――花火大会から二日後の月曜日の朝。
ざわついている教室に向かうと、前方扉で美心とばったり顔を合わせた。
二日前のキス……いや、ちょっとした事故から、頭の中はそれで埋め尽くされていた。
美心と顔を合わせたらどんな話をしようなんて、考えていたところ。
「おは、おはよう」
「あああ……。うん、おはよう。きょ、今日もいい天気、だね」
彼女は目を泳がせたまま、ロボットのような声で答えた。
もしかして、意識せずにはいられないのかな。
自然と目線が彼女の唇へ向く。
あの柔らかい感触を思い出すと、心臓がドキンと跳ねた。
「うん。わっ、私も同じことを、思ってたの」
「あっ、あれから、ちゃんと帰れ……た?」
一刻も早く話題を逸らさなければ、僕の顔面は火の海に包まれていただろう。
「も、もちろん……。あのっ、もう、席に行くね」
「あ、うん」
右手と右足が同じ動きになったまま、席へと向かった。
カバンを机の脇にかけた。
うつぶせ寝をする。
笑い声や、イスを引く音などに包まれる中、遠くから佐知ちゃんの声が耳に届いた。
「ねぇ、美心。青空くんと何かあったの?」
「へっ?!」
ピンポイントな質問に、再び僕の心臓が暴れ始めた。
「なんか、二人の様子が変だし」
「なっ、なんにもないって」
美心の動揺した声が、耳の奥を突いた。
「あの日、『青空くんに会えたよ』ってLINEが送られてきてから、トークが途絶えたし、いまはお互いギスギスしてるし」
「あ、あの時は、花火始まっちゃったし、時間が中途半端だったから、あれからかち合うのはちょっと大変かな……と」
「でも、連絡待ってたのに、どうして……」
「ごめん。もっ、もう席に戻るね!」
「ちょっと、美心〜! なんか、怪しいんだけど」
二人の会話は、そこで途切れた。
美心は逃げてしまった可能性がある。
すると、「おいおいおい!」と、賢ちゃんの声が降り注ぎ、肩を叩かれた。
見上げると、賢ちゃんは前の席にドスンと腰を落として、椅子の背もたれに両腕を置く。
「あれから、どうしたの? 美心と、ラブ、な感じ?」
冗談だとわかっていても、笑えない。
あの事故は、間違いなく僕の心を刺激していたから。
僕は再びふて寝した。
「二人で花火見ただけだよっ」
「ん、怒ってんの?」
「そう聞こえたなら、ごめん」
僕はゆっくりと起きる。
すると、後ろの席の佐知ちゃんが「お二人さん、おはよ」と声をかけてイスを引く音が聞こえたので、振り返った。
「うっす!」
「おはよう」
「おとといは、楽しかったね。青空くんたちと一緒に花火を見れなかったのは、残念だったけど」
「うん、誘ってくれてありがとう」
佐知ちゃんは、カバンを机の横にかけ、ニコリと微笑んだ。
「青空くん……。本当にありがとね」
「なにが?」
「美心と仲直りできたのは、青空くんのおかげ。アドバイスをもらえなかったら、あたしは変われなかったから」
彼女は小さくため息をつき、遠い目をした。
空白だった美心との五年間を、振り返っているかのように。
「じゃあ、これから美心のことをよろしくね」
僕は決心した。
美心の笑顔を輝かせ続ける役割を、彼女に託すことを。
これが僕の本当の目的だったから。
すると、彼女はぽかんと口を開けた。
「……なによ、突然」
「おまえ、美心の父親かよ」
二人は不思議そうな顔で僕を見てきたので、僕はサッと目線を落とした。
「そ、そんなんじゃない。美心とは、とっ、友達だし! それ以上とか、考えるのはどうかな、なんて」
なに言ってんだろ。
いや、どうしてこんなに意識してるのかな。
赤面したまま俯いた。
「やっぱり、美心と何かあったんじゃね?」
すかさず賢ちゃんを見上げると、ニヤニヤしていた。
「えっ! なんも、ないし……」
「ついこの前までは、『美心の笑顔を増やしてあげたい』とか、言ってたくせに、急に友達以上とか言うのはおかしくない?」
「へっ?!」
「二人になんかあったんじゃないのぉ〜? ね、賢ちゃん?」
佐知ちゃんまでからかい始めたので、僕は席を立った。
二人の目が、僕に吸い付く。
「いっ、印刷室にチラシの原本置いてきちゃったから、取りに行ってくるね」
ごまかすため、口から適当な理由が転げ落ちた。
場を離れると、賢ちゃんと佐知ちゃんはクスクス笑う。
なんとなく美心の方に目を向けると、ふいに目が合った。
美心は体をビクッとさせ、目線を逸らす。
その頬が赤く染まっていた。
僕の胸の奥がトクトクと高鳴った。
口元に手を当てたまま、僕は教室を出ていった。
――僕が心配することは、ほとんどない。
佐知ちゃんや、賢ちゃんが美心を支えてくれるから。
もし、これから心配ごとがあるとするなら、多分自分の問題。
これからの時間で、誰にも知られず、傷ついたとしても向き合っていかなければならない。
それが、僕のこれからの課題だから。



