なぜかピアス男子に溺愛される話


「なあ、最近さ、颯太の様子なんかおかしいんだよな」

 俺はいつもの階段で、黒瀬と並んでお弁当を食べながら言った。

 黒瀬は興味なさそうにスマホをいじりながら、ぽつりと返す。

「へー、よかったじゃん」

「よくないだろ!」

 思わず声を荒げると、黒瀬は鼻で笑った。

「話しかけてもなんか冷たい気がするんだ。海で遊んだ日は普通だったのにさ」

 俺が颯太の話を続けると、黒瀬は突然拗ねたみたいに小さく声を漏らす。

「あいつの話ばっかだな」

「......なんか言ったか?」

 俺が聞き返すと、黒瀬はため息を吐いて、ちょっと呆れたように言った。

「お前、鈍感だからな」

 黒瀬はつぶやくように言った。

「どういうことだよ?」

「鈍そうってこと」

「そんなことないよ。俺、小学校の時とか、先生によく周囲の変化に気づく子って通知表に書かれてたし」

 俺は胸を張って言ったつもりだった。

「そんなの、先生が書くことなかった時の無難なコメントだろ」

 黒瀬は腕を組みながら、にやりと笑う。

 教室に戻ると、颯太はもう机に肘をついて座っていた。
 俺が近づくと颯太が顔を上げた。俺は「おつかれ」と一言。

「部活、大変そうだな」

 俺はできるだけ普通の声で話しかけてみる。

「あぁ」

 颯太の返事は短く、冷たく感じた。

「......」

 やっぱり何か距離を感じる。話を続けようとするけど、何を言っても続かない気がして、俺は諦めかけた。

 すると、颯太がふと小さく呟いた。

「また、あいつと食べたのか」

 俺は咄嗟に振り返る。

「黒瀬のことか? そうだけど」

 珍しく話の糸口を掴んだかと思えば、颯太はまた「そうか」とだけ言った。

 颯太があんな態度をとるのは初めてだった。
 中学の頃からずっと一緒にいて、俺は颯太のことをよく知ってるつもりだ。

 颯太は自分の機嫌を態度に出すようなやつじゃない。
 むしろ、優しくて誰にでも明るく接して、いつも周りを盛り上げてくれるタイプだった。

 そんな颯太が、急に冷たくなるなんて......。

 俺、何か気に入らないことでもやらかしたんだろうか?
 それとも、何か悩んでることがあるのか?

 頭の中で色んな可能性がぐるぐる回る。

 でも、どうすればいいのか、全然わからなかった。
 今のまま何も言わずにいるのが正解なのか、それとも正直に聞いてみるべきか。

 胸の中はモヤモヤでいっぱいで、答えはどこにも見えなかった。

「キーンコーンカーコーン」

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 周りの声がざわつき始め、みんな自分の席へ戻り始める。

 結局、何も解決しないまま、1日が終わった。

 帰りの挨拶を終えて、ロッカーに教科書を戻しながら教室に戻る。
 けれど、その時には黒瀬はいなかった。

 どこに行ったんだ?
 でも鞄は置いてあるから、トイレかな。

 俺は帰る準備をしつつ、教室で黒瀬を待った。

 気づくと、教室には俺ひとりだけになっていた。
 静まり返った空間に、廊下から誰かの声が響いてくる。

「黒瀬くん、今日誕生日だったらしいよ」

「えー! マジで!?」

 その声に、俺の心臓が少しだけ跳ねた。

「私もさっき聞いてさ〜」

「うわぁー、もう帰っちゃったよね?」

 女子の会話を聞きながら、俺は初めて知った。
 黒瀬の誕生日が、今日だったなんて――。

 黒瀬のやつ、なんで言わないんだよ。
 もっと早く言ってくれたら、何か準備だってできたかもしれねぇのに。

 いや、自分の誕生日をわざわざ言うやつなんていないか。
 でも、せめて「おめでとう」ぐらいは言わないとな。

 教室で待っていると、ガラガラとドアが開く音が響いた。

「黒瀬......」

 だが、そこに立っていたのは颯太だった。
 いつもより目つきが鋭く、眉が少しひそめられている。

「颯太......どうしたんだよ」

 近づいてきた颯太は、どこか含みのある笑みを浮かべて言った。

「黒瀬じゃなくて、残念だったか?」

「......なんで、黒瀬が出てくるんだよ?」

 颯太の表情がふっと引き締まる。
 その視線は、嘘も迷いもなく、まっすぐに俺を射抜いていた。

「俺、見ちゃったんだ」

 低く落とされた声は冷たく響き、教室の空気を一気に張りつめさせる。
 遠くで響くグラウンドの声が、不自然なほど遠ざかって聞こえた。

「なにを......」

「海で遊びに行った日」

 颯太はゆっくりと言葉を区切り、俺を見据えた。

「夏希と黒瀬が......キスしてたの」

 その瞬間、教室が凍りついたように静まり返る。
耳の奥で自分の鼓動だけがやけに大きく鳴っていた。
――え......見られてたのか。
 頭が真っ白になり、呼吸の仕方すら忘れそうだった。

「夏希は、黒瀬と付き合ってるのか?」

 鋭い声が胸を突き刺す。俺は震える唇をなんとか動かし、言葉を絞り出した。

「付き合ってない......」

 颯太の目が細くなり、その奥に揺らぐ感情が影を落とす。

「じゃあ、俺ともキスしてよ」

 突拍子もない言葉に、心臓が跳ね上がった。

「はっ......お前、何言ってんだよ」

 否定しようとした声は情けなく掠れ、説得力を失っていた。
 颯太が一歩、さらに近づいてくる。

「俺、夏希のこと好きだったんだ」

 教室の静けさに溶け込むように、重たい声が響いた。

 ――颯太が......俺のこと?

「お前、そんなこと一度も......」

「言えるわけないだろっ!」

 鋭い叫びが空気を裂き、俺の体を縫い止めた。

「だから諦めてたんだ。せめて友達のままでいようって......」

 震える声に滲む本気が、痛いほど伝わる。

「それなのに、あんなの見ちゃったら......俺でもいいだろって思っちまうだろ!」

 返す言葉を探しても、喉が固まって声が出ない。

「夏希のことが好きなんだ。中学のころからずっと......」

 颯太が俺の手首を掴み、力任せに引き寄せた。
そのまま背中が窓に押しつけられ、冷たいガラスに肩が震える。

「颯太......」

 視線を合わせた瞬間、涙に濡れた瞳の熱量に押しつぶされそうになった。
 その手がさらに強く俺の腕を掴む。

「や、やめ......」

 そう言いかけた瞬間、突然、腕に強く抱き寄せられた。 何が起こったのかわからなくて、びっくりして振り返ると、

「......黒瀬?」

 その腕の中に自分がいることに気づいた瞬間、張り詰めていた心が一気に揺るんだ。
 無意識に黒瀬へと身を寄せてしまう。

「なにしてるのかな?」

 黒瀬の声は静かだった。けれど、その顔を見た瞬間、背筋にぞくりと寒気が走る。
 そこに浮かんでいたのは、いつもの飄々とした笑みではなかった。
 口元だけがわずかに歪み、底に隠された本性がチラリと覗いた気がした。

「お前、邪魔すんなよ。付き合ってもないくせに止める資格ないだろ」

 颯太の吐き捨てるような言葉が胸に突き刺さる。
 次の瞬間、黒瀬が俺の手をぐっと強く掴んだ。

「それは夏希が決めることだよ」

「じゃあ、夏希はこいつのことどう思ってんだ?」

 俺は、黒瀬のこと......。
 答えは喉まで上がってきているのに、声にならない。
 ただ、気づけば黒瀬の仕草や言葉ひとつに心が揺れて、誰よりも目で追ってしまう自分がいる。
 ――その理由を、もう分かっているくせに。

「夏希、行くぞ」

 驚いて振り返る間もなく、引っ張られて教室のドアへと向かう。
 教室の中はクーラーが効いていて涼しかったはずなのに、廊下に出るとムッとした熱気が肌を包んだ

 黒瀬に手を引かれた瞬間、何も言えなくなった。
 ただ、残された温もりが胸の奥を熱くするばかりだった。
 黒瀬は振り返らず、ただまっすぐ歩き続ける。
 強い日差しで照らされた校舎の影が長く伸びて、なんだか焦燥感まで熱くさせている気がした。

 門を出て、少し歩きながら緊張がほどけきれずにいた。

「なぁ、黒瀬」

 小さく呼びかけると、黒瀬は足を止め、ゆっくりこっちを見た。
 その瞳に吸い込まれそうになり、心臓がどくんと跳ねる。
 次の瞬間、黒瀬は迷いなく俺を抱きしめてきた。
 強く抱くわけじゃないのに、優しさが伝わって、背中がじんわり温かくなる。
 しばらく静かに抱き合った後、黒瀬がぽつりと漏らす。

「......悪かった。俺が口出しするべきじゃないのはわかってたのに」

 言葉は平静なのに、その瞳の奥は揺れていた。
 怒りでも嫉妬でもない、複雑な感情が光を宿している。

「でも......お前が他のやつに触られるのが、耐えられなかったんだ」

 その一言に、胸の奥が熱くなる。
 視界がじんわり霞んで、暑さも焦りもすべて溶けていくようだった。
 ――やっぱり、俺の中で黒瀬は特別だ。
 颯太の言葉が蘇る。
『夏希は、黒瀬と付き合ってるの?』
 付き合ってはいない。......けど、その問いは心に小さな波紋を残していた。

 黒瀬の体温、手の感触、そして視線の先にある真剣な目。どこか居心地のいい安心感に、知らず知らず俺の心は揺れていた。

 颯太に窓際へ追い詰められたとき――
 「嫌だ」と思った瞬間、頭に浮かんだのは黒瀬の顔だった。

 ――俺は、黒瀬がいい。

 自分でも驚くほど、自然に思い浮かぶのは黒瀬のことばかりだった。

 黒瀬の腕がゆっくりと背中から離れていく。
 その温もりがなくなる瞬間、胸にふっと寂しさがよぎった。
 名残惜しさに唇を噛む俺を見て、黒瀬はふっと笑い、肩をすくめる。

「......今からデートしようぜ」

「デートって......」
 
 冗談みたいな口ぶりなのに、胸がざわつく。
 気づけば、自然に頷いていた。

◆◆◆

 駅を出ると、目の前には煌びやかな街の景色が広がっていた。ビルのガラスに映るネオンの光、鮮やかな看板、行き交う人々の笑い声。煌めくイルミネーションが通りを彩り、ショーウィンドウには新作の服やアクセサリーが並んでいる。
 信号待ちの間にふと見上げれば、高層ビルの窓がまばゆく輝き、夜の空を切り取るようにそびえていた。
 車のライトが行き交い、どこからか流れる音楽と、人々の賑やかな声が混ざり合う。

「どうしたんだよ」

 どこかぼーっとしていた俺に黒瀬が声をかける。

「俺、夜にこんなところ来たことなくて......夜の街ってこんなに綺麗なんだな」

 俺が呟くと、黒瀬は軽く笑って肩をすくめた。

「それなら楽しもうぜ」

 少し緊張しながらも、俺たちは自然に歩き始める。デートと言われると、どんなことをするのか想像していたけれど、意外にも普通の友達と出かける感覚だ。

 まず入ったのは、街角のラーメン屋。
 カウンターに並んで座り、湯気の立つラーメンを冷まそうと息を吹きかける。それを見ていた黒瀬がふと笑う。

「お前、猫舌なのか?」

「......ちょっとだけ、熱いの苦手で」

「へぇ、初めて知った。じゃあ今度から俺がフーフーしてやろうか」

「いらねぇよ! 余計食いにくいわ」

 熱々のラーメンを口に運ぶ。思わず「......熱っ......!」と声が出るが、同時に「でも、うまっ」と呟いた。

「だろ? 俺のおすすめだからな」

 麺はもちもちで、スープも濃すぎず、ちょうどいい味加減だ。思わず箸が進む。あっという間に食べ終わり、俺たち店を出た。

 次に入った本屋では、お互いの好きな漫画の話で盛り上がる。

 俺は手に取った漫画を見つめながら、つい笑みがこぼれた。

「これ面白いんだよな」

 黒瀬も同じ棚の前で声を弾ませる。

「俺もそれ読んでるぞ。面白いよな」

「えっ、まじ! 最新刊読んだ?」

 俺は思わず目を輝かせて聞く。

「俺まだ買ってないから読めてないんだよ」

 次の巻を手に取りながら、思わず言葉が出た。

「次の巻な、やっとを倒したと思ったらまさかの......」

「おい! お前ネタバレするなよ!」

 黒瀬が慌てて遮る。

「はは、冗談だって」

 俺は肩を揺らして笑った。

 言い合いながら、自然と手に取る本も似ていることに気づく。漫画の話で盛り上がるだけなのに、なんだか妙に楽しくて、黒瀬といる時間がいつもより近く感じた。

 さらに文具コーナーでは、切れていたノートを買い足すことにした。

「もうそろ漢文入るからノートいるよな」

「え、そんなこと言ってたか?」

 思わず振り返ると、黒瀬はにやりと笑っている。

「言ってた。まぁ、その時のお前口開けて爆睡してたけど」

「お前見てたなら起こせよ!」

 そんな些細なやり取りも、なんだか特別に思える。
 夜の街を歩きながら、ラーメン屋、本屋、文具店と回るデート。
 どれも普通のことなのに、黒瀬と一緒だから、胸の奥が少し温かくなる。

 夜の街を歩きながら、ふと黒瀬が俺の手に触れた。

「ちょっと......」

 思わず声を上げかける。周りにはたくさん人もいるし、クラスの誰かに見られたら......と、頭の中でいろいろ考えてしまう。

「......誰かに見られるぞ」

 口に出してしまった言葉に、黒瀬はにやりと笑う。

「俺は別にいいよ」

 その言葉だけで、俺は何も言えなくなった。
 さっき、自分が黒瀬のことを「好き」だと自覚したばかりで、こんな些細な手の繋ぎだけで胸が跳ねる。

 でも、その嬉しさに抗うこともできず、俺も自然に手を握り返した。

 こうして黒瀬と街を歩いていると、本当に普通の友達みたいで、なんの気負いもなく笑い合える。でも、手が触れたり、肩がすれ違ったりするたび、胸の奥がぎゅっと熱くなる。

――友達だったら、きっとこんな風にドキドキしない。

 街を歩いていると、黒瀬がふとあるお店を指さした。

「ここ、寄ってもいい?」

 俺が頷くと、黒瀬はにやりと笑いながら入口の扉を押す。
 中に入ると、オシャレな雑貨やピアスが並んだ小さな店だった。黒瀬はすぐにピアスコーナーに向かい、いくつか手に取って眺めている。

「新しいピアス買うのか?」

 俺が尋ねると、黒瀬は少し迷いながら答えた。

「んー、買いたいんだけど、今ちょっと金欠だからな。今日は見るだけ」

 店内を歩きながら、俺はふと足を止めた。目の前に置かれていたのは、細いシルバーのフープピアスに小さな青いストーンがぶら下がったデザイン。
 透き通るような青が光を受けてきらりと輝く。黒瀬の雰囲気にぴったりだ――そんなことを思いながら、思わず見つめてしまった。

 辺りを見渡して黒瀬が離れていることを確認すると、そっと裏返して値札をチェックする。
 ――意外と高っ!

 財布の中身を覗くと、買えない額ではないけれど、これを買ったらしばらくはコンビニで好きに買い食いもできないな、と現実的なことが頭をよぎる。

 でも、もし黒瀬がこのピアスをつけたら、絶対似合うだろうな――そんな想像が、どうしても頭から離れなかった。

 俺は会計を済ませた小さな袋を、見つからないように鞄の奥に押し込む。
 ちょうどそのとき、黒瀬がひょいと棚の向こうから現れた。

「お前、ちっさすぎて見失ってた」

「そこまで小さくねぇよ!」

 思わずムッとする俺に、黒瀬は口元だけで笑った。

「はは、冗談だって......そろそろ出るか」

「もういいのか?」

「おー。店にいると、新しく開けたくなるんだよな」

「それ以上、耳に開ける場所なんてないだろ」

「じゃあ、次は鼻にでも開けるか」

「えー......俺、あの牛みたいなやつあんま好きじゃない」

「あははっ、お前がそう言うならやめとくわ」

 軽口を交わしながら、ドアを押して外に出る。
 夜風がひやりと頬を撫で、鞄の奥の袋が歩くたびに小さく揺れた。

 帰り道、いつもの公園に立ち寄った。ベンチに座って、どちらからともなく、ふうっと息を吐く。
 心地よい疲れと、ほんの少しの名残惜しさが、夜風に混じっていた。

「......楽しかったな、今日」

 思わずこぼれたその言葉に、隣の黒瀬がふっと目を細める。

「よかった」

 優しい声だった。あいつにしては珍しく、まっすぐで、柔らかくて。
 その笑顔に、胸が一瞬、どくんと鳴った。やばい、と思った。何がやばいのか、うまく言葉にはできなかったけど。

 バッグの中の小さな箱を指先で探る。

「......なあ、お前、今日......誕生日なんだろ?」

 黒瀬が一瞬、まばたきをする。思い出した、って顔をした。

「......ああ、そういえば、そうだったな」

「あのさ」

 言いながら、俺はバッグから箱を取り出す。手の中のそれが、やけに軽くて、なのに重く感じる。

「誕生日、おめでとう」

 そう言って、黒瀬にそっと差し出す。
 受け取った瞬間、黒瀬の表情が固まった。目をまるくして、何かを言おうとしたけど、言葉にならないようだった。

「え、......なんで」

 やっとのことで、そんな声がこぼれる。

「さっきの店で似合いそうだと思って」

 俺は照れ隠しのように言って、目を逸らした。
 最初に見たあの姿が、やけに印象に残っていて、ずっと頭の隅にあった。

 沈黙が続き、俺は落ち着かなくなった。

「なんか言えよっ」

 そこで気づく。黒瀬の頬を伝って、涙が落ちている。

「黒瀬......?」

 名前を呼ぶと、黒瀬がハッと顔を上げ、片手で顔を押さえた。自分でも涙が流れていることに驚いたようだった。

「......俺、父さんがさ......浮気を繰り返して、母さんと離婚したんだ」

 かすれた声。小さく、震えている。

「......俺の顔、父さんに似てるから、母さん......俺のこと、好きじゃなくて......」

 唇の端を上げ、笑おうとしている。

「いつからか、目も合わせてくれなくなったんだ......誕生日なんて、もう祝われたことなかったから......嬉しくて」

 笑っているはずなのに、声の奥に滲むのは寂しさだった。
 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 気づけば、俺の目からぽろぽろと涙がこぼれていた。自然に、止めることもできず、ただ黒瀬の手に触れ、そっと握る。

 黒瀬はゆっくり顔を上げ、片眉をさげてふっと笑う。

「......なんでお前が泣いてんだよ」

「お前が笑いながら話すからだろ」

 その笑顔に、胸の奥がじんわり温かくなる。泣きながらも、俺は自然に笑みを返した。手の温もりが二人の間をそっと満たしていく。

 黒瀬の無理して笑う顔を初めて間近で見た。
 その笑顔の裏にある孤独や寂しさを、俺は今、はっきりと知った。

 ――こんな風に隠してたんだ......

 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

「......つけていいか?」

 黒瀬がそう言って、俺は小さく頷く。
 黒瀬は片手で前髪をかき上げると、もう片方の手でピアスを耳に運んだ。

 その動きがあまりに自然で、迷いがなくて――なんか、妙にドキッとした。
 カチッと音がして、黒瀬が手を離す。

 ほんの一瞬、時間が止まった気がした。
 街灯の下で、ピアスがかすかに光を弾く。黒瀬の顔立ちに、その銀の光がやけに映えていて、目が離せなかった。

「......どうだ?」

 黒瀬がこちらを向いて、小さく笑った。

「......かっこいい」

 本音だった。前にピアス姿を見たときも、確かに惹かれた。
 でも今は、それどころじゃない。俺が選んだピアスを、あいつが身につけてる。

「嬉しい?」

 思わず聞いてしまった。
 黒瀬は一瞬、目を伏せてから、ゆっくり顔を上げて、俺の目をまっすぐ見た。

「......お前が、俺のこと考えて選んでくれただけで、嬉しい」

 黒瀬は照れたように耳を触りながら、嬉しそうに笑う。

 その顔を見て、また胸が痛くなった。
 そしたら黒瀬が、ふわっと、すごく優しい顔で笑った。

「ありがとう、夏希」

 たったそれだけなのに、胸の奥がぐっと熱くなった。
 その「ありがとう」は、たぶんピアスのことだけじゃなかった。俺が選んだこと、くれたこと、気にかけたこと。全部、ちゃんと伝わってたんだって思った。

 心臓がうるさい。
 このまま黙ってたら、たぶん後悔する。

「......なあ、黒瀬」

 声を出すのも、言葉にするのも、少し勇気が必要だった。黒瀬はじっと俺を見ている。

「前に、お前に聞かれたよな。『どっちの俺が好き?』って」

 あの時のことを思い返す。

 俺はお前のこと、まだあんまり知らないからって答えた。

「でもな......今なら言える。知れば知るほど、もっと好きになった」

 黒瀬の、飄々として掴みどころのないところも。
 人のことなんて興味なさそうなのに、時々誰よりも優しいところも。

「全部知った上で――俺は、お前が好きだ」

 言葉に詰まることなく、自然に口から出てきた。
 夜風が二人の間をすり抜け、少しだけ静けさをくれる。

 最初に黒瀬と会ったとき、正直ムカついた。
 態度はでかいし、言葉はどこか挑発的で、こっちを試してるような目をしてた。

 ......でも、目が離せなかった。
 あの時つけてたピアス――キラキラに光って妙に似合ってて。
 どこか“俺の知らない世界”を見せつけられた気がした。ずっと遠くにいるはずのやつなのに、なんでだろうな。

 たぶん、あの瞬間からだったんだ。嫌いになれなかった。むしろ、惹かれてたんだと思う。

 言葉が、静かに、夜の空気に溶けていく。
 鼓動だけがやけに大きく感じた。あとは、黒瀬の返事を待つだけだった。

 黒瀬が片眉をさげ、少し真剣な顔で言った。

「......俺、男だけどいいのか?」

 思わず、俺は苦笑いを浮かべながら呆れる。

「......お前、今更それ言うのかよ」

 たしかに黒瀬に告白されたとき、男同士だろって考えた。
 周りに言えば、きっといろいろ言われるだろう。それに......俺の中でも正直、答えなんてなかった。

 けど――なんていうか、意外とそこに引っかかり続けることはなかった。
 「男同士」っていうのが、思ったより俺にはどうでもよかったみたいだ。

 黒瀬がほんとうに俺のことを好きだって感じたとき。
 俺が黒瀬のことを「もっと知りたい」と思ってるって気づいたとき。
 その全部が、俺の中で自然に繋がっていった。

「黒瀬のこと好きになっちゃったんだから、しょうがないだろ」

 黒瀬が俺を好きで、俺も黒瀬を好きだと思った。
 ただ、それだけだ。

 次の瞬間だった。
 不意に腕を引かれたかと思うと、ぐっと強く抱きしめられていた。
 不意打ちすぎて、何も言えなかった。でもその腕は、信じられないくらいしっかりしてて、放すつもりなんて、これっぽっちもなかった。

「ずっと......夏希から言ってもらえるの、待ってた」

 耳元で、黒瀬の声が震えている。それなのに、抱きしめる力はどんどん強くなる。
 心臓の音が近くて、熱が伝わってくる。

「......夏希、もう一回言って」

「え?」

「今の......もう一回」

 耳元で囁かれた声は、震えていた。冗談じゃない、甘えるでもない。
 ただ、まっすぐで、必死だった。

「......俺、黒瀬のことが、好きだよ」

 そう繰り返したら、黒瀬の腕が、さらにぎゅっと強くなった。

「......もっと」

 何度も求められるたび、俺は何度だって言ってやろうと思った。
 この気持ちは、いくらだって伝えたかった。

「好きだよ、黒瀬。好き、好き。だーいすき!」

 そう言いながら、そっと黒瀬の頬に手を添える。
 柔らかく温かいその肌に触れるだけで、心臓が早く打つ。

 目を閉じて、ゆっくりと唇を重ねる。
 優しく、確かに――黒瀬に伝わるように。

 黒瀬の手が俺の手を握り返し、ほんの少し力を込める。
 顔は見えないけど、なんとなくわかった。

「俺も死ぬほど夏希が好きだ」

 ずっと張ってたものが溶けたみたいに、肩の力が抜けた。
 黒瀬の手のぬくもりと、ピアスのきらめき。

 この夜は、たぶん、忘れられない。