少しして、電車のスピードが落ちた。停車駅に近づいているようだ。松山さんはずっと何かを考えているようだったが、〈ん?〉というような表情を浮かべたあと、いきなり顔をわたしに向けた。
「もしかして、凄いライヴにいけるかもしれないぞ」
表示された駅に行く意味がわかったようだった。
それからあとは電車が駅に着くまで〈うんうん〉と頷きっぱなしで、わたしの顔を見ようともしなかった。
*
駅に着いた。今回は本人確認はなかった。改札を抜けると、また階段があった。それを上り詰めると、扉が見えた。『1966年6月30日へようこそ』と書かれている扉が見えた。
それを抜けるとまた扉が見えた。『武道館へようこそ』と書かれていた。
武道館?
ということは東京?
オリンピックの2年後の東京で誰がコンサートをやったの?
予想外の展開にわたしの脳は右往左往していた。
「やっぱりそうだった」
確信に満ちたような松山さんの声が聞こえたが、その声は上ずっていた。
「まさかこれを見られるとは……」
扉を開けようとする彼の手が震えていた。
*
中に入ると、異様な光景が目に入った。それは、警備をする機動隊員らしき人達の異常な数だった。観客1万人に対して数千人はいるのではないだろうか。
これがロックコンサートの会場?
目を疑った。しかし、事実だった。異様な緊張感が会場に漂っていた。それでも大観衆は怯んではいなかった。特に若い女性たちは開演前から歓声を上げ続けていたし、歓声に交じってバンドメンバーの名前が連呼されていた。
ポール!
ジョン!
ジョージ!
リンゴ!
それを聞きながら松山さんと席を探した。今度は前から3列目だった。座って周りを見回すと、ティーンエイジの女の子だらけだった。もう既に泣き出している娘もいた。わたしは異様な雰囲気に完全に飲み込まれていた。
*
興奮のるつぼと化した中央のステージに4人の若者が登場した。その瞬間、耳をつんざくような歓声と嬌声が彼らを襲った。それに促されるように、いきなりジョンが歌い出した。
『ロック・アンド・ロール・ミュージック』
わたしは鳥肌が立った。それは伝説のミュージシャンの生歌を聴いたというだけでなく、自分の名前の由来になった人物を目の当たりにしたからだ。オールディーズが大好きな父親のフェイヴァリット・ミュージシャンであるジョン・レノンに因んで名づけられたのが、『礼恩』という名前だった。そのことを何度も聞かされていたから、その人物が目の前で歌っていることに感動を超える衝撃を受けていた。
しかし、若い女性の嬌声に打ち消されて彼の歌声はよく聴こえなかった。周りがうるさ過ぎて耳に届いてこないのだ。
叫ぶのを止めてくれ!
ジョンの歌をちゃんと聴かせてくれ!
怒鳴ってみたが、いとも簡単に歓声にかき消された。歌を聴くのは諦めるしかなかった。どうあがいても仕方がないので、彼らが演奏する姿を必死になって目で追った。いつか父親に伝えるためにも、ビートルズの来日公演という記念すべきイベントを脳に焼き付けておかなければならない。わたしは目をシャッターに、脳を超高性能フラッシュメモリにして4人の姿を追いかけた。
そんなわたしの体を誰かが揺すった。松山さんだった。口を大きく開けて何か言っていた。でも、聞こえなかった。見ると彼はチケットに手を置いていた。もうすぐ演奏が終わるという合図のようだった。わたしは慌ててチケットを取り出して、その上に手を置いた。そして目を瞑って、「ロボコン」と心の中で叫んだ。その瞬間、電車の中に戻った。
「危なかった……」
今度は松山さんが荒い息を吐いていた。『ロック・アンド・ロール・ミュージック』は2分半ほどで終わる短い曲なので、ジャンという音が鳴った時に気づいても手遅れになる可能性があったのだ。ロボコンと叫ぶのが1秒遅れたらやばかったかもしれないと思うと、突然、膝が震え出した。そして、〈次はもっとちゃんと気をつけましょうね〉と偉そうに言った自分が恥ずかしくなった。
「次はもっとちゃんと気をつけます」
消え入るような声で松山さんに詫びた。
「でも良かったよな。まさかビートルズの来日公演を見られるなんてさ」
この2か月後にライヴ活動を止めてしまったということを松山さんから聞いて、なんて貴重な公演を見ることができたのかと、改めてその有難みが体の中に満ちてくるのを感じた。
*
「さあ、次はどこだ?」
松山さんは早くも次のコンサートに思いを馳せているようだった。わたしより10歳も年上なのに、そのエネルギーはわたしの何倍もあるようだった。しかも内部からどんどん湧き出しているようで、ロックに対する情熱の熱さに圧倒されるばかりだった。
「ポポポパポピポパ」
突然、音が鳴った。見ると、ドア上のディスプレーに何かが表示されていた。それは駅名ではなかった。『折り返し』と表示されていた。
もうこれ以上過去には行かないようだ。
よかった……、
思わず安堵の息が漏れた。すると、急に電車が浮き上がった。そして、隣の線路へ水平移動して、ゆっくりと回転を始めた。
180度回転すると、線路の上に降りた。引き返す支度ができたようだ。わたしはドア上のディスプレーが変わるのを固唾を飲んで見守った。
変わった。
『未来行き』
よし!
わたしは思わず拳を握り締めた。しかし、具体的な行先はまだ表示されていなかった。それで尚も見続けていると、いきなり電車が動き出した。まさかこのまま真っすぐ現実に戻ってしまうことはないはずだが、それでも一抹の不安を拭い去ることはできなかった。
「これで2020年に戻ったら死んじゃうぞ」
松山さんは今にも泣き出しそうだった。レッド・ツェッペリンのライヴを見ないまま戻るなんてあり得ないことなのだ。
「頼む!」
ディスプレーに向かっていきなり手を合わせた。
「レッド・ツェッペリンに会わせてくれ!」
目を瞑って必死の形相で手を合わせたので、すぐに追随した。
「松山さんの願いを叶えてください」
心の中で祈念した。



