「絵描きになりたかったんだよな~」

 芋焼酎のお代わりをした高松さんがいきなり意味ありげな呟きを発した。その目は無色の液体に注がれていた。

「画家、ですか?」

 わたしもグラスを見ながら呟くように返した。

「昔のことだけどね」

 美大に通っていたのだという。

 高松さんが美大生か……、

 ベレー帽を被った彼の若かりし頃を思い浮かべようとしたが、手塚治虫の似顔絵しか思い浮かばなかった。

「あんなことがなければね」

 家業が倒産して、大学どころではなくなったのだという。

「オヤジが人がいいばっかりに……」

 友人の頼みを断り切れずに連帯保証人になったらしい。その後はよくある話の通りだった。友人が破産して、夜逃げして、その借金を全額背負うことになり、父親の事業も立ちいかなくなったのだという。

「こんなことは他人事だと思っていたけど、まさか我が身に降りかかってくるとはね」

 それ以来、父親とは一度も口をきかなかったという。

「まっ、終わったことだけどね」

 その話はお終いというふうに芋焼酎を一気に呷ると、「君も連帯保証人には気をつけなさいよ」と付け足してから、トイレに立った。

 わたしは高松さんの激変した人生に思いを馳せた。うまくいけば画家として活躍していたかもしれない彼にとって今の生活はどういう意味を持つんだろう、と考え込んでしまった。

        *

「ところで、本は好きかな?」

 トイレから帰ってきた高松さんは身の上話をオシッコと共に流してきたようにすっきりとした表情でわたしの顔を(のぞ)き込んだ。

「えっ、本ですか?」

 まだ連帯保証人の話を引き摺っていたわたしはすぐに反応ができなかった。でも、そんなことはお構いなしに、「今はまっている作家がいるんだけどね」と言ったあと、画家や絵画に(まつ)わる史実に基づいた小説を書く女性作家の名前を口にした。図書館で借りて読んでみろという。
 と言われても興味はなかったが、余りにも強く勧めるので無下にすることもできず、わたしはその名前を何度か口に出して頭に覚え込ませた。

「じゃあ、そろそろ行くか」

 作家の話をスパッと終わらせて高松さんが立ち上がったので追随したが、まだ麦焼酎が三分の一ほど残っていた。慌てて一気に飲み干した。

 コップを置いて追いかけると、高松さんは既にレジで支払いをしていた。わたしは財布を出して割り勘分を払おうとしたが、奢ると言って受け取ってくれなかった。

「さっきは愚痴みたいになって悪かったな」

 店を出たところでわたしの肩に手を置いた。

「とんでもないです」
 
 思い切り首を振ると、彼はほんの少し頬を緩めた。

「ありがとう。じゃあな」

 背中を向けたが、その背中が寂しそうに見えた。肩が落ちているようにも見えた。そのせいか、遠ざかっていくその姿から目が離せなくなった。角を曲がって見えなくなるまで追い続けた。
 視界から消えた時、不意にメロディが頭をかすめた。何故か歌謡曲だった。サビのところだけ知っている歌だった。

 人生いろいろ……、

 思わず口ずさむと、高松さんの寂しそうな後姿が蘇ってきてやるせなくなった。そのせいか、頭からそのメロディが消えることはなかった。わたしはまた口ずさんだ。

 男もいろいろ……、