『今日、楽しかった?』
私の日記は、この質問に対する返答だけを書いている。
『8月2日
全然楽しくなかった。数学の小テストの点数悪くて補習になった』
『8月3日
まぁまぁって感じ。良いこともなかったし、悪いこともなかった』
『8月4日
楽しかった!
推しのドームライブ開催が決定した!』
さて、じゃあ今日は?
『楽しかったかな。美味しいパフェ食べれたし! しかも私の好きなメロン入っていた!』
私は一週間分の日記がたまると、その日記を書いた紙を三年前に亡くなった母の写真の前に置いた。
『今日、楽しかった?』は母の口癖だった。
母が亡くなる前に一度だけ聞いたことがある。
「ねぇ、お母さん。なんでそんなこと聞くの? 毎回答えるの面倒くさいんだけれど」
私はまさに反抗期真っ最中の言い方をした。
「あら、菜月。だって毎日は楽しい方が良いでしょう? もし常に『今日』を楽しめたら、それは自然に『毎日』を楽しんでいることになるわ」
「そんなの無理に決まってるじゃん。楽しくない日の方が多いくらいだって」
「菜月。じゃあお母さんに『今日は楽しくなかった』って言ってみて頂戴」
「はぁ? なんで?」
「いいから」
反抗期のくせにお母さんに完全に逆らうことが出来ないなんて、私の反抗期も案外大したことなかったのかもしれない。
「今日、楽しくなかったけど?」
「じゃあ、明日を楽しまないとね」
お母さんが優しく笑う。
「もし『今日楽しくなかった』って言ったら、お母さんが『明日楽しまないとね』って言ってあげる。もし『今日はまぁまぁ楽しかった』って言ったら、お母さんが『まぁまぁ楽しかったなら十分ね』って言ってあげる。もし『今日楽しかった』って言ったら、お母さんが『最高ね!どんな楽しいことがあったの?』って言ってあげる」
今になって思うと、お母さんってすごい人だったのだと思う。
「お母さんが菜月の今日を受け入れてあげるから、存分に毎日を楽しみなさい」
お母さんが居なくなっても、その言葉を忘れることなんて出来なかった。
私がお母さんの写真の前に座る。
「心配しなくても、私はお母さんの子供だからちゃんと人生満喫してるからね! お母さんのポジティブさが遺伝しているから!」
そして、いつもお母さんに話しかける最後の言葉は決まっている。
「安心して。毎日を楽しむ気満々だから!!!」
さて、今日は何をしようかな?
fin.
私の日記は、この質問に対する返答だけを書いている。
『8月2日
全然楽しくなかった。数学の小テストの点数悪くて補習になった』
『8月3日
まぁまぁって感じ。良いこともなかったし、悪いこともなかった』
『8月4日
楽しかった!
推しのドームライブ開催が決定した!』
さて、じゃあ今日は?
『楽しかったかな。美味しいパフェ食べれたし! しかも私の好きなメロン入っていた!』
私は一週間分の日記がたまると、その日記を書いた紙を三年前に亡くなった母の写真の前に置いた。
『今日、楽しかった?』は母の口癖だった。
母が亡くなる前に一度だけ聞いたことがある。
「ねぇ、お母さん。なんでそんなこと聞くの? 毎回答えるの面倒くさいんだけれど」
私はまさに反抗期真っ最中の言い方をした。
「あら、菜月。だって毎日は楽しい方が良いでしょう? もし常に『今日』を楽しめたら、それは自然に『毎日』を楽しんでいることになるわ」
「そんなの無理に決まってるじゃん。楽しくない日の方が多いくらいだって」
「菜月。じゃあお母さんに『今日は楽しくなかった』って言ってみて頂戴」
「はぁ? なんで?」
「いいから」
反抗期のくせにお母さんに完全に逆らうことが出来ないなんて、私の反抗期も案外大したことなかったのかもしれない。
「今日、楽しくなかったけど?」
「じゃあ、明日を楽しまないとね」
お母さんが優しく笑う。
「もし『今日楽しくなかった』って言ったら、お母さんが『明日楽しまないとね』って言ってあげる。もし『今日はまぁまぁ楽しかった』って言ったら、お母さんが『まぁまぁ楽しかったなら十分ね』って言ってあげる。もし『今日楽しかった』って言ったら、お母さんが『最高ね!どんな楽しいことがあったの?』って言ってあげる」
今になって思うと、お母さんってすごい人だったのだと思う。
「お母さんが菜月の今日を受け入れてあげるから、存分に毎日を楽しみなさい」
お母さんが居なくなっても、その言葉を忘れることなんて出来なかった。
私がお母さんの写真の前に座る。
「心配しなくても、私はお母さんの子供だからちゃんと人生満喫してるからね! お母さんのポジティブさが遺伝しているから!」
そして、いつもお母さんに話しかける最後の言葉は決まっている。
「安心して。毎日を楽しむ気満々だから!!!」
さて、今日は何をしようかな?
fin.



