「仕事中は暖房はかけないことにしているの」

 ふ~ん、そうなんだ……、

「どんな仕事?」

 すると彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「当ててみて」

 俺を試すような言い方だった。

「う~ん……」

 まるで見当がつかなかった。それでも降参するわけにはいかない。わからないということは絶対に言いたくない。俺は部屋の中を見回した。でも、特別な仕事道具は見つけられなかった。楽器があれば演奏関係、カンヴァスがあれば美術関係というふうにわかるのだが、それらしきものはなんにもなかった。

 とすると……、

 頭の中で考える仕事かパソコンでする仕事のように思えた。それと、暖房が邪魔になるということは暖かくなったら眠くなるということだから、集中力を要する仕事だろうと考えた。しかし、それだけでは漠然とし過ぎていた。他に何か手掛かりがないかと思ってもう一度見まわしたが、新たな発見は何もなかった。

 う~ん、さっぱりわからない。

 何も思いつかなかったが、諦めるわけにもいかない。降参なんて言いたくないし、白旗を上げるなんてあり得なかった。それで、もしかしたら服装に関係があるのではないかと思って全身に視線を這わせたが、職業と繋がりそうなヒントは見いだせなかった。彼女の全身を包み込んでいる真っ赤なコートは何も教えようとしなかった。

 う~ん、困った。
 お手上げだ。さ~どうする? 
 そろそろ返事をしないとまずいぞ、

 焦りながらも脳の中を高速でパトロールして適当な言葉を探しながらもう一度部屋を見回した。すると、本棚の上にあるノートを見つけた。その瞬間閃いた。それを口に出した。

「漫画家!」

 当たりを確信して彼女を見つめた。

「すご~い!」

 彼女は手を叩こうと両手を広げた。しかし、その両手は合わされることもなく胸の前ですれ違った。

「惜しい。リルビ違った」

 リルビ? 何それ? 

 首を傾げる俺に向かってネイティヴのように聞こえる英語が発せられた。little bitのことだった。

 ふ~ん、そうですか……。
 で、仕事は何?

「イラストレーターよ」

「わー、惜しかったな。リルビ違ったか」

 思わずオウム返しをしてしまった。瞬間、顔が火照ってどこかの穴に入りたくなったが、彼女はなんの反応も示さずノートパソコンを立ち上げた。よく見るとアップルのパソコンだった。

 そうか、デザイナーやイラストレーターが寵愛するパソコンか~、

 さっき気づかなかったことを悔やんだが、そんなことに構うことなく画面をこちらに向けた。

「この人たち知ってる?」

 男性4人のイラストが大写しになっていた。途端、息が詰まった。知っているどころではなかった。俺にとって神様のような存在の4人だった。

「ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボ―ナム」

 言い終わった時、これ以上は無理というほど彼女の目が大きく開いた。

「すご~い!」

 間違えるはずはなかった。俺が最も尊敬するミュージシャンなのだ。どんなにデフォルメされていても即座に言い当てることができる。

「そっか~」

 彼女の視線がギターケースに移り、俺の顔に戻ってきた。

「ギタリストなんだ」

 俺は頷き、ロックバンドでギターを弾いていることを告げた。すると、彼女の目が驚きから期待へと変わった。

「もしかして、ツェッペリンの曲弾ける?」

 俺は「もちろん」と答えてトレイを机に置き、ギターケースを開けた。そして、〈エレキだから小さな音しか出ない〉と断った上で、軽くチューニングをしたあと、アルペジオを弾き始めた。その途端、驚きの声が彼女の口から発せられた。

「あっ、Stairway to Heaven」

 さっきよりもっと大きく目が見開いていた。それでもすぐに笑みが浮かび、いきなり歌い始めた。ツェッペリンの代表曲をネイティヴのような発音で。しかもその歌声は少年少女合唱団のように清らかだった。

 前半部分を弾き終えて手を止めた。ギターをケースに戻すと、彼女の小さな手が拍手を始めた。俺も送り返した。すると、俺の両手を彼女の両手が包み込み、顔が近づいてきた。鼻がくっつくと、彼女の息が俺の唇にかかった。彼女が顔を傾けて、俺の唇に触れた。そのままじっと動かない彼女の上唇を俺は躊躇いがちに吸った。そして下唇も。彼女も俺の唇を吸った。俺は頭の中が痺れてボーっとした状態になった。
 彼女が唇を吸うのを止めたと思ったら、俺の両手から手を離した。そして唇も。一瞬、俺の目を見てから静かに体を預けてきた。受け止めて優しく抱き締めた。艶々とした黒髪に顔を埋めた。心地良い香りがした。癒される香りだった。すると、『フローラル』という言葉が頭に浮かんだ。そして、『運命の人』という言葉も。

「暑くなってきたね」

 顔を上げた彼女がリモコンに手を伸ばした。暖房を切りたいのだとわかった。でも、そうはさせたくなかった。俺が先にリモコンを手にして、設定温度を上げた。そして、自動にした。風量が一気に大きくなった。彼女はキョトンとしていた。俺は彼女のコートのボタンに手をかけ、上から順番に外していった。彼女は驚いた表情を浮かべたが、抗うことはなかった。ボタンをすべて外して両手でコートを開くと、白いセーターが現れた。体のラインが強調されるほどのピッタリとしたセーターだった。俺の目は胸に釘づけになった。今まで見たこともないようなきれいな曲線に目を奪われた。

「ダメ……」

 彼女が立ち上がって背を向けた。俺は後ろからそっと彼女を抱きしめた。そして、首筋に唇を這わせた。彼女は嫌がらなかった。俺は彼女のコートを肩から脱がせて、自分のコートも脱いだ。そしてまた後ろから抱きしめた。すると、その上に彼女の手が重なってきた。俺の手が動かないようにしっかりと握られていた。俺はじっとして、その力が緩むのを待った。辛抱強く待ち続けた。

 彼女が顔を少し上げた。

「何か言って……」

 吐息のような声が漏れたと思ったら、手の力が緩んだ。俺は手を抜いて、彼女の手の上にそっと置いた。

「君のすべてに触れたい」

 俺はカッコいいロックスターに変身していた。彼女が僅かに頷くと、その手が俺の手の下から消えて体から力が抜けた。その瞬間、どこからともなくStairway to Heavenのイントロが聞こえてきた。                      

つづく』