目が覚めると、9月25日に戻っていた。しかし、尋常ではないだるさが全身を覆っていた。とても起き上がれそうにはなかった。松山さんが戻って来なかったショックで体の芯に重い鉛を括りつけられているように感じたし、現在と1964年を往復した疲れも重なったようで、瞼を開けているのが辛かった。まるで拷問を受けているように感じた。もう限界だった。目が覚めたばかりだったが、すぐに深い眠りがわたしを包み込んだ。
1時間ほどでまた目が覚めた。しかし、またしても起き上がることはできなかった。しばらく布団の中でけだるい体を持て余していたが、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。仕事へ行く準備があるのだ。体と心に鞭打って無理矢理布団から抜け出した。
本当は仕事を休みたかった。仕事どころではなかった。でも、松山さんが休むことを、いや、二度と戻って来ないことを現場監督に伝えなければならない。言い訳は何も思いつかなかったが、とにかく行って話すしかないのだ。何も食べず、100回以上ため息をついて、家を出た。足は中々前に進まなかった。



