている。
瑛斗「春愛、今日なんか機嫌いいな」
春愛「そ、そうかな?」
瑛斗「香坂とも仲良さそうだし。よかったじゃん。話してるとこ全然見ないのに、なんでそんなに仲良いのか不思議だけど」
(バレてる?でも、瑛斗は深く詮索しない。月香堂での密会は、二人だけの秘密で言えないから助かる)
昼休み。俺は香坂の席の近くを通りかかった。
香坂「……」
香坂が俺を見上げて、小さく頷く。
(目で会話してる……なんか、秘密の関係みたいで楽しい)
放課後、俺と香坂は偶然一緒に校門を出た。
春愛「お疲れ様」
香坂「……お疲れ」
なんだか気恥ずかしい。
春愛「今日も……月香堂行ってもいい?」
香坂「うん。待ってるから」
香坂がそう言って、少し照れたように頬を染めた。
(可愛い……こんなにカッコいいのにいつも恥ずかしそうで……)
俺たちは並んで歩くことはない。一緒だと、周りに怪しまれそうで。俺は3メートルくらい離れて香坂の後ろを歩く。
(秘密の恋みたい……って、恋?)
俺の頬が熱くなった。
◇
月香堂に着くと、香坂はもう店の奥で何かの準備をしていた。
春愛「こんにちは」
月乃「いらっしゃい、春愛くん。蒼真、春愛くんが来たわよ」
香坂「座ってて」
香坂が振り返って、俺を見て小さく微笑んだ。
(その笑顔、俺だけに向けられてるの贅沢すぎる……)
月乃「今日は二人で作業してみる?蒼真に教えてもらいなさい」
春愛「え?」
香坂「嫌じゃなければ」
春愛「やってみたい!」
香坂が俺を店の奥の作業スペースに案内してくれた。そこには古い薬草学の本と、たくさんのスパイスが並んでいる。
香坂「これ、キャトル・エピスの調合だ」
春愛「キャトル・エピス?」
香坂「フランスの4つのスパイス。ペッパー、クローブ、ナツメグ、ジンジャー」
香坂が乳鉢を手に持ち、丁寧にスパイスを量り取る。
春愛「すごい……プロみたい」
香坂「……大したことない。これ、配合によってちょっと味が変わって面白いんだ。パンデピス、カレー、ハンバーグにも使えるし。星野もやってみるか?」
香坂が俺の隣に座る。狭い空間に2人きり。本当に近すぎる。
(香坂の匂いがする……スパイスみたいに甘い香り)
春愛「へぇ~奥が深いんだな。えっと、どうすれば……」
俺が乳鉢を持とうとした時、香坂の手が俺の手に重なった。
香坂「こうやって、ゆっくり回してすり潰すんだ」
香坂が俺の手を包むように、一緒に乳鉢を回してくれる。
(手が温かい……心臓がバクバク煩い……これなんかヤバい、変な気分になる……)
春愛「こ、こんな感じ?」
香坂「……うん。上手」
(香坂の顔が近い。すごく近い。それにしても、香坂の瞳、綺麗だな……)
俺が見とれていると、香坂も俺を見つめ返していた。
香坂「……星野」
春愛「な、なに?」
香坂の顔がもっと近づく。
(まさか……これって……)
その時、俺の手が滑って、乳鉢が傾いた。
春愛「あ!」
中に入っていたスパイスが宙に舞い上がる。
香坂が咄嗟に乳鉢を支えようとして、俺も同じように手を伸ばした。
そして……
俺たちの唇が、触れ合った。
(時間が止まったみたいだ)
香坂の瞳が、すぐそばにある。驚いたような、でもどこか優しい瞳。
周りで、4つのスパイスの粉が、まるでスローモーションみたいにひらひらと舞い散っている。甘くてスパイシーな香りが、俺たちを包み込んだ。
香坂「……ん」
(香坂の唇……柔らかいし、温かい……)
俺の心臓がドクドクと壊れそうに響き、香坂の頬が真っ赤に染まる。
(俺もきっと同じ顔をしてるんだろうな……)
数秒間、俺たちはそのまま唇が触れ合ったまま、離れなかった。
春愛「あっ」
我に返った俺は、慌てて身を離す。
春愛「ご、ごめん!俺が乳鉢を落としそうになったから……」
香坂は呆然としたまま、俺を見つめている。
香坂「……」
(何か言ってよ、香坂……)
香坂は固まって、何も言えないでいる。
(気まずすぎる……でも、なんで胸がこんなに苦しいんだ?)
春愛「あの……その……」
(なんて言えばいいんだ?)
香坂「……星野」
やっと香坂が口を開いた。
香坂「……ごめん、嫌な思いさせて……」
香坂の声が震えている。
春愛「え?」
香坂「……キス」
香坂がそう言った瞬間、俺の顔が爆発しそうに熱くなった。
春愛「い、嫌じゃない……」
俺は正直に答えた。
春愛「むしろ……」
(むしろドキドキした、って言えない)
香坂「むしろ?」
(香坂が俺を見つめている。その瞳が、なんだか期待しているみたいだ)
春愛「む、むしろ……えっと……」
俺がしどろもどろになっていると、月乃おばあちゃんの声が聞こえた。
月乃「あら、何か音がしたけど大丈夫?」
俺は慌てて立ち上がる。
春愛「だ、大丈夫です!ちょっと乳鉢を……」
月乃「あら、スパイスが散らばってる。お掃除しましょうね」
月乃おばあちゃんが入ってきて、俺たちの間の空気が変わった。
春愛「あ、あの、俺、今日はもう帰ります!」
俺は逃げるように月香堂から飛び出す。
外に出ても、心臓の爆音が止まらない。
(うわあぁぁ……キス、しちゃったよ……)
香坂の唇の感触が、まだ残ってる。
(柔らかくて、温かくて……)
俺の全身が熱を帯びて燃えそうだ。
香坂のあの顔……驚いてたけど、嫌がってるようには見えなかった。
(すぐ押しのけなかった……俺もだけど……香坂なに考えてんだろう……)
家に帰る途中、俺はずっと考え続ける。
香坂蒼真。
調理実習で一緒にスパイスカレーを作った時から、なんとなく気になり始めて、文化祭で薬膳カレーとパンデピス作ってる姿を見て、もっと興味を持った。
それに、たくさんの料理を俺に食べさせてくれて、心を満たしてくれる人。そして、俺のことを心配してくれる優しい人。
今日、俺は確信する。
(俺は香坂のことが好きなのかもしれない、友達以上なのは間違いない)
あのキスは事故だったけど……でも、嫌じゃなかった。
(むしろ、もう一度……だめだめ!何考えてるんだ俺!)
頭を振って、変な考えを追い払う。
でも、香坂の顔が頭から離れない。あの驚いたような、でも嫌がってないような表情。
(香坂のこと、頭から離れない……!もう無理――)
俺はどうすればいいんだろう。明日、学校で顔を合わせたら、きっと気まずいよな。
でも……会いたいんだ。
香坂に会って、あの続きを聞きたい。
(この気持ち、伝えたいのかな?)
俺は枕に顔を埋めた。
(香坂の顔が浮かんで、眠れそうにない)
◇
翌日の学校。俺は香坂の顔をまともに見れなかった。
目が合いそうになると、すぐに視線を逸らしてしまう。香坂も同じみたいで、なんだかお互い気まずい。
瑛斗「春愛、今日なんか変じゃね?」
春愛「そ、そんなことないけど」
瑛斗「顔赤いし、落ち着きないし……熱でもあんのか?まさか、香坂と何かあった?」
春愛「な、ないない!何もない!」
(バレバレだ……大事件すぎて、平静を装うなんて俺には無理だ!)
昼休み。俺は一人でコンビニのサンドイッチを食べようと、教室を出た。1人になれる所を探そうと歩いていると、誰かが俺の腕を掴んだ。
香坂「待って」
香坂の声が、いつもより低い。
春愛「え……」
俺は大人しく立ち止まった。香坂の手が、俺の腕を優しく掴んでいる。
香坂が俺を人気のない廊下の角に連れて行く。
香坂「……これ」
香坂が小さな紙袋を俺に差し出した。中を見ると、手作りのおにぎりが入っている。
春愛「これは……」
香坂「……昨日の、お詫び」
春愛「お詫びって……」
(あのキスのこと?)
香坂「……嫌な思いさせて、迷惑かけて……ごめんな」
香坂がそう言うと、なぜか胸がキュンと締め付けられた。
(迷惑じゃない。全然迷惑じゃないのに)
春愛「嫌な思いしてないし、迷惑じゃないよ、ただ恥ずかしいだけで……」
俺がそう言うと、香坂が顔を上げる。
香坂「本当か?」
春愛「うん。むしろ……」
(むしろ嬉しかった、なんて言えない)
香坂「むしろ?」
春愛「む、むしろありがとう!おにぎり!」
俺は慌てておにぎりを取り出す。
(やばい、変な答えになった)
でも香坂が少し微笑んだような気がした。
香坂「……今日も、来れるか?」
春愛「え?」
香坂「月香堂に。昨日の続き、やろう」
(昨日の続きって……キスの続き?)
春愛「だ、大丈夫なの?気まずくない?」
香坂「うん。キャトル・エピス、完成しなかったから……」
香坂がそう言って、俺を真っ直ぐ見つめる。
(あっ、キャトル・エピスか!焦った……キスの続き、なわけないよな)
春愛「そうだな!完成させたいよ、キャトル・エピス!ちゃんと行くから」
俺がそう答えると、香坂の表情が明るくなった。
香坂「じゃあ、待ってるから」
◇
その日の放課後、俺は再び月香堂に向かった。
(気まずくない、気まずくない、きっと大丈夫)
月香堂に着くと、香坂がもう準備をして待っていてくれるのが見えた。
春愛「来たよ」
香坂「……うん。入って」
俺たちは一緒に薬膳カレーの試食を始める。昨日のような気まずさはなく、自然に会話ができた。
香坂「……昨日のこと、悪かったな」
春愛「ううん、俺のせいじゃん、嫌な思いさせてごめんな」
香坂「違う、俺は、嫌じゃなかったから」
香坂がそう言った瞬間、俺の心臓が跳ね上がる。
春愛「え?」
香坂の頬が赤くなる。
春愛「俺も……嫌じゃなかったから」
俺がそう答えると、香坂は目を丸くした。
香坂「……そうなんだ」
春愛「うん」
俺たちは見つめ合う。
(この気持ち、何だろう……友達以上の何かだけど、男同士でこれはいいのかな……)
香坂「キャトル・エピス作ろうか」
春愛「うん。作ろう」
俺たちは、昨日の続きでキャトル・エピスを調合し始める。
たまに触れてしまう手にドキドキするけど、なんとか持ちこたえて無事に完成した。
料理に色々使えるみたいだから、市販の料理に振りかけたり、試してみよう。
(香坂と過ごす時間が、どんどん特別になっている)
今日は、それ以上に香坂との時間が大切に感じられた。
(この気持ち、いつか言葉にできるかな。今は、本当の気持ちを認めるのが怖いんだ)



