なぜかピアス男子に溺愛される話

 俺、上野夏希(うえのなつき)。高校2年生、4人きょうだいの長男。
 頼られると断れないし、自分から誰かに頼ったり、甘えたりするのはちょっと苦手だ。

 長男気質のせいか本音や弱音を口にするのも、昔からどうもうまくできない。

 別に無理してるつもりはない。
 けど、気がつくといつも「大丈夫」って笑ってる自分がいる。
 我ながらちょっと呆れている。

 夜。
 夕飯を終えたあと、母さんに頼まれてコンビニへ。

 弟の分のアイス、妹の分のジュース。
 ついでに自分の分も何か――って思うけど、どうせまた誰かに取られるんだろうな。

 コンビニの明かりが見えてきた頃、店の前に何人かの少年たちがたむろしているのが見えた。
 派手な服に染めた髪、ゲラゲラとした笑い声。
 いかにも“夜慣れしてます”って感じだ。

 ――ああ、ちょっと怖いな。

 でも、迂回して帰るのも面倒だし......と思って通り過ぎようとした。

「......あれ?」

 視界の端に映った横顔が、見覚えのあるものだったので、つい目を止めた。

「......冬弥《とうや》?」

 それは中学3年のうちの三男だった。

 なんでこんな夜中に、あんな連中と一緒にいるんだ――
 思春期だから、あまりうるさく言うのは逆効果なのはわかってる。
 けど、これはさすがに放っておけない。

「なにしてんだ、こんなところで」

 声をかけると、冬弥はバツが悪そうにこっちを見て、「......兄貴」と言った。

「お前、早く帰ってこいよ」

「は? 別にいいだろ。兄貴に迷惑かけてねぇし」

「そういう問題じゃないだろ。最近帰りが遅いって母さんが心配してたんだぞ」

 話しているとその隣にいた、ピアスをたくさんつけた男が、ふとこちらを向いた。

 銀色のピアスがいくつも並び、軟骨までついている。指には細身のリングが光り、耳から口元へ繋がるチェーン――あれ、なんていうんだっけ――リップチェーン?がちらりと揺れた。
 着崩した制服の上からは黒いパーカーをラフに羽織っている。

 その姿だけで十分目を引くのに、細くて整った目元からは、どこか人を寄せつけない空気がにじんでいた。
 線は細いはずなのに、立っているだけで妙な存在感がある。
 それに――顔が、やたら整ってる。

「......うわ、かっこい......」

 思わず心の中で呟いた瞬間、彼の唇が、わずかに動いた。

「......夏希」

 ――え?

 今、......俺のこと、呼んだ?

 名前を呼ばれた気がして、心臓が一瞬だけ強く跳ねた。

「......あの、誰?」

 戸惑いながら問いかけると、彼は少しだけ目を細める。

 その表情は、どこか懐かしさを含んだような、優しいような、でも距離のあるものだった。

「......あー、まあ、そうだよな」

 肩の力を抜いたみたいに、少し笑ってそう言った。

「おやおや?」

「お前のにぃちゃんか?」

 取り巻きの連中が、ニヤニヤしながらこっちを見てくる。

 さっきの、ピアスをバチバチにつけたやつもゆっくりとこちらに視線を向けた。

「へぇ、お兄さんか。背も低いし、弟かと思った」

「......は?」

 完全に見下した言い方だった。

 でも、声のトーンはやけに落ち着いていて、感情がまるで読み取れない。
 イラっとした。でも、それ以上に――なんか、ムカつく。

「......なんなんだ、お前」

 自然と声が尖った。
 なのに、相手はまったく動じることなく、少しだけ首を傾けた。

「......名前くらい、聞いてくれたら答えるけど?」

 長く伸びた髪をハーフアップにまとめたその姿が、風にゆるく揺れる。
 目元までかかる前髪の隙間から、じっと俺を見ていた。

 無駄に綺麗な顔立ちと、その余裕ぶった態度。
 なんかもう、全部が妙に癪に障る。

 俺は返事もせずに、コンビニへ足を向けた。
 さっさとアイスとジュース、それと家族分の軽いお菓子も追加してレジを済ませる。

「冬弥、一緒に帰るぞ」

「ちっ......わーったよ」

 冬弥は気まずそうに舌打ちしながらも、渋々ついてくる。

 背後でひらひらと動く手が見えた。

「またね、夏希」

 名前を呼ばれて、思わず振り返る。
 そこには、気だるげな笑みを浮かべたあいつが、こちらを見ていた。

 ......なんで、俺の名前知ってんだ。

 その疑問もろくに飲み込めないまま、夜道を黙って引き返す。

 ――なんなんだよ、あいつ。

 そんなモヤモヤを引きずったまま、家に帰った。

 寝てもなんとなく頭の片隅に残ってて、夢にも出てきそうだったけど――
 気づけば、もう次の日の朝だった。



「はい、静かにー! 朝のHR始めるぞー」

 担任の大西(おおにし)先生が、勢いよく教室に入ってくる。
 その手には、見慣れない書類の束があった。

「今日は転校生が来てるから紹介するぞ」

 その一言で、教室の空気が一気にざわついた。

「え、転校生?」
「今の時期に?」

 席のあちこちでひそひそ声が飛び交い、何人かは思わず身を乗り出して扉を見つめる。
 女子グループは「イケメン来い!」と内心で盛り上がり、ソワソワが止まらない様子だった。

 明らかに“誰が来るのか”への興味で、みんなの視線が一斉に扉に注がれる。

 俺もプリントを持った手が止まり、思わず顔を上げた。

 そのとき、

 ガラガラ、と扉が開いた。

「......」

(あ、あいつ......!?)

 思わず俺は固まる。

 昨日、夜のコンビニ前で出会ったピアス男――が、まるで別人みたいな姿で立っていた。

 制服はきちんと着こなしていて、ピアスもチェーンもネックレスも一切なし。
 髪はゆるく下ろされていて、整った顔立ちは淡々としているけど、どこか柔らかい雰囲気が漂っていた。

黒瀬零(くろせれい)です。よろしくお願いします」

 その明るくて柔らかい声に、教室中が「キャー!」と歓声を上げた。

「え、イケメンじゃね?」
「やば......顔整いすぎでしょ......!」
「私ちょータイプ......!」

 女子たちの小さな悲鳴と、ざわつくどよめきが教室中に広がった。

(......マジかよ......)

 思わず目をこすりたくなったけど、何度見てもそこにいるのは――間違いなくあいつだった。

 顔は同じなのに、雰囲気がまるで違いすぎる。
 昨日のどこか不思議な雰囲気もぶっきらぼうな態度も、跡形もなく消えていた。

 俺が戸惑いを隠せずにいると、担任の大西先生が淡々と告げた。

「黒瀬くん、席は上野の隣、空いてたな。そこ行って」

「......上野?」

 黒瀬がこちらを見て、わずかに口元を緩ませる。

 先生に促されるまま、黒瀬はゆっくりと俺の隣の席へと歩み寄った。

 クラスの全員が彼に注目し、その整った顔立ちと落ち着いた空気感に釘付けになっている。

 だけど、俺だけが知っている。
 この男は、昨夜ピアスをじゃらじゃらつけて、俺を小馬鹿にしてきた“あの男”だということを。

「よろしく、夏希くん」

 席につくなり、何食わぬ顔でそう言われて、思わず睨む。

「......お前、転校生だったのかよ」

「うん。偶然だね、同じクラスだなんて」

 落ち着き払った声。人当たりのいい笑顔。
 あの時の、トゲしかない態度とはまるで別人。

「お前さ、昨日のピアスとか......あれは」

 そう口にすると、黒瀬は人差し指を口元に当てて「シー」と目を細めた。

 あっけらかんとした笑みに、なにかを見透かされたような気がして、言葉が詰まる。

 なに、この落差。なんなんだ、コイツ――

 クラスの空気に自然に馴染んで、いつの間にか女子に囲まれてるし......。

「黒瀬くんってどこから来たの?」
「部活とかやる? サッカーとか絶対かっこいいよ!」
「彼女とかいるの?」

 うるさいくらい質問が飛び交うのに、黒瀬は嫌な顔ひとつせず、すべてに答えていた。

「いないよ。しばらく予定もないかな」

 女子たちに囲まれながら、軽く笑って、柔らかく返す。
 無愛想どころか、やたらと愛想がいい。受け答えも自然で、まるで慣れてるみたいだった。

 正直、混乱しかない。
 昨日会った“ピアス男”の印象は、今の爽やかすぎる転校生と、まるで一致しない。

 けど、ふと視線を向けると――
 その黒瀬が、教科書を開いたまま、俺の方を横目で見ていた。

 ニヤリと俺にだけに見えるように口ものを緩める。その顔は確かに昨日の男だった。

 放課後のチャイムが鳴っても、隣の席――黒瀬の周囲は、まったく静かになる気配がなかった。

「黒瀬くんって、映画とか観る?」
「休みの日ってなにしてるの?」
「よかったら、LINE教えてよ!」

 女子たちの甘ったるい声が飛び交うなか、俺は静かに帰り支度をしていた。

 女子だけではなく、昼休みにちょっと体育館でバスケしただけで、あっという間に男子の輪にも溶け込んでいた。

(......コミュ力おばけかよ)

 ピアスじゃらじゃらの不機嫌そうな男と、今そこにいる“爽やか転校生”。
 どっちが本当の黒瀬なのか、まるでわからない。

「......お前、なんか疲れた顔してんな」

 声をかけてきたのは、幼なじみの颯太(そうた)だった。
 中学からの付き合いで、部活も志望校も同じ。今年はクラスまで同じになった気心知れた友達だ。

「......そうか? そんなことないけど」

「いや、明らかにやつれてたぞ。しかも朝からずっとボーッとしてたし」

 冗談めかした声なのに、少しだけ心配が混じっていて、思わず苦笑いが漏れた。

「黒瀬くん、一緒に帰らない?」

 隣の女子がそう声をかけるのが耳に入った。ちらっと隣を見ると、女子たちが数人、期待に満ちた目で黒瀬を見上げている。

「家、どの辺? 方向一緒だったら......」

 その中のひとりがさらに言い添えた、そのときだった。

「――あー、ごめんね。俺、今日は夏希くんと帰るんだ」

 ......は?

 思わず、手に持っていた教科書を落としそうになった。
 え、何勝手に予定組んでんの?

 顔を上げると、黒瀬がこちらに向かってにこっと笑っていた。

(......こいつ、俺を女子避けに使いやがった)

「なんだ、お前。知り合いだったのか?」

 隣の颯太が、不思議そうな顔をして言う。

「いや......昨日の夜にたまたま会って」

「ふーん?」

 颯太が俺と黒瀬を交互に見ながら、意味深に眉をひそめた。

 そしてそのまま――
 なぜか、本当に一緒に帰る流れになっていた。

「......お前、どこまでついてくんだよ」

「方向一緒なんだから、仕方ないだろ?」

 俺の言葉に、黒瀬はポケットに手を突っ込んだまま、平然と答える。

 歩くテンポは不思議と合っていた。
 喋るわけでもない、でも気まずさもない。
 ちらりと隣を歩く黒瀬の横顔を盗み見た。

(......昨日も思ったけど、やっぱ、顔......綺麗だな)

 整った目元に、すっと通った鼻筋。風に揺れた前髪の隙間から、ふとした表情がのぞいた――
 その瞬間、ちょうど目が合ってしまう。

「なに、見とれてんの?」

 黒瀬がいたずらっぽく笑って、わざと俺の顔を覗き込んでくる。その姿はさっきまでの黒瀬ではなく、昨日と同じだった。

「そ、そんなんじゃねぇし!」

 あわてて目を逸らす。自分でもわかるくらい、動揺していた。

 数歩分の沈黙。そのあと、気づけば口が勝手に動いていた。

「......お前って、どっちが本性なんだ?」

 夜の黒瀬と、昼の黒瀬。
 どっちが“本当の黒瀬”なのか。

 黒瀬は一瞬だけ視線を前に投げて、口元をゆるめた。

「気になるんだ?」

「......聞いてみただけだし」

 照れ隠しのようにそう言うと、黒瀬はふっと笑って、空を仰ぐように首を傾けた。

「ピアスも服も、趣味ってだけ。どっちも嘘じゃないし、どっちも俺だよ」

「......」

「昼も夜も、ぜんぶ俺。ただ、見せる相手が違うだけ」

 飄々とした声。でも、その裏に何か含んだような響きがあった。

 俺には見せてくれてるのか?
 それとも、今この顔も“誰か用”なのか。

 わからなかった。

 けど、なんとなく、もう少し知りたくなっていた。

「......夏希はさ、どっちの俺が好き?」

 歩きながら、不意に黒瀬が口を開いた。

 何気ないトーン。だけど、その一言が、思考を一瞬で止めた。

「......どっちもなにも......まだお前のこと、よく知らないし」

 咄嗟に目を逸らして、なんとかそう返す。

 すると黒瀬は、くすっと小さく笑った。

「じゃあ、俺のこともっと知ってよ」

 それ以上、何かを深追いすることもなく、黒瀬はそのまま歩き続ける。
 道路沿いの並木が、風でざわりと揺れた。

 しばらく、沈黙。

 けれど、それは思ったより早く破られた。

「じゃあさ、俺からも質問していい?」

「......今のも質問だっただろ」

 黒瀬が俺の方をちらっと見て、ほんの少し口角を上げる。

「夏希って、彼女いる?」

「......は?」

 間が空いた。質問が予想の斜め上すぎて、言葉が追いつかない。

「なんだよ、それ。女子じゃあるまいし」

「いいじゃん。俺も教えたんだからさ。フェアにいこうぜ」

 こいつ、なんなんだ......。妙に軽くて、でも悪気がない分、余計にやっかいだ。

 俺は前を向いたまま、ぽつりと答えた。

「いないよ」

「へえ」

 その一言に、黒瀬が少しだけ声を弾ませたのがわかった。

「じゃあさ――俺のこと、好きになってよ」

 最初は、冗談だと思った。
 でも、その目だけは、どこか真剣だった。

 ふざけてんのか、本気なのか。わからないまま、思考が追いつかない。

 その隙を縫うように、黒瀬の手がゆっくりと伸びてきた。

 頬にふれる指先が、思ったよりも優しくて――
 次の瞬間、顔が近づいた。

「――っ」

 声を出す間もなく、唇が触れた。

 柔らかく、でも逃げられないくらいしっかりと。

 頭の中が、真っ白になった。

「っ、やめっ......!」

 後ずさろうとした瞬間、黒瀬の腕が俺の腰をぐっと抱き寄せた。

 鼓動が、耳の奥でうるさいくらい鳴っている。
 体中に熱が巡って、パニックになりそうだった。

 けど――それと同時に、
 どこかで感じていた。
 黒瀬の体温が、心地いいと。

(なに考えてんだ、俺......)

 そのときだった。

「――にゃあ」

 小さな鳴き声が、ふいに鼓膜を震わせた。
 その瞬間、全身に冷たい水をかけられたように、意識が現実へ引き戻される。

「......っ!」

 はっとして、俺はゆっくりと目を開けた。

 視界が合焦する。
 真っ先に飛び込んできたのは――黒瀬の顔だった。

 反射的に、胸を押し返す。

「お、おい!! ふざけんなっ!! なにかってに......!」

 自分でも驚くほど声が上ずって、顔中が熱くなった。

「......俺、本気で夏希のこと好きだから」

 真っ直ぐな声で、ふざけた調子も、からかいの笑みも、どこにもなかった。

 不意打ちのキスだけじゃなくて、その言葉の方が、よっぽど動揺する。

 体が熱い。顔も。手のひらも。

(......初めて、だったのに)

 思わず、そう呟きそうになって、奥歯を噛んで飲み込んだ。

「......お前、なんのつもりだよ」

 口を開けば、声が震えた。

 黒瀬は、少しだけ目を見開いて――それから、ふっと笑った。

「......もしかして......初めて、だった?」

「っ......!」

 何も言えなくて、睨み返すことしかできなかった。
 だけど、そんな俺を、黒瀬は真っ直ぐに見つめてくる。

 昨日会ったばかりなのに。
 たった一晩で、何が“好き”だ。

 ......なのに、心臓の音はずっと止まらなくて。

「......お前、ほんと意味わかんねぇ」

 嬉しそうに笑ってる黒瀬も、ドキドキしてる自分自身も――どっちも、まったく理解できなかった。

「じゃあ、俺の家ここだから」

 ぽん、と軽い声が落ちたと同時に、黒瀬が足を止めた。

 ......え?

 つられるように俺も立ち止まって、指さされた方を見る。
 そこにあったのは――

 俺の家の、すぐ隣だった。

「......は?」

 乾いた声が漏れる。

 引っ越しの気配なんてなかった。トラックなんか一台も見てない。
 けど、その家は確かに、ずっと空き家だった。

「......マジかよ......」

 絶望に似た声を漏らす俺の横で、黒瀬がニコッと笑って手を振った。

「よろしくな、隣の夏希くん」

 どこまでも爽やか風味全開で、まるでテレビドラマのラストシーンみたいな顔で言いやがった。

 その瞬間、頭を抱える。文字通り。

(最悪すぎる......)

 心の中で呻いたけど、唇に残る“感触”だけは、まだじんわりと熱を残して消えてくれなかった。

「......クソ......」

 ぽつりと、夕焼けに向かって吐き出した言葉は、風に溶けてどこかへ消えていく。

 昨日までは、平凡な日常だったはずなのに。
 あいつと唇を重ねて、心まで引っかき回されて――

 たった一日。
 それだけで、黒瀬零は俺の中に、確かな爪痕を残していった。