食べ負けた悔しさを抱えながらアパートに戻ったが、レターパックプラスを開けた途端、そんな気分はすべて吹っ飛んだ。酔いも完全に冷めた。それほどの衝撃を受けた。大きくて分厚い封書とCDに続いて、通帳とカードが出てきたのだ。わたしはちゃぶ台の上に一つずつきちんと並べて、正座をして、見つめた。それは松山さんの遺言と遺物のように思えた。

 恐る恐る封書に手を伸ばして封を切ると、手紙が出てきた。かなりの枚数だった。そこにはミミズのような字が這っていた。

『ビーちゃん、俺と一緒に過去行きの電車に乗ってくれてありがとう。俺は現在に戻るつもりがなかったから片道切符で乗り込んだけど、それを知らない君はびっくりしたと思う。驚かせて本当に申し訳ない。反省はしてないけど謝るよ。
 俺はあること(・・・・)があって以来、人生を捨てたような生き方をしてきた。酒と女に逃避して生きてきた。だから、君がレッド・ツェッペリンのライヴに行こうと誘ってくれた時、本当に人生を捨てると決心することができた。現実の世界から存在を消すという決心だ。君から『高松さんみたいに現地に残りたいなんて言わないでくださいよ。もう二度と会えないなんて嫌ですからね。一緒に行って一緒に帰ってくるって約束してくれたらお供します』と言われた時は、心の内を見透かされたようでドキッとしたし、指切りげんまんをさせられた時は本当に申し訳ないと思ったけど、でも、このまま人生を捨てたような生き方を続けるわけにはいかなかったから、君に嘘をついてでも過去へとどまる決心をしたんだ。わかってくれとは言わないけど、受け入れてもらえれば嬉しい。

 あること(・・・・)について説明する。実は俺には結婚を誓い合った女がいた。もう20年以上前のことだ。最高の女と巡り会って一緒に暮らしていた。俺にはもったいないほどのいい女だった。ショートヘアの似合う卵型の顔とぽっちゃりとした体形で、豊かな胸と形のいい尻が最高に魅力的だった。もちろん、外見に惚れただけじゃない。とても優しい心を持った女で、俺のことをいつも一番に考えてくれたことが決め手だった。これ以上の女はこの世にいないと思った。本当に最高の女だった。

 当時の俺はギタリストだった。今の俺からは想像できないと思うが、ロックバンドでギターを弾いていた。新宿や下北沢の小さなライヴハウスで毎晩のように演奏して、そこそこ人気はあったけど、CDデビューできるほどではなかった。だから生活は楽ではなかった。バンドだけでは食えなかったから、演奏が終わったら深夜のコンビニでバイトをしていた。そして朝になったらアパートに帰って寝る、そして夕方起きてライヴハウスで演奏する、そんな生活がずっと続いていた。

 その女が店に来たのはクリスマスイブの寒い夜だった。店の中ではクリスマスソングが流れていた。『サンタが街にやってくる』だった。メロディを口ずさみながら、サビのところを「サンタクロースは俺には来ない」と()ねたような替え歌にして品出しをしていたら、後ろから女の笑い声が聞こえた。振り向いたら、真っ赤なウールのロングコートを着てグリーンのベレー帽を被った女が立っていた。ブーツもグリーンだった。そして、白い肌に真っ赤な口紅。思わず見惚れてしまった。でも、他の客がレジの前に立ったから急いでカウンターに戻るしかなかった。彼女が帰ってしまわないか気が気ではなかったが、続けて客がレジ前に立ったから対応するしかなかった。
 レジに並んでいた最後の客に釣りを渡して、すぐに彼女を目で追った。しかし、見つけられなかった。それでも棚の陰に居るのかもしれないと思ってカウンターを飛び出したが、何処にもいなかった。ガッカリして品出しの仕事に戻ろうとした。でも、もしかしたらまだ遠くに行っていないかもしれないと思って店の外に出た。すると、そこに彼女がいた。空を見上げて両方の掌を突き出していた。空から落ちてくるものを受け取っていたんだ。それは白くてふわふわしたもので、掌に落ちてすぐに消えていった。初雪だった。俺が彼女の掌を見つめていると、それに気がついた彼女が俺に視線を向けた。ニコッと笑ったと思ったらコートのポケットから何かを取り出して、胸の前でそれを揺らした。可愛い音がした。小さな鈴だった。見つめていると、俺の手を取ってそれを握らせた。俺は呆気に取られてされるがまま(・・・・・・)になっていた。すると、『メリー・クリスマス』と言って彼女が背を向けた。何が起きたのか理解できないまま俺はボーっと後姿を見ていた。
 信号を渡った彼女が俺を見て何かを振るような仕草をした。俺はハッとして掌の中にある鈴を見た。グリーンのリボンが付いていた。それを持って小さく振った。チリンと可愛い音がした。顔を上げると、彼女の姿は消えていた。
 店の中に戻ると、まだ『サンタが街にやってくる』が流れていた。サビのところでまた替え歌を歌った。でも、今度は拗ねた替え歌ではなかった。自分でも驚くような弾む声になっていた。曲が変わってもその替え歌を歌い続けた。品出しが終わっても歌い続けた。次の客が来るまで歌い続けた。♪ SANTA CLAUS IS COMIN′TO ME ♪