――二時間目の美術の授業が終わり、教室に向かう集団の波に乗ったまま部屋を出た。
 緊張がほどけた声に包まれていると、賢ちゃんが後ろから僕の肩に腕を回す。
 
 賢ちゃんは、いつも突然腕を回してくるから、その度にびっくりする。
 でも、僕はその気配にどこかホッとする。

「さっき、おまえに聞きそびれちゃったんだけどさ」
「ん、なに?」
「おまえら、どこで花火を見てたの?」

 一旦気持ちが落ち着いていたものの、再びざわついた。
 
「……どっ、どうして、またその話?」
「実はさ、ちょっと探してたんだよね。みんなで花火見たかったから」
「えっ!」

 一瞬、彼女の唇が頬に触れた感触が蘇り、息が詰まった。
 
「せっかく四人で花火に行ったからね。それに、朝からおまえの様子が変だし」

 話題に上がらなかったということは、多分平気だっただろう。
 胸を撫で下ろす。
 
「えっ、どんなところが変なの?」
「美心と話す度に、緊張しているような気がするんだけど」
「そっ、そんなこと……ない。いつも、通り」

 目を泳がせると、賢ちゃんの腕の力が加わった。
 
「だ〜か〜ら〜! その態度だって言ってんの」

 たしかに、自分はおかしいかもしれない。
 美心を見る度に体に変化が起こるから――でも、理由がわからない。
 
「自分でもよくわからないんだ。というか、美心と一緒にいると、この辺がソワソワしてるというか」

 そっと胸元に手を当て、軽くまぶたを伏せた。
 賢ちゃんが、僕の手をじっと見つめる。

「心臓?」
「うん。最近、変なんだよね」

 僕は軽くため息をつく。

「美心が笑っていると、嬉しいというか、もっと見ていたいというか」

 最近、美心の笑顔に気分がバウンドしていた。
 眉をひそめていると、賢ちゃんは軽く笑う。
 
「……俺、その原因知ってるよ」

 賢ちゃんの音色が変わったので、僕は少し不安になった。
 
「えっ、なに?」
「本当にわかんないの?」

 賢ちゃんの眼差しが温かいものに変わったけど、その答えが見いだせない。
 
「うん。いままで感じたこと、ないから」

 ……だから、戸惑う。
 嬉しくて、切なくて、美心の表情一つに気持ちが左右されるばかり。
 賢ちゃんはふっとため息をつくと、小さく微笑んだ。
  
「恋だよ」

 ごくりと息を呑み。賢ちゃんの顔を見返す。
  
「……恋?」

 自分でも気づかぬ間に、目に小さな光が灯る。
 
「青空は、美心が好きなのかもしれねぇな」

 固く閉ざしていた扉が開かれたような気がした。
 でも同時に、小さな不安がよぎる。
 少し、怖くなったから。
 
「……違うよ。最近アクシデントが多かったせい、だと思う」
 
 首を小さく振る。
 認めない。これが、恋だなんて。
 たとえ、美心に感謝していても。

「本当にそうかなぁ。おまえが美心を変えていくうちに、影響があったんじゃない?」
「そんなことない。美心は元々明るかったし、僕は手を添えただけ」

 思い出す。
 あの事件の前の、美心の笑顔を。
 
「そんなに否定すんなって。少しは素直になれば?」
 
 賢ちゃんは、僕の肩をポンポンと叩くと、前方を歩いているクラスメイトの輪の中に入った。
 がやつく廊下に、僕は気持ちに整理がつかないまま、彼の背中をただ見つめていた。

 ……賢ちゃん、違うよ。これは、恋じゃない。
 僕には、変化を見守る資格しかない。

 これから賢ちゃんたちに任せる。
 見守るだけ――そう決めたんだ。 
 けれど、何かを期待している自分に戸惑っている。
 
 深い溜息をつき、胸元に手を当てた。