――佐知が花火大会へ行こうと誘ってくれた、二日後。
 私、佐知、青空くん、賢ちゃんの四人で、花火大会の会場へやってきた。

 空はまだ薄暗い程度。
 場所は、ボーリング場の向かいの川。

 佐知は、花火大会の話をしている時にみんなと仲良くなった。
 それを隣で見ていたら、自分だけが高いハードルを乗り越えてたみたいに感じ、ちょっと損した気分に。 
 薄暗い空の下、約束の場所にみんなの顔が揃うと、私たちは見慣れない浴衣姿を見て、よそよそしく話し始めた。
 
「いつも制服姿だから、みんな見慣れないね」
「馬子にも衣装ってやつだよな?」

 賢ちゃんは、私の紺色に金魚柄の浴衣を見て、そう言った。
 
「賢ちゃん、ひどぉい!」
「照れ隠しだよ。て・れ・か・く・し!」

 佐知が賢ちゃんと仲良く話しているのが、なんか不思議。
 でも、賢ちゃんって本当に人見知りしないな。
 微笑ましい目で見ていると、青空くんが間に入った。

「まだ時間あるから、何か食べるものでも探しに行く?」
「そうしようか」
「でも、露店めっちゃ込んでるぜ?」

 賢ちゃんは、露店が立ち並んでいる人混みを見て、小さくため息をつく。
 たしかに、花火開始前ということもあって、混雑は避けられない。
 
「万が一、はぐれちゃったらどうするの?」
「グループLINEで連絡する?」
「待って、青空くんはスマホ持ってないから、特に注意しないとね」
「了解!」

 私たちは、露店に足を運んだ。
 狭い通路に店が密集しているから、歩くだけでも人にぶつかる。

「あたし、バナナチョコ食べたぁい!」
「初っ端からそれかよ。甘いものは食後にしようぜ。それより、あっちのフランクフルトにしない?」
「見て〜! 焼きそば店もそこにあるよ?」

 相談しながら歩いていると、向かいから人混みをすり抜けてきた五〜六歳くらいの男の子がぶつかってきた。
 と同時に、オレンジジュースが私の浴衣の裾にかかる。
 後ろから現れた母親が気づき、あわてて私の前にしゃがんだ。

「うちの子がごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です……」
「いまタオルで拭きますから。後でクリーニング代をお出ししますので」
「い、いえっ! そこまで高価な浴衣ではないので、気にしないで下さい」

 子どもの母親に浴衣を軽く拭いてもらった。
 お互い頭を下げてその場から離れると、青空くんたちの姿が見えない。
 
 もしかして、迷子……に?
 すかさずグループLINEを送るが、反応はない。
 電話をかけるが、繋がらない。

 
 同じ通路上にいると思って、人混みをかき分けながら探していく。
 何度も人波に押されて、浴衣の裾が踏まれそうに。
 
 賢ちゃん! と思って肩を叩いた。――でも、人違い。
「ごめんなさい」と謝り、すかさずその場を離れる。

「どうしよ。もうすぐで、花火が始まりそうなのに……」

 シュンと俯いた。
 せっかくの花火大会なのに……。
 連絡、待ってみよう。

 
 スマホを片手に、人混みから外れて、空を見上げた。
 開始時刻が迫り、辺りは暗闇に包まれている。

「……みんなと一緒に花火、見たかったなぁ」

 小さな声で呟いていると、後ろから肩をポンポンと叩かれた。
 期待を込めて振り返ると、そこには見たことのない二十代くらいの男性二人組の姿が。
 一人は金髪。もう一人はナチュラルなマッシュ系の髪型の人。

「ねぇねぇ。おねーさん、いま一人?」

 ――ナンパ、だ。
 胸がドキッと鳴り、サッと目を逸らした。

「友達、いるんで……」

 足を人混みの方へ向けた。
 けれど、彼らは追いかけてくる。

「友達が来るまでの間だけ、一杯付き合ってよ」
「すみません、失礼します」
 
 浴衣姿で動きにくいせいか、走って逃げられない。

 後ろを見ながら早足で歩いていると、下駄が小石を踏み、転んでしまう。
 振り返ると、金髪の男性が手を差し出している。

「平気?」
「そんなに焦んなくても、ちょっと話すだけだからさ」

 二人がケラケラと笑う。
 両手をついて立ち上がり、下駄を脱いで、走った。 
 男性たちの声が背中に届くが、私は砂利を踏みしめ、息を切らし、茂みに身を隠した。

 
 心臓がバクバクしている。
 迷子に加え、浴衣のシミ。
 傷だらけの足。
 
 今日までのことを振り返ってみると、佐知とケンカをした五年間と同じようだった。

 一人暗闇に残され、彷徨うばかり。
 どこか諦めていた。

 勇気がなくて、怖くて、自分を守ることに精一杯で。
 棘を出し続けていたら、目の前から誰もいなくなった。

 いまも同じ。
 私は自分のことしか見ていないから、いつしか置いてけぼりになっていた。
 
  
 ため息をつき、まぶたを軽く伏せたまま川の方を見つめていると、後ろから誰かが私の肩に両手を置いた。
 まさか、あの男たち……と思って、顔面蒼白のまま振り返ると、そこには青空くんの姿があった。

「はぁっ……、はぁっ……。ごめんね、見つけるのが、遅くなって」

 息を切らし、首を傾け、優しく微笑む。
 額には汗。

 力強く掴む手が、もう迷子にさせないと言っているかのよう。
 私は感情的になって、鼻頭が赤く染まった。
 
「大丈夫? 体、震えてるみたいだけど」
「……大丈夫だよ」

 それ以上の言葉が、出てこない。
 青空くんの瞳をじっと見つめると、青空くんは歪んだ口元をおさえて、後ろを向いた。
 
「……心配したよ。めっちゃくちゃ」

 少し震えてるような、青空くんの声。
 私の胸がチクンと傷む。

 青空くんは、私の救世主。
 迷子になった今日も、孤独だったあの日も……。

 その温かい手に、随分甘えてきた。
 傷だらけの足の指先を丸めたまま、俯いた。

「迷惑かけてごめんなさい……」
「早くみんなに連絡してあげないとね」

 焦ってスマホを取り出すと、メッセージがいっぱい送られていることに気づいた。
 それを見て、自分のことで精一杯だったと、反省する。

「すれ違ってたんだ……。こんなに心配してくれていたのに」
「会場がこれだけ混んでいるから、メッセージに気づけなかったって」

 グループLINEを返信してると、一発目の花火が上がった。
 ドオォォォンと心臓まで響く打ち上げ音が、遅れてついてきた。
 
「花火、キレイ……」

 見惚れていると、青空くんはその隣で光を浴びている。
 その横顔があまりにも美しくて、目が釘付けになった。
 花火の音は、私の心音と重なり、胸の中に小さな光を灯している。

「美心、手っ!」

 青空くんは驚いた目で私を見た。
 気づくと、無意識に青空くんの手を握っている。
 私ったら、どうしてこんなことを。

「ごっ、ごめんなさい! 私、何してるんだろ……」

 震えた手を引っ込めようとするが、青空くんはギュッと握りしめてきた。

「いいよ、離さなくて」

 花火の音と共に胸がドキンと弾み、青空くんの方へ見上げた。
 
「だって、怖かったんでしょ」

 気付いた時には、その優しさに甘えていた。
 自分でも、どうして青空くんの手を握ったかわからない。
 
「美心の気持ちが落ち着くまで、こうしていようか」

 ホッと息を漏らし、頬が緩んだ。
 胸がじんわり温かくなっていく。
 
 空に大輪の花を咲かせる、打ち上げ花火。
 手と手を繋ぎ、二人で見上げた。
 美しい光と空を裂くほど力強い音のシンフォニーに見惚れていると、いつしか辛い出来事が消えていた。

 時たま、青空くんの指先に力が加わり、少しむず痒い気持ちに。
 
「こんなに力強い音が、全身に響き渡るんだね」

 青空くんは目を輝かせながら、花火を見ている。
 
「すごい衝撃音だよね。来年もまた、見れるかな」
「……うん。また、来年も一緒に花火を見よう」
 
 いつもこの優しさに救われていた。
 青空くんがいてくれるだけで、前向きになれる。

 小さな不安や、大きな悩みを抱えていても、すぐに気づいてくれる人。――自慢の友達。
 だから、伝えるなら今だと思った。
 
「青空くん、いつもありがとう」

 気持ちを素直に伝えた瞬間、ドォォンと花火の音が鳴った。
 すると、青空くんはきょとんとした目を向けてきた。

「いまなんて?」

 聞こえていなかったのかな?
 
 うんと頷いた後、彼の瞳を見つめたままもう一度伝えた。
 口元に手を添えながら彼の耳に近づくと、彼は頭を傾けてきた。
 ちゃんと聞こえるように、一歩足を前に進めた。――が、下駄が小石につまずき、青空くんの頬に唇がそっと触れた。
 
「!!」
「ごっ、ごめん! ……キ……キス、するつもりじゃっ!」

 すかさず青空くんから離れた。
 そろりと横目で見ると、青空くんは口元を押さえたまま、赤面していた。
 
「あっ、いや……あの……。ケ、ケガしなかった?」

 青空くんは何事もなかったかのように振る舞おうとしているが、顔に本音が染み込んでいる。
 いっそのこと、冗談で返してくれた方が、助かったのに。
 
「こ、転んじゃったの……。そう、さっきのは事故だった……。はははは」
 
 暴れた心臓が口から飛び出しそうになっている。
 青空くんをちらりと見ると、照れくささを我慢しているかのように、口元を固く結んでいた。

 でも、唇に残された感触が、何度もあの瞬間を蘇らせ、胸に優しい鼓動を打っていた。