2回目の休憩時もまったく同じ席に高松さんと並んで座った。わたしは〈パンプキンサラダとクリームチーズサンドイッチ〉を、高松さんは〈熟成サバおむすび〉を手にしていた。
「高松さんが画家になろうと思ったのはいつ頃ですか?」
彼は口の中のおむすびを飲み込んだあと、目だけをわたしの方に動かした。
「小さい頃から」
「というと、」
「物心ついた頃から」
「へ~、そうなんだ~」
それが何歳くらいの頃なのか漠然としていたのでいい加減な相槌を打ったが、高松さんは丁寧に説明してくれた。
彼の父親と母親は同い年で、共に京都の美術大学に通っており、21歳の時、学生結婚をした。その理由は妊娠で、お腹の中に高松さんができたからだ。事情があって結婚式を挙げられなかったが、高松さんが生まれる直前に籍を入れ、と同時に父親は学校を辞めて画材を卸す会社に就職した。母親は休学して、育児をしながら家で出来る内職をして家計を支えたという。
「貧しい暮らしだったらしいけど、私の存在が家を明るくしてくれたとオフクロがいつも言ってたよ。元気でやんちゃで好奇心が強くて、面白いことばかりしていたらしい。それに、よく泣いて、よく笑って、とても賑やかだったそうだ。そんな私の似顔絵を二人がよく描いたみたいで、写真の数に負けないくらいのスケッチが残っている。画家を目指していた二人だから当然といえば当然だけどね。そんな家庭環境で育ったせいで、こんなちっちゃい頃から絵を描くことが大好きだったらしい。目を離すと、すぐに襖や障子にも落書きするので、それを止めさせるのが大変だったようだよ」
それでも怒られることはなく、特に物心がついてからはどんな絵を描いても両親が褒めてくれるので、益々好きになって、どんどんうまくなっていったと笑った。
「幼稚園でハナマルを貰ってくるたびに大喜びされて、『お前は天才だ、天才だ』と言われるから、私もその気になって益々はまっていったんだよ」
小学校に上がってからは多くのコンテストで優勝して、賞状やトロフィーが家中に溢れたという。
「当然のように画家を目指すようになるし、両親も自分たちの果たせなかった夢を私に託したいと思っていたから、中学に入った時には美大へ行くことが既定路線になっていて、それ以外の道は考えたこともなかった」
それまで画材を卸す会社に勤めていた父親は、高松さんが高校に入学すると同時に独立して、自分の店を持ったのだという。
「オヤジが画材を扱う店を始めたから、欲しいものをなんでも手に入れることができて、好きなだけ絵を描くことができた」
高校2年生の時に全日本学生美術展で審査員推奨作品に選ばれたこともあり、高校の美術部では部長を務めたという。
「現役で美大に合格して、3年生の時には全日本学生油絵コンクールで入賞して、さあこれからという時だったんだ」
父親が友人の連帯保証人になって、事業を畳まざるを得なくなったのだと唇を噛んだ。
「オフクロはハンコを押すのを止めたらしいけど、オヤジは『大丈夫、大丈夫』と言ってきかなかったらしい」
自分が知っていたら強く止めたのに、とまた唇を噛んだ。
「人がいいのも限度があるよね」
力なく何度も首を横に振ったが、「もう止めよう、こんな話」とスパッと切って、残りのサバむすびを口に放り込んでトイレに立った。
しかし、その後姿は無念に覆われているように見えた。なんか悪いことを訊いてしまったと後悔したが、後の祭りだった。この話はもう二度と持ち出さないようにしようと心に決めた。



