なにがあるんだろう、と考えているうちに電車が止まった。ドアが開いたので、松山さんと二人で電車の外に出た。

 本人確認終了が無事終わって改札を抜けると、目の前に階段が見えた。しかし、急な階段だった。なのに、手すりがなかった。落ちないように一歩一歩慎重に上がっていった。

 一番上に辿り着くと、『1980年7月29日へようこそ』と書かれている扉が見えた。それを抜けると、また扉が見えた。『サンタモニカへようこそ』と書かれていた。

 サンタモニカ? 
 それって、どこだ? 

 頭の中に世界地図を広げたが、その地名を見出すことはできなかった。

 松山さんはどうだろう? 

 視線を向けると、ブツブツ言ってるのが聞こえてきた。

「カリフォルニアか~、ということは、もしかして、あいつらのコンサートか?」

 何か知っているようだった。

「サンタモニカって、どこですか?」

「州で言うとカリフォルニア。郡で言うとロサンゼルス。その西部にある海辺のリゾート地だよ」

 それで頭の中の地図に大体の位置がプロットされたが、それが意味することは何もわからなかった。

「で、さっき、〈あいつらのコンサートか?〉って言いましたよね。あいつらって誰のことですか?」

「カリフォルニアと聞いて何か思い浮かばないか?」

 カリフォルニア*ロック=? 

 頭を捻っても何も思い浮かばなかった。両手を広げるしかなかった。

「そのうちわかるよ」

 少し口角を上げた松山さんが扉を押して中に入った。その途端、大歓声が聞こえた。大きな会場の中は人、人、人で埋め尽くされていた。圧倒されて見ていると、手に持ったチケットが光った。見ると、座席番号が表示されていた。なんと最前列の中央席だった。その席に座ってドキドキしながら開演を待った。

        *

 しばらくすると、照明が消えた。真っ暗な中、イントロが聞こえてきた。アコースティックギターの音色だった。ワンフレーズだけで大歓声が沸き起こった。更に、ドラマーにスポットライトが当たって歌が始まると、歓声が一層高まった。誰もが知るあの名曲だった。

『ホテル・カリフォルニア』

 演奏しているのはイーグルスだった。ドン・ヘンリーのハスキーヴォイスに絡むハイトーンのコーラスが美しい。そして、あのギターソロが始まった。ドン・フェルダーに続いてジョー・ウォルシュが弾き始めると、鳥肌が立ってきた。それほどスリリングな演奏だった。

 エンディングに雪崩れ込んだ。ロック史上最高に美しいと言われるギターアンサンブルが始まった。ツインリードギターのハーモニーが素晴らしい。松山さんはあんぐりと口を開けて聴き入っていた。わたしもウットリと聴き惚れていたが、その時、ロボコンの姿がふと思い浮かんだ。

 アッ、ヤバイ! 
 もうすぐ曲が終わりそうだ。
 その前にあれをしなければ大変なことになる、

 わたしは松山さんの腕を掴んで大きく揺さぶった。彼を正気に戻さなければならない。それも早急に。もう一度大きく揺さぶった。

「チケットに手を置いて!」

 わたしは松山さんの耳元で叫んだ。すると彼はアッというような顔になって、正気に戻った。松山さんが目を瞑ったのを確認してわたしも目を瞑り、「ロボコン」と心の中で叫んだ。その瞬間、電車の中に戻った。

 危なかった。あと数秒で戻れなくなるところだった。わたしは荒い息が止まらなかった。でも、松山さんは違っているようだった。余韻に浸るようなうっとりとした目をしていた。

「最高だったな。イーグルスのホテル・カリフォルニアを最前列の席で聴けるなんて……」

 夢の世界にいるような表情を浮かべていた。確かに夢という形の中にいるのは間違いないのだが、それでも危なかったことに違いはなかった。

「次はもっとちゃんと気をつけましょうね」

 しかし、彼は何も聞いていなかった。

「今度はどこに連れて行ってくれるのかな~」

 夢見る少女のような瞳になっていた。

 わたしはドア上のディスプレーに目をやった。何も表示されていなかった。連結部のドアを見たが、開く様子はなかった。ロボコンは登場しないようだ。
 もう一度ディスプレーに目をやると、少し速度が上がった。音速になったのだろうか? と思う間もなくシートに背が沈み込んだ。

「ピパピパプパピプパ」

 音はしたが、ロボコンの姿はなかった。しかし、ドア上のディスプレーに次の駅が表示されていた。それはイーグルスのライヴから更に14年(さかのぼ)った駅名だった。

『1966年駅行き』

 それって……、

 恐る恐る松山さんに声をかけた。

「今度もレッド・ツェッペリンのライヴじゃないみたいですね」

「そうだな。通り越しちゃったな」

 見るからに気を落としているようだった。過去行きの電車に乗り続けている限り、『1973年駅』に行くことはないのだ。ガッカリするのは当然だった。

「でも、折り返しということもありますから」

 慰めたつもりだったが、松山さんは浮かない顔をしていた。当然だ。安易な慰めはなんの役にも立たない。わたしはこれ以上何かを言うのを止めた。