うつらうつらするだけの浅い眠りが続いた。
 夜7時に目覚ましが鳴ったが、起き上がることはできなかった。心も体もだるくて瞼を開けるのも億劫(おっくう)なほどだった。
 それでも無理して起きて、納豆だけ食べて、仕事場へ向かった。家に居たら二人のことばかり考えてしまうからだ。そんなことに耐えられるはずがない。仕事でもして気を紛らわさなければおかしくなってしまう。夢遊病者のようにふらふらと歩き続けた。

 仕事場に着くと、現場監督に呼ばれた。「仕事が終わったら話があるから飯を付き合え」と言われた。わたしは気の抜けた声で返事をして、持ち場に向かった。

        *

 現場監督と飯を食うのは初めてだった。
 連れていかれたのは、朝5時から開いている大衆食堂だった。『大安』という店名で、〈たいあん〉ではなく、〈おおやす〉と読むらしい。〈大盛りで安くてうまい〉のがモットーの店だという。

 暖簾(のれん)をくぐって監督が向かったのはカウンター席だった。その一番奥の席に二人並んで座った。

「これ」

 監督が大きな封筒を差し出した。レターパックプラスだった。松山さんの部屋にあったのだという。何が入っているのかわからないが、結構な厚みがあった。

 表の宛先のところにわたしの名前が書いてあった。しかし、住所は書いていなかった。郵送しようとして、住所を知らない事に気づいたのだろうか、松山さんのがっかりしたような顔が目に浮かんだが、それを消して裏返すと、封をした上に白いビニールテープが貼ってあった。本人以外は誰にも開けさせないという強い意志が込められているように感じた。

「ありがとうございます」

 監督に頭を下げたが、もちろん開封はしなかった。二人だけの秘密が入っている可能性があるのだ。開けて見られるようなことをするわけにはいかない。
 監督は中が気になるのか封筒から目を離さなかったが、生ビールと大盛りの枝豆が運ばれてくると、表情が変わった。待ちきれないというふうに顔を綻ばせて、ジョッキを掲げ、わたしのグラスにコツンと合わせた。

        *

「ガランとしてたよ」

 枝豆に手を伸ばしながら昨日のことを話してくれたが、大家さん立会いの下で部屋の荷物を確認したところ、たいしたものは見つからなかったという。

「エアコンも冷蔵庫も洗濯機もないんだから驚くよな」

 扇風機と電気ストーブしかなかったのだそうだ。

「古臭い電子レンジがあったから、出来合いをチンして食べてたんだろうな。洗濯物は近くのコインランドリーを利用していたのかもしれない」

 松山さんの生活の一端が垣間見えたが、あまり聞きたい内容ではなかった。

「CDとかレコードとかなかったですか?」

 監督は即座に頭を振った。

「それを入れていたかもしれない大きな収納ケースがあったけど、中はもぬけ(・・・)の殻だった」

 えっ?

「テレビと、DVDプレーヤーと、CDとレコードが聴けるラジカセはあったけどね」

 わたしは部屋の様子を思い浮かべたが、音響機器だけが残っているのはなんとも不自然な感じがした。首を傾げていると、監督が何故か許しを請うような口調になった。

「息子用に貰ったけど構わないよね」

 ゴミとして捨てるのはもったいないし、大家さんは要らないと言ったから、三つとも家に持ち帰ったのだという。

「でも、もし要るんだったら……」

「いえ、大丈夫です。息子さんにあげてください」

 とっさに右手と首を横に振った。本当はDVDプレーヤーとラジカセが欲しかったが、それを口にすることはできなかった。処分を任されているのは現場監督なのだ、自分ではない。

「じゃあ、遠慮なく貰うよ」

 これでなんの心配もなく息子にやれるというような表情で、ジョッキに残った生ビールをうまそうに飲み干した。