15分前に現場に着いた。
 松山さんは既にスタンバイしていた。この工事で一緒に交通誘導警備をしている仲間だ。愛媛県宇和島市出身の彼は、「宇和島出身の松山です」というのが自己紹介の決まり文句だった。
 これが間違いなく受けると思っているようだった。しかし、反応する人はいなかった。ほとんどの人は宇和島市のことを知らないのだ。そもそも宇和島市どころか、松山市も愛媛県も知っている人は多くない。それ以前に、四国4県の名称と位置を正確に言える人さえほとんどいない。だから愛媛とは縁もゆかりもない浜松市でこんな自己紹介をしても相手にされるわけがないのだ。それでも、松山さんは初対面の人が現れると懲りずに言い続けている。「宇和島出身の松山です」と。

 今日の打ち合わせは5分で終わった。持ち場に行こうとしていた松山さんが立ち止まって振り返り、「ビーちゃん、休憩の時、声かけてな」と言って手を上げた。わたしはつられるように手を上げたあと、小さく頷いた。

 ビーちゃんか……、

 彼が付けたわたしのあだ名に苦笑した。「イマジン、レノン、とくればビートルズだよな」と言って、勝手にビーちゃんと呼び始めたのだ。

 まあいいけど……、

 その日は交通量が少なく、どちらかというと手持ち無沙汰だった。途中であくびが出そうになって何度も堪えたほどだ。その分、時間の経つのが遅かった。だから、なかなか休憩時間にならなかった。何度も時計を確認した。

        *

 やっと2時間が経った。15分の休憩が取れる。立ちっぱなしの仕事なので早く座りたい、と思う間もなく交代の人が来た。松山さんに声をかけて近くのコンビニへ行き、イートインスペースに腰かけた。
 わたしはシュークリームを食べ、松山さんは砂糖とミルクたっぷりのホットコーヒーを飲んだ。

「夜中のホットコーヒーは最高だな~」

 松山さんはカップを両手で持って幸せそうに呟いた。

「オシッコ大丈夫ですか?」

 他人事ながらちょっと心配した。

「膀胱でかいから大丈夫」

 下腹部に手を置いて、かっかと笑った。

「それより、最近、体が重くてさ~」

 彼は意味深な表情を浮かべた。

「えっ、調子悪いんですか?」

 心配になって顔を覗くと、「悪い、悪い、メチャクチャ悪い」と言って股間を指差した。

 ん? 

 首をかしげていると、「溜まりまくって爆発しそうで気が狂いそうでさ」と真剣な表情で訴えた。新型コロナのせいで風俗が全部店を閉じているから、()け口がまったくなくて困っているのだという。

「可哀そうな息子よ」

 股間に手を当てて慰めるように撫でた。

「もう~」

 わたしは彼の肩を軽く押した。

「本気で心配したのに。いい加減にしてくださいよ」

 今度は肘で軽く突いた。

 すると、「お~痛っ!」と大げさなアクションで脇腹を擦り、わたしの顔を覗き込んだ。

「ビーちゃんは、こっちはいるのか?」

 右手の小指を立てて、目配せした。
 わたしは頭を振った。

「じゃあ、俺と一緒だな。苦労してんだろ」

 わたしの股間を触ろうとしたので、慌てて手で隠した。

「松山さんほどスケベじゃないから苦労してません」

 すると、〈嘘つけ〉というふうに今度は松山さんがわたしの脇腹を肘で突いた。

「お~痛っ!」

 松山さんの真似をして大げさに脇腹を擦ると、彼はまたかっか(・・・)と笑ったが、わたしはわざと時計を見て、彼の下ネタを終わらせた。

「あと5分ですよ。オシッコ大丈夫ですか?」

「おっと、いけねえ」

 彼はチャックを下ろしながら慌ててトイレに立った。